第29話

 広範囲に広げた炎は、一頭の龍が高く飛び立つと共に、焦げ跡だけを残し、消えていた。祝融の力は、影響が残る。傷つける事しか出来ない能力は、他者への影響が強すぎ、何かを守る事に到底向いていない。

 祝融は、再び続く黒い糸の攻撃を防ぐ為の防御の炎を張る。

 黒い糸の攻撃は、弱点がある。それは、影から現れる。人の影は、入口とはならず、木の影、家の影、常にそこにある場所が必要だった。壁さえあれば、防げる。

 自身だけならば、容易に防げる。

 祝融は、剣を鞘に納めた。右手に炎を宿し、燼へと向かった

 殺意は無い。もし、はあくまで最悪を想定した言葉であり、彩華にでは無く、自分自身に覚悟を持たせる為の言葉だった。

 ただの従者。そう、言葉で済ませる者もいるだろう。

 身分こそ違えど、幼い頃から、周りに忌み嫌われていたのは、祝融も同じだった。だから、祝融は自分を信頼してくれるものを、何よりも大切に扱った。そういった者達で、周りを固め、信頼という価値を最も重要視した。

 勿論、それが、祝融を弑する使命を負った、燼であっても。

  

 祝融の右手が、ゆっくりと薙琳へと近づく燼の背後を捉えた。その瞬間、邪魔をするなと言わんばかりに、燼が振り返った。鋭い爪が、祝融を捉えんとしていたが、剣を抜いていない祝融は、攻撃を交わしていく。

 避ける事は出来るが、一撃でも喰らえば、祝融も致命傷は避けられないが、怪物とすら喩えられる巨体を前に、祝融の心情は落ち着いたものだった。祝融を守る炎すら、燼にとっては脅威だ。それでも、燼は止まらず祝融に向かい続ける。

 祝融は燼の斬撃を避け続け、只管に機を待つ。


「燼!」

  

 祝融は名を呼ぶと同時に、殺意を込めた。それも、祝融にとっては燼を抑え込む手段の一つだった。

 そして、ほんの僅か、燼の攻撃に迷いが生まれた。祝融は、それを見逃さなかった。燼の攻撃の緩む瞬間、懐に潜り込むと右手の炎を燼の首に押し当てた。その勢いに、燼の巨体は背後に倒れた。

 肉の焼ける匂いが、祝融の鼻についた。燼の雄叫びと共に暴れるも、燼の身体は閃光に包まれている。祝融の口は、ぶつぶつと呟き続け、燼の首に炎を押し当てると同時に封印術で燼の身体を拘束していた。

 祝融の炎は、破壊の炎だ。だが、同時に浄化の力も持つ。元より、炎は浄化の力を持つとされるが、祝融の炎は神血を持つ者の力だ。

 封印術が、陰を封じる力があるとするならば、炎にもまた、相乗効果があると考えた。

  

「(すまんな、燼、後で恨み言は幾らでも聞いてやるっ!!)」


 焼け爛れる肉の匂いに、嫌悪感を覚えながらも、祝融は、その手を緩める事は無かった。肉の焼ける匂い、肉が焼ける音、ジワジワと爛れる肌と、その感触。五感が悍ましい感覚で埋まる中、祝融はその感覚を切り捨て只管に炎にだけ集中した。


「(……燼っ、目を覚ませ!!)」


 まだ、その時では無い。彩華が放った言葉が、祝融に囁きとなって残っていた。祝融も、その言葉を信じると同時に願ってもいたが、何故か、その言葉が強く、強く、頭に浮かんでいた。

 そして――


「しゅ……く……さ、ま」


 灼けた喉の所為か、燼の声は嗄れて思うような発音は出来ていなかった。ただ、紅色の瞳は消え、虚ではない、痛みを訴える目が祝融を映した。


「すまんな、後で痛み止めを用意してやる。そのまま寝てろ」


 穏やかな、祝融の声を聞き、燼はゆっくりと瞼を閉じた。


 ――


 凌霄りょうしょうの花は、盾となり鸚史を守り、剣として薙琳を攻撃した。鸚史も又、黒い糸が影からしか出てこないと見抜いていた。何より、糸が生まれる瞬間に、新たな陰の気配も生まれる。それを幾重にも伸びた蔓が、生まれた瞬間に潰していた。

 薙琳の攻撃手段は既にその身だけとなったが、そうなった瞬間に蔓は俊敏に動く薙琳を襲った。木々の速さの比では無かった。

 鸚史の目は、薙琳を見てはいない。

 もう、終わらせよう。鸚史がそう考えた瞬間に、蔓は、薙琳の腹を貫き、その首を締め付けていた。 

 剣を抜き、一歩づつ、ゆっくりと近づく。別れを惜しむ様に。

  

「……今まで、共に居てくれた事に感謝する」

   

 一瞬、剣を大きく掲げ振り下ろせば、それは人と変わらず、首は落ちた。

 これ以上の苦しみはないだろう。陰に変わり果てたとしても、手にかけたのは、確かに愛した女だった。


 ――

 ――

 ――


 夢の通い路、薙琳にだけ、見える道があった。

 行かなければ。その道を見た瞬間に、薙琳は迷いなく歩き始めた。怖くは無かった。その先に何があるかなど考えず、その道を辿る事こそ、正しいとが言っていた。

 だが、背後から、声がした。誰かが、名前を呼んでいる。何故だか、薙琳はその声に応えたくなった。歩みを止め、振り返った。

 そこには、見覚えのある、男が一人、小さな子供を伴って立っていた。燼の姿に、薙琳はにっこりと微笑むも、燼の背後に立つ子供に見覚えはなく、目も虚ろだ。


「薙琳、こいつも連れて行ってやってくれ。道が、見えないんだ」


 そう言うと、燼は、子供を前に押し出した。虚ろな存在でも、薙琳はその子供の前に屈むと目線を合わせた。


「そっか、迷子になっちゃった?」  


 子供は、虚ろながらも、小さく頷いて見せる。


「名前は?」

「……ユラ」


 子供の名前に、薙琳は目を見開いた。その目から、涙が伝い、ただ静かにユラを抱きしめた。ユラが戸惑いを見せる程に強く、抱きしめ、それ以上、何も言えなかった。


「……なまえ……おしえ……て」


 辿々しくも、虚ろな魂と成り果てた筈のユラが、言葉を繰り出した。薙琳は、涙を拭い、ユラを正面から見た。

  

「……リン」

「リン……リン、ずっと探してた……」


 ユラの目に、光が戻った。明るく、子供らしい瞳。


「おばあちゃんがね、良くお話ししてくれたんだ。おばあちゃんのお父さんと、お母さんの話。とっても格好良くて、自慢だったって」


 薙琳は、そのどの話にも頷いた。

 恨まれてなど、いなかった。

 それだけで、再び薙琳からはとめどない涙が零れ落ちていた。


「リン?」

「御免なさい」


 薙琳は、ユラの手を取り立ち上がった。もう一度、燼の顔を見ると、そこには困り顔があった。   

 

「薙琳、俺は、これ以上行けない」

「うん、わかってる」


 薙琳は燼に背を向けると、再び道に目を向けた。


「鸚史様に、ありがとうって伝えて。出会えて、良かったって」

「……うん」


 頼りない声だった。

 それでも、薙琳はそれ以上振り向く事は出来なかった。未練を断ち切り、この子を連れて行かなければ。

 どんどんと、先を進む薙琳に、燼は最後の言葉を口にした。 


「キナは、この道のずっと先だ。キナは悲しみに暮れたけど、鬼にならなかったんだ。薙琳もユラも恨みたくなかったから!」


 だから、薙琳が見た恨みを見せたキナの姿は、ただの夢だったのだと。 

 最後に、夢見として届けた言葉は、薙琳に届いただろうか。

 燼は、それ以上薙琳の道の邪魔をしない様にと、自身もまた振り返った。果てしなく続く黄泉への道に背を向け、自身が見える道を辿り歩き始めていた。

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