第19話

 闇夜の空を駆ける鈍色の鱗を持つ龍がいた。そのたてがみは黒と、黒龍に近い姿だ。それは、皇都で何十年と暮らしていた薙琳ですら見た事の無い色。

 そもそも、龍人族は、黄、赤、黒、白、青の五色ごしきと定義が決まっている。色違いろたがいの間に生まれた子供ですら、色が混じる事は無く両親のどちらかの色で生まれてくるのだ。

 ならば、鈍色を持って生まれた、この龍は何だろうか。

 鈍色の龍の顔は右半分が焼け爛れている。その火傷の後遺症か、右目が白色化している為、本来の色など見えはしない。だが、火傷の無い左目は、これと言って特徴の無い焦茶色だ。絮皐の人の姿を見て、龍の姿を想像する者はいないだろう。

 初めて見る鈍色を観察する様に、まじまじと見る薙琳だったが、突如背後にいた魯粛が発した声に思考は遮られた。


「あんた、龍に乗るの初めてじゃねぇな」


 背後で薙琳を支える予定だった魯粛が呟いた。その顔は別段驚いてもいないが、少々、薙琳の事を訝しんでいる。


「もうちょっと驚いてくれると面白かったんだが」

「皇都に住んでたのよ。龍には見慣れてるわ。灰色の龍を見たのは、初めてだけれど」


 無表情の女が、龍を見てどう反応するか。魯粛は其れを楽しみにしていた。ところが、人気のない場所で、絮皐が転じてみるとどうした事か。只一言、「へぇ」と頷いただけだったのだ。


「いや、それでもだ。乗り慣れてる奴なんて、そうそう居ない。あんた、どっかのお嬢様か?」

「残念だけど、外れ。もしかして、身代金でも期待してた?」

「いんや、そんな面倒は考えちゃいねぇ」


 魯粛は別に悪党とかでは無い。只の情報屋だ。

 他人の話を根掘り葉掘り深掘りして、手に入れる。それが何とも楽しいだけだ。気付けば、妖魔退治や護衛などよりも、よほど儲かる仕事になっていた。

 人の話は面白い。本を読むよりも、斜め上の展開が待っていた時は、それこそ、肌が粟立つ程に。

 悪趣味と言われようが、気にも留めない。何故なら結局は、その悪趣味な男から、皆、大枚叩いて情報を買っていくのだ。

 そして、魯粛の眼前で優雅に龍に乗る女もまた、同じだった。自らの欲しい情報に、当然の如く金貨を出す女。

 魯粛は、今迄の客で、出し渋る者などどれだけでも見てきた。最悪、脅して奪おうとすらする者もある。そう言った連中は、それなりの目に遭ってもらったわけだが。

 情報は金より重い時がある。だが、同じ情報でも人によっては、その価値は、そこら辺に落ちている小石も同然だ。

 リンは、それを解っている。

 何とも好ましい女。その上、腹に抱えている話は、魯粛にとって、この上ない好物だった。

 深潭しんたんから聞こえる声に、耳をすませる。すると、どうだろうか。今は、彼方此方で、リンという女と、その曾孫の話で持ち切りだ。

 死ぬのはどちらか。

 魯粛は深潭の声の思い通りに動かされている様な気分にもなった。だが、仕方がない。魯粛も又、同じ考えを持っていた。


「(仕方が無い。俺は、と馬が合う)」


 悪趣味だ。魯粛は自分でも、それが良くわかっていた。どう足掻いても、真っ当な趣味嗜好とは思えない。それなのに、欲望は闇の底から沸々と湧いて来る。


「あんたの話が知れたらそれで良い。その為なら協力は惜しまねぇ。その誠意が絮皐の姿と考えてくれ」

「それは、龍の矜持として、背に乗せた事?それとも、色や姿の話?」

「色の方だ。矜持なんて腹の足しにもなりゃしねぇ」


 魯粛は、まるで自分の事の様に、顰めっ面を晒す。確かに、平民にしてみれば、龍人族の矜持など理解できないのかもしれない。薙琳からしてみれば、龍といえば貴族という概念が強いが、実際はそうではない。少数だが、獣人族と共に暮らす者もいれば、世捨て人の様に、人里離れた場所に住む者もいるという。

 だから、絮皐の様に身を潜めて生きていても、珍しいが何ら不思議では無いのだ。

 その、色を除いて。

 

「事後承諾になっちまうが、出来れば他言無用で頼む」

「ええ、問題無いわ」


 ――

 ――

 ――


 明け方近く、東の空が白み始めた頃、街が見え始めた。当然門は閉まっており、開門まであと暫く待たなければならない。

 秋も終わりに近く、冷たい空気に魯粛は肩を震わせた。空を見る限り、開門までは時間がかかるだろう。その間、ただ立って待つだけなど、どう考えても無理だ。せめて、寒さを凌げる様にと、門を見通せる場所で魯粛は火を焚き始めた。木切ばかりを集めた小さな火だったが、身を縮め、悴む手を火に当てれば、少しは状況はましになる。

 魯粛のその様は、只人の姿そのものだった。絮皐にとっては、当たり前の光景。だが、ふと横に居る薙琳に目を向けるが、これと言って、寒がっている様子はない。

 

「リンは寒くないの?」

「……私は獣人だから、そこまで感じない」

「あ、そうなんだ。魯粛と一緒かと思ってた」


 一緒は、只人を指す言葉だろう。薙琳と絮皐は寒さは感じているが、側で火を見るに留まっていた。実際、魯粛の髪色は黒で、瞳は焦茶と只人特有の印象だった。

 

「……あんたが山を越えるってのは、そう言う事か。ま、それでも龍の方が早いな」


 旅路の短縮は、薙琳にとって願ってもない事だった。背後から、追ってきて欲しくない人物がいる。時間を掛ければ掛ける程、目的へと先を越されてしまうだろう。それだけは避けたかった。

 まさか、龍に乗れるとは。魯粛という情報屋を選択したのは、腕の良い人物を探していたからだったが、思わぬ副産物が何よりも功を奏していた。


「そうね、山を駆けたとしても、ひと月以上は掛かる。助かるわ」


 その言葉を聞いて、それまで静かに休んでいた絮皐の顔が満面の笑顔になった。かと思えば、勢い良く薙琳に近づいている。

 

「役に立つでしょ?褒めてくれても良いし、御褒美とかくれても……」


 そう言いながら、絮皐の手が薙琳の頬に触れようとしていた。

 

「確か、龍って腕が一本折れた程度なら飛べるのよね?」

「……」


 極め付けの脅しに、絮皐の顔は青ざめ手はするすると元いた位置に戻っていく。それでも、まだ不満があるのか、詰まらないとぶつぶつ呟いている。

 

「悪いな、こいつは節操無しでな。女なら誰彼構わず手出そうとするんだ」

「言い方悪いなぁ、この顔見て嫌がんない子だけよ」


 誰でも良いわけじゃ無いと、絮皐は憤慨していた。絮皐は、火傷自体は然程気にしていない。だが、それを気にされると、気分が悪いのだと言う。痛みを聞かれる程度ならともかく、可哀想という言葉が嫌いなのだと。


「可哀想って、なんか薄っぺらいのよね。だから、リンみたいに何も言わない子が一番好き」


 流石に、先ほどのやりとりがあったせいか、薙琳に触れはしないものの、絮皐は意味ありげな熱を込めた視線だけはしっかりと送っていた。


「悪いけど、男だろうが女だろうが、今は興味が無いの」

「つまんないなぁ、今を楽しめって言うでしょ?」


 その瞬間、薙琳の顔色がすうっと暗くなっていた。


「……今は、ほか事は考えたくは無いの」


 恨みの詰まったその瞳に、絮皐は小さく「詰まらない」と呟くだけだった。

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