第22話

菫省 宿場町 オウン

 

 他人と相部屋の安宿。床に雑魚寝が当たり前で、遮る衝立すら無く、最低の宿でもあるが、今は日が高い時間帯とあって、宿泊客は皆外に出ているのか皆無だ。

 そんな中、薙琳は、床に寝転びながら霞む視界で語りかける姿を呆然と見つめていた。


―薙琳、……いじょう……も……れ

 

 目の前にいる様に見えて、霞む遥先にいる様にも見える。陰の存在にも見えるが、不思議と嫌悪も悪意も感じない。


「(誰……だっけ……)」


 知っている気もするが、思い出そうとすると、夢現の頭は働かず、記憶を辿ろうにも思考の全てが霞みがかっている。

 まともに眠れず、精神が限界の中、は物悲しげだ。顔こそはっきりと見えないのに、その感情だけは薙琳にもはっきりと伝わっていた。 

 夜は移動、昼は休憩の繰り返しで、昼夜逆転が当たり前になった今、日差しは高く、遠くでは鐘の音が鳴っている。其方に意識を向け、鐘の数を数えてみる。

 一、ニ、三……九つの鐘。日中にっちゅう(昼十一時ぐらい)を知らせる音が止むと、意識は再び側にいるに戻っていた。

 夢と現の狭間にいる誰かは、時に大きく、時には掠れた声で薙琳に話し続ける。


―薙琳、……の下へ戻れ……され……る


 姿形こそはっきりとしないそれは、次第に視界が明瞭になっていくと共に、姿を消してしまった。

 そのまま、誰もいなくなった、を特に意味も無く見つめ続けた。

 時間だけが流れ、宿に面した道から賑やかな子供と思しき声が耳に届く。

 幻から現へと舞い戻ったと思わせるそれに聞き入っていると、ふと、よく見知った顔が薙琳を覗き込んだ。見知ったと言っても、知り合ったばかりだが、四六時中共にいると、それなりに馴染んでくる。だが、何かを不審に思っているのか、その顔は少々困り顔だ。その手には、ゆらゆらと揺れる湯気が揺らめいて、少しばかり懐かしい匂いが、より現実へ呼び戻していた。

 

「リン、大丈夫か?」


 その胸中を図ろうにも、薙琳の思考は止まったままだ。寝転がったまま虚な瞳だけを魯粛へと向ける。

 

「……さあ、どうかしら」

「眠れたのか?」


 眠っていた様な、起きていた様な。曖昧な記憶を辿るも、悪夢を見なかったという事実だけがそこにあった。


「よく、分からない」


 どんよりとした瞳が、異常性を見せている。魯粛は、手に持っていた羹の入った器を差し出した。

 

「これ食え、屋台で買ってきた」


 薙琳は身体を起こし受け取るも、呆然とそれを見つめるだけ。

 

「……どうして、気にかけるの?結末が知りたいから?」


 魯粛は、薙琳の向かいに腰を下ろすも顔は以前と、何かを思い詰めている。兄と妹揃って楽天的な人物と思っていただけには今いち今の表情は掴みどころが無い。


「さあな。まあ、あんたが殺されて終わりは腹に収まらねえがな」


 薙琳は、小さく「そう」と返すと、羹を見た。蓮華を手に取るも、肉や野菜といった具を避け汁だけを一口、二口と啜ると、蓮華を元に戻すと指で弄るだけだった。


「餓死するのが先か?」

「私は不死よ、そう簡単に死は迎えないわ」


 不死は只人からも生まれるが稀だ。流石に魯粛は驚いた様子を見せていた。


「……道理で痩せこけないわけだ」

「絮皐も不死みたいなものじゃない。驚く事はないでしょう?」

「……どうかな」


 魯粛の顔は、はぐらかしていると言うよりは、本当に分からないのか再び困り顔へと戻っている。

 魯粛は絮皐を妹と言ったが、どう見ても魯粛は人だ。

 龍と人から子は成せない。薙琳もそれを常識として認識していた。だからこそ、龍と人は婚姻が禁じられ、戸籍上すらも関係性を築く事が出来ないのだと。

 薙琳は、気にならないかと言えば嘘だった。だが、今はそれ以上に踏み込みたくはなかった。

 魯粛もまた、踏み込んで欲しくはないのか、目を逸らしていた。


「もう少し寝とけ、どうせ夕方までは、この町を出れねぇ」


 移動は絮皐頼りだ。龍の姿を出来るだけ隠して移動するという、魯粛からの要望の為、昼間は休息に当てている。だが、一番疲労しているであろう女は、魯粛と行動を共にしていないのか、姿はどこにもない。

 

「……そう言えば、あの子は?」


 何気無しに、絮皐が休んでいない事に疑問を抱いただけだったが、それを問われた魯粛は、途端に口をへの字に曲げて嫌そうな顔を見せていた。

 

「あ?知りたいのか?」


 薙琳は、魯粛が絮皐を節操無しと言ったのを思い出していた。要は、そう言う事なのだろう。


「……休まないのかしら」

「心配しなくても、夕刻までには戻る」


 そう言った魯粛も、薙琳の隣に背を向けると、腕を枕にごろんと寝転んだ。


「それ食えよ、ぶっ倒れられると、こっちが迷惑だ」


 ぶっきらぼうな言い方だったが、多少なりとも魯粛なりの優しさなのだろう。薙琳は、弄っていた蓮華を再び手にすると、冷めかけた羹を口へと運んでいた。


 ――


 夕刻を告げる、日入にちにゅうの鐘(十七時ぐらい)が鳴る。

 薄暗くなった頃合いを見計らってか、絮皐がひょっこりと宿の入り口で待つ二人の前に姿を見せた。


「遅え、薄暗くなる前には出るって言っただろ」

「ごめんごめん、楽しくなっちゃって」


 何が、などとは恐ろしくて訊けはしない。何よりも、その言葉からして絮皐は殆ど休んでいないとも聞こえる。


「お前、大丈夫なんだろうな」

「大丈夫、朝は寝たし」


 へらへらと笑う絮皐を前に、怒りを見せる事すら労力の無駄に思えて、魯粛は諦めたのか、頭を抑えては溜息を吐いていた。


「何よ、私のだらし無さは諦めてよ」

「自分で言うな」


 魯粛が苛つこうが、呆れようが、怒りを見せようが、絮皐は好きに生きるのだろう。

 そもそも、今回の件で一番関係ないのは、絮皐だ。にも関わらず、文句も言わず、魯粛が馬になれと言っただけで、リンを目的の地まで運ぶ。真の姿も相まって、魯粛よりも絮皐は謎めいている。

  

「行きましょう」


 二人の兄妹としての遣り取りを見ながらも、薙琳が冷静な口調で言葉を発すると、絮皐は直様に反応し、薙琳の腕に、それを絡めていた。


「うん、行こう。」

 

 薙琳が、町の出口へと歩き始めてもそれは変わらず、身の丈のある絮皐が腕を絡めてはいたが、特に負担もない為、薙琳は好きにさせていた。

 

「リンは休めた?」

「少しね」

「魯粛に何もされなかった?」


 どの口が言っているのか。二人の背後を歩いていた魯粛の眉間には、皺が寄っていた。


「俺をお前と一緒にすんな」

「魯粛もねぇ、すぐに手を出すの。気をつけてね」

「おい」

「大丈夫、返り討ちにできるから」

「おい」


 薙琳は、くすりと笑った。休息の中で、僅かに取り戻した心がそこにある。

 そうして、また、夜が来る。深い闇の中に浸かれば浸かる程、芽生えた憎しみは成長し、心は飲み込まれて行く。

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