第20話
常夜 その何処か……
深潭の暗闇の底、二つの
道は途切れた。漆黒と化した世界に寄る辺は無く、自らの力とその目だけが頼りだ。
四飛には、燼の様な獣的感覚も、神子として与えられた才も無い。出来る事は、自らの夢見の力を研ぎ澄ませる事だけだ。玉を二つ両の手で包み込み、再び玉へと向けて語りかけた。
「何処にいるの?」
その瞬間、暗闇の中、四飛の周りに景色が広がった。二つの景色が重なり合い、どちらもが無情なものだ。幼い四飛には酷だろう。思わず目を逸らすも、自らの役目を思い起こし唇を噛み締め堪えると、再び景色へと目を向けた。
一つは、幼い子供が祖母を助けるべく、鬼によって惑わされた夢。
もう一つは、現の肉体を手に入れた鬼によって殺された老婆の夢。
どちらにも、共通する者がいる。四飛は、その名前を小さく呟いた。
「……ユラ」
道は繋がった。
目まぐるしく景色が変わっていく中、四飛の目に飛び込んだのは、一人の男の姿だった。その男は、老婆を殺した青年によく似て、二十年余りに歳月を思わせる姿と言っても良いぐらいだろう。
その男が、目に映った瞬間から景色は何も無い暗闇から、小さな家の中へと変わっていた。古く、立て付けが悪いのか、隙間風が入り込んでは頬に当たる。よくある平民の住居で、これと言って特別なものは何も無い。男も、ただ壁を眺め座っているだけ。
何の意味があるのか、男の目的は何か。四飛は、あたかも、今その場にいる様に、辺りを見回した。きょろきょろと首を左右に振っては念入りに目を配る。すると、男の近くの暗がりが揺れた。まるで、ぽっかりと穴が空いた様に、そこだけが闇で呑まれている。
何かある。四飛は目を凝らし、そこへと意識を集中した。
よくよく見れば、そこには黒馬が座り込んで、じっと男を見ている。いや、その眼窩は空洞で、実際には見えていないだろう。その空洞の闇に詰まっているのは、恨みか、妬みか。虚な存在になりつつある、黒馬からははっきりとした心情は浮かび上がっては来ない。何か、語ってはくれぬのだろうか。そんな事を願い、四飛もまた、じっと黒馬を視線に捉える。
すると、どうだろうか、常夜と現の間にいる黒馬の首がゆっくりと動いたかと思えば、その眼窩を四飛へと向けていた。
それが合図か、情景が揺れた。何も無かった筈の家の中には、黒い糸が張り巡らされていた。空気も変わり、湿り気を帯びたかと思えば、外では雨が降っていた。ザアザアと煩い程に、雨と雷鳴が轟く。だが、それとは別に、ぽたりぽたりと水音も響いていた。
家の中、床に打ちつけられる音は、次第に水溜りを作り、水面へと落ちる音に変わっていく。本来なら雨音で掻き消されたであろう音は、記憶の中で、より色濃く鮮明に残っているのだろう。その一滴一滴が、何かを主張する様に耳に付く。
そして、また
「……うぅ……」
野太い男の声が、呻く音。声にならない声が、嵐の中でより強く残っていた。どんどんと、情景は鮮明になっていき、記憶を形作る。
これは、黒馬の仕業だ。四飛は浮かんだ思考と共に、黒馬を見た。変わらずそこで止まる、暗闇の存在は、四飛に見ろと言っている様に、じっと四飛の存在を捉えたままだ。
正直、四飛の精神には限界だった。男の呻き声が聞こえた瞬間に、老婆が殺された情景が脳裏に浮かんでいた。
嫌な予感しかしない。いくら、巫で夢見とは言え、残虐たる状況に耐性があるわけでもない。
見たくない。聞きたくない。
直ぐ側で、壁を眺める男が、本当は何を見ているのか。
だが、見なければ、何も進まない。
「(私の役目は、瑤姫様のお役に立つ事。逃げていては、ここに来た意味が無くなってしまう)」
四飛は、震えながらも意を決め、ぎゅっと閉じていた目を見開くと真の
男の眼前には、一人の若い男が吊るされていた。息も絶え絶えに、身体のあちこちを黒い
何でもする、どうか子供の命だけは。
悲痛な弱者の叫び声。その声は、雨音に掻き消され、男の耳に届いているかも怪しかったが、それでも真面な音にすらなっていない声をあげ続けた。
男の胡座をかいた膝の上には、幼い子供が丸まって眠ている。それを、子猫でもあやす様に撫でては、父親見せつけていた。
更には男の周りには、常に黒い影が纏わり付き、揺らめいている。それが、今自身を貫いた物だと認識している父親の顔色は、子の父である男に寄り恐怖を煽っていた。
父親の苦しみ、悲しみ、痛みよりも家族を想うその姿。その姿に男はうっとりと愉悦に浸っている。
そして、男に纏わりついていた影は、眠ていた子供の足に絡みつくと逆さ吊りに父親の隣に並べていた。それまで、すやすやと眠っていた子供も、違和感に気付いてか、その瞼が開いた。眠気眼で、右に左に顔を揺らしている。それも、次第に視界がはっきりすると、目の前の男に驚き、漸く自身に状況が逆さである事と気がついた様で、右往左往と頭を捻って父親を探している様だった。夜も深々とした中、父親を呼ぶが、その声は雨音と雷鳴によって消えていく。
だが、その雷鳴の光が家に中に入り込んだ、その時、大して広がらない子供に視界の端に、何かが映り込んだ。
また、稲光が
この男は狂っている。
これは人では無い。人の所業であるはずが無い。
四飛は、男に手を伸ばそうとした。ユラという人間の皮から、鬼を出せば良い。そう浮かんだが、場所が遠すぎる。同じ地、同じ空間に居なければ、肉体から魂を引き剥がすなど到底無理だ。神子とて、常夜から現に干渉するのは至難の業の筈だ。
だから、神子王扈は燼に託すしかなかったのだ。
手を引き戻し、四飛は黒馬に目を向けた。
暗闇を彷徨う魂は何を考えるのだろうか。
「……貴方は、自分の身体に戻りたい?」
鬼が抜けても、肉体に記憶は残る。黒馬はその記憶に苦悩するか、取り込まれるか。魂を戻したとして、平穏な生活は送れないだろう。
それを知ってか知らずか、黒馬は頷く事は無い。
「貴方の望みは何?」
「……リン……さが……してる」
最早、黒馬も真っ当な魂では無いのだろう。長く肉体を離れ、残ったのは僅かな記憶だけ。その僅かな記憶が、黒馬を魂の形に留めている。
四飛は、暗闇の中に止まる黒馬に近づいた。優しく触れ、ゆっくりと毛並みを撫ぜる。
一回、二回と繰り返す度に、記憶の世界は薄れ、常夜の暗闇の中へと戻っていくち共に、黒馬……ユラの記憶が、四飛に流れ込んでいた。
最後の、祖母の願い。
夢の向こうで会える筈だった人。暗闇のそこで、その人を探すうちに、いつしかそれは、ユラの願いへとすり替わっていた。
「ユラ……まだ、飲み込まれては駄目よ。もう少し……そうすれば……」
巫として、まだ幼い四飛の目には涙が浮かんでいた。ユラの苦しみが同調し、感情がとめどなく溢れてい抑えが効かなくなっている。
しとしとと伝う涙は、ポツリポツリと溢れては闇に中に消えて行く。ユラは、その涙が落ちる様を、静かに、その眼窩に捉え続けただけだった。
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