第30話

 パチパチと、火が焚かれる音が、燼の耳に届いた。

 薄らと瞼を開ければ、静かな夜空と共に見慣れない崩れた家々と言った廃村の景色が飛び込む。ずっと居たはずなのに、燼にとっては今初めて見た景色も同然で、一瞬夢現を考えるも、静かな気配の中、耳を澄ませば、火の焚かれる音の近くでぼそぼそとした会話がある。小声で会話が繰り広げられるも、聞き慣れた者達の落ち着いた話し声が、燼に現世であると得心させたのだった。


「(上手く、聞き取れない)」

 

 起き抜けの所為か、頭が働いていない上に、聞き取る耳も不調だ。ゴツゴツとした地面の感触を肌ではっきりと感じ始めた頃、燼は、むくりと起き上がるも、首に力を入れた瞬間に激痛が走った。


「いっっ!!?」


 情けなくも、燼は痛みと共に再びその場に倒れ込んだ。うっかり漏れた声と、獣の巨体が地に沈む音は、その場にいた誰にも届いたらしく、会話は止まり視線の全てが燼に向いていた。

 その中で、一人だけ駆け寄る音が響く。燼の傍まで来たかと思えば、見慣れた顔が影を作って覗き込んでいた。


「燼?大丈夫?」


 覗き込んだ顔は、心配というよりは少々物言いたげだ。愛想の無い顔はじとっとした嫌な視線を含んで燼を見つめている。


「暫く起きない方が身の為よ。祝融様が火傷の薬と痛み止めを煎じて下さったけど、多分、組織にまで達しているから動かない方が良いって」


 目線は冷たく、声も冷ややか。思考の働かない燼でも、怒っているのは一目瞭然だった。怒っている理由も、特に考える必要もない。

 

「……分かった」

「でも、人には戻ってちょうだい、動かせなくて本っっっ当に困ってたの」


 動くなと言ったり、動けと言ったり。強調している辺り、言葉には無くとも、反省しろと言っている。原因は簡単だ。自分の意思でないとは言え、再び祝融に敵意を示したのだ。いつかそうなる日が来る。それがわかっていても、燼の意志でない事が分かっていても、腹を据える事ができるかどうかは別だ。

 特に、彩華は祝融に心酔している。殊更、どうしようもない怒りをぶつける場所を探しているのだろう。

 

「それ、やっぱり動いて移動しろって事だろ?」

「あら、よく分かったわね」


 反論は出来ない。何をしたかは記憶がはっきりと覚えている。反省どころか、打首もあり得るのだ。燼は、彩華の冷たい目を向けられても、失望される事を思えば、堪えられるとすら考えていた。

 

「……せめて、手貸してくれよ」


 彩華は、じとっとした視線を向け続けるも、仕方が無いと大きくあからさまな溜息を吐くと、手を差し出していた。

 燼は姿を人に戻すと、差し出された手を頼りにもう一方の手を支えに身体を起こす。じわじわと迫る痛みを堪え、立ち上がると、彩華の目線は丁度傷口当たりを捉えていた。じーっと、その傷を見たかと思うと、軽く「えいっ」と悪戯調子で傷口を人差し指で突いていた。


「っっっ!!?」


 思わぬ衝撃に、またもや痛みが走る。悪戯心と言うわけでもないだろうが、いくら何でも酷い。燼は、思わず、困惑に染まった顔を向けていた。


「……彩華?」

「塩を塗り込まれないだけ、マシと思いなさい」


 そう言って、スタスタと焚き火に向かって歩いて行ってしまった。


「(まあ、祝融様に何したかを考えれば……だよな)」


 そこに、自分の意志はない。思考は肉体と離れ、第三者にでもなった気分になってしまう。だが、言い訳だ。一度、彩華の声で戻されかけた思考は、再び飲み込まれた。あの時、はっきりと思考を呼び覚ましていれば。

 無気力や脱力感に苛まれ、流れに身を任せてしまった。


「(全然、成長してない……)」


 今も、薙琳の後ろ姿が忘れられず、その心は暗闇に囚われたままだ。


「燼」


 彩華が振り返り、燼を見つめていた。先程までの悪戯な顔は無く、寂しげな目線を向けている。彩華のその先の、焚き火を見た。それは、焚き火でなく、より大きな火葬の残り火。

 祝融、鸚史、雲景、軒轅、そして夢で見た記憶のある巫とその御付きらしき赤髪の女。皆が火を囲い、魂を見送っていた。

 燼は、彩華に促され隣に立つと、その輪に加わった。

 既に、別れは済ませた。ある意味で、夢見の特権とも言えたが、これ以上の心苦しい見送りも無かった。

 火を囲う中、燼は慣れない気配に気付いた。少しばかり離れた所に、二人の男女が此方の様子を窺っている。


「(あれは……)」

「燼」


 其方に気を取られていると、祝融が近付いていた。

 首元の火傷を確認しているのか、じっと観察している。


「起きたのなら、包帯を巻くか。痛みはどうだ」

「……ヒリヒリします」


 人の姿に戻った燼の火傷の範囲は広く、首から胸元、鎖骨にまで広がっていた。改めて、その様をまじまじと見た所為か、祝融は言葉を失くしていた。

 

「今回も、お手数をお掛けしました」


 しょんぼりとした様子に、祝融は燼をその場に座らせると用意していた湿布や煎じ薬を、並べていた。

 

「祝融様、私が……」

「……あぁ」


 彩華は用意された薬を、手際良く傷に塗り込み、湿布を貼り、包帯を巻いていく。火に照らされた彩華の顔を見れば、火膨れを起こしていた。よく見れば、腕や首もぷつぷつとした小さな水膨れが幾つもある。


「燼、終わったら、彩華にも薬を塗ってやってくれ。俺に近すぎた」


 その言葉で燼は耳が垂れ下がった様に更に顔色は沈んでいる。項垂れ、首が隠れると、薬が塗りにくいと彩華が上を向かせる。

 そして、彩華の処置も終わると、燼が何気なく上を向けば祝融は再び火を見ていた。普段温厚な男は寂しそうで、死んだ女を偲んでいたが、握られた拳には、への怒りが篭っていた。

 燼はその隣に立つと、その目に火を捉えた。


「薙琳は、黄泉の国へと旅立ちました」

「……そうか」


 燼は目線を鸚史へと向けた。火の反対側で一人、無感情のままに立っている。文官姿も、道楽者も、そこにはいない。

 ただ、風鸚史という一人の男が、悲しみに暮れる事も許されないままに、女の死を偲ぶ。


「終わったら、皇都に戻る。静瑛に全部任せっぱなしだったから、相当嫌味を言われそうだ」


 静寂の中、祝融が声を上げた。その声に、その場に居た誰も顔を向ける。その中で、鸚史だけが祝融に顔を向けず、火を捉え続けるも、真剣な眼差しのまま口を開いていた。

 

「その嫌味なら、俺が全部受けてやる。燼も、巫も今回は苦労を掛けたな」


 決して誰にも目を向けず、だが言葉は真っ直ぐだった。

 

「鸚史様、そう言ったものはお言葉でなく、献金で示していただければと」


 その言葉に、一番驚いた顔を見せたのは霍雨の隣で祈りを続けていた四飛だった。

 

「霍雨様!?」


 献金は請求するものではない。あくまで謝礼という形で支払われる事もあるが、神に帰依する者が金にがめつい様など、堂々と見せるものでもない。

 流石に、雲景も呆れて祖母を見ていた。

 

「お祖母様、そう言った話は戻ってからにして下さい」


 だが、霍雨は何を言われても気にもしていない。それどころか、神殿も慈善事業では成り立たないとまで言い出す始末。

 

「私が言わねば、神子様方はそう言った話に無関心ですので」

「問題無い。夢見を貸し出してくれた事に感謝して、最上位の額を用意する」

「流石風家、太っ腹に御座いますね」


 本当に神殿に帰属する者の言葉だろうかと疑ういそうになるが、霍雨は称えながらも、その表情は無だ。

 心にもない事を淡々と述べているとしか思えない。

 

「今は死者を弔う場だ。後にしてくれ」

「ええ、言質は取れましたので、我々は先に皇都へと戻ります。四飛も疲れているでしょうし宿で休ませます」


 既に、日付などとうに越え、一刻もすれば空も白み始める事だろう。確かに、霍雨の言葉通り、四飛は疲れた顔色を見せる。年頃を考えても、辛いはずだ。

 霍雨は四飛を抱えると、挨拶もそこそこに姿を変えた。


「では、殿下。私達はこれにて」

「あぁ、助力に感謝する」


 霍雨は今まさに、四飛を背に飛び立とうとしていたのだろうが、ふと、孫の顔を見た。


「雲景、皇都に戻ったら、一度、本邸に顔を出しなさい。恋人とやらを連れてね。自信を持って連れてこれないのなら、こちらもそれなりの手段を考える」


 とんだ発言を残して、霍雨は飛び去った。燼には、雲景に恋人がいた所で驚きもしないが、何故今それを言い放って去って行ったかは、到底理解できる者でも無かった。

 ただ、雲景は眉間を抑え、頭を悩ませている事だけは、確かだった。確かではあったが、雲景の悩みの大きさがわかるわけもなく、「(貴族も大変なんだな)」程度に考え、その時、彩華の顔が濁っている事に、寸分も気付いていなかった。 


 ――

 ――

 ――


 桜省 ムジ村


 紅葉の葉が全て落ち、地面が鮮やかに染まっている。その中で、真新しい土色に染まった地面を鸚史は地べたに座り込んで眺めていた。新しく追加された墓石の前には、杯が一つ、酒で満たされている。

 友と酒を呑み明かした記憶を頼りに、鸚史は、酒を煽った。

 救ってやれなかった。

 頼ってもらえなかった。

 もっと、一緒にいたかった。

 出来る事なら、生涯を連れ添う伴侶になって欲しかった。

 様々な思いが、頭を過っては酒で流し込んでいく。


『ありがとう、出会えて、良かった』


 最後に、夢見の男から告げられた最後の言葉。


「生きてる内に、言えよ」


 鸚史は、ぐっと酒を喉に流し込むと、そのまま地面へと転がった。澄んだ空を見上げながら、鸚史目から一筋の涙が溢れ落ちる。

 自分の手で殺してよかった。誰も恨まずに済む。

 そう言い聞かせ、静かに目を閉じたのだった。

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