第3話

 真っ暗闇に中、夜に似た世界が広がっていた。夢の通い路と呼ばれるそこは、暗闇という部分が似ているだけで、夜とは似て非なるものだ。

 音も無く、生けるものは存在せず、全て魂の存在のみだ。

 上を見上げても、星や月の様な道導も照らす灯は無い。代わりに、足元は鮮やかと言える程に、多種多様な色を成した小さなが玉が幾つも発光している。その輝きは道を成しているが、導くか迷わすかは気まぐれだ。

 燼は、その道を外れ、遠巻きに座って呆然と見ているだけだった。ただの光り輝く道とだけ思えれば、それは斯くも美しい景色だ。身体を支えて居る手の下も、道は成していないが河原の敷き詰められた小石の様にそこら中は玉でいっぱいだ。その、ごつごつとした地面から、適当に手に触れた小さな玉を一つ手に取った。

 暗闇の中でも、燼の目にはそれが青色に見えていた。只のガラス玉にも、石ころにも見えるそれは、誰かが見た夢だ。中を覗き込めば、悲しみに暮れる誰かが映っている。見ず知らずの他人の夢を盗み見る様で、そっと、それを地面に置くと燼は再び景色に目を戻していた。

 もう何度、この景色を見た事だろうか。数を重ねる度に、変わる道が面白く、寄り道でもするかの様に夢の通い路に居座っては景色を眺めた。

 飽きる事のない景色は、現を忘れさせる。

 だが、そうやって一人の時を過ごしていると、邪魔者が現れる。燼よりも余程良い目を持って生まれた彼女達に、燼を見つける事など造作も無いのだろう。今宵もまた、馴染みとなった気配が背後に漂っていた。


「よく飽きませんね」


 燼の背後から、そっと近づく者があったが、燼は振り返らなくとも、それが誰かわかっていた。いつも、突然現れるが、悪意の無い存在だ。


「今日は、何の用事で?」


 ぶっきらぼうな態度に、声は暗闇から姿を現した。

 白い衣に、白銀の髪。五人いる神子たちのに似通った容姿の中でも、一際、燼と近しい存在とも言える者。神子王扈は、燼の隣に静かに座ると、同じ景色を眺めた。

 音の無い静寂の世界は暗闇の中で、道だけが太陽に照らされた水面が光を反射でもするかの様に煌めいてる。変わり映えはしないが、燼は王扈の存在を気にする事無く、黙って見つめ続けた。

 

「今日は、夢を一つ」


 そう言って、燼に一つの玉を差し出した。神は躊躇うも、それを受け取ると、暗闇を小さくした様な黒い玉が手の上で転がっている。濁った黒に、中を覗いたところで何も見えはしない。それでも、それが誰かが夢である事は、確かだった。


「……これをどうしろと?」

「どうするかは、貴方次第です」

 

 お互い、同じ神の下より生まれた魂だが、肉親は異なる。姉と弟の様で、全くの他人。不可思議な関係だではあったが、小さな共通点を持つ程度の親近感は湧いていた。それでも、燼には勿体ぶった話し方が好きではなかった。


「これって、俺を通して頼み事してる?それとも警告?」

「どちらと、とっていただいても構いません。それと、見ても、見なくても、貴方は後悔する事になると、言っておきましょうか」

「相変わらず嫌な言い方だな」


 選択肢がある様で、結局はひとつだ。最初から選ばせる気など無いと言わんばかりに口調は冷めたものにすら聴こえてくる。

 燼は、再び手中の黒玉を見た。どんよりと燻んだ、黒色は、重くその手にのし掛かっている。

 厄介事の匂いでもしてきそうな予感が漂ってはいたが、神子の言葉程、信用できるものも無いのだ。思わず漏れた溜め息に任せ、嫌味でも口走ろうとしたが、神子が決して悪意を見せない事を思い出すと、嫌味は口の中に引っ込んでいく。

 燼は、黒玉を握り込んだ。


「あんまり深く取り込まれそうになるなら、連れ戻して欲しい」

「ええ、構いませんよ」


 握り込んだ手を額に当て、目を瞑る。

 黒玉から、何かが頭の中へと入り込む感覚に、嫌悪感を覚えながらも、燼は夢の中の夢へと落ちていった。


 ――

 ――

 ――


 暗闇の中、燼の目の前を、一人の子供が通り過ぎた。


「おばあちゃん!どこ!?」


 小さな足が、弱々しく今にも崩れ落ちそうだった。涙ぐみながらも、あちらこちらに目を配っては必死に祖母を探しているが、その瞳に映るのは闇ばかりだ。

 幼い子供が持つ夢見は不安定で、その子供も又、完璧に使いこなせているわけではなさそうだった。

 何度も、張り裂けそうな声で祖母を呼んでは、何かを後悔している様子。

 ただ見ている事しか出来ない。歯痒く、今にも目を背けたかった。だが、陰鬱な気配集まる感覚に、燼は身体中の毛が逆立ちそうになっていた。


―かわいそうに……


 弱々しい振りをした、醜い枯れ枝と土色を思わせる顔と体、死肉を思わせる体臭に燼は思わず顔を顰めた。


『(鬼共め……)』


 元は人の魂というそれらは、狡猾だ。現に未練や怨みを残し、夢に通い路に留まったそれらは、現で満たされ無かった何かを埋めるために、ひたすらに何かを欲し続けるが、決して満たされる事は無い。

 そして、得意げに夢に入り込む子供は格好の餌食だったのだろう。子供に寄り集まって、取り囲み、同情のようで、その目は獲物を狙っている。


―可哀想に……婆様は、永遠に暗闇で一人ぼっちだ

―婆様は、真っ暗闇で彷徨い続ける

―いつか自分の姿も忘れ、記憶も忘れ、何も分からなくなる

―坊が何も知らない婆様を夢に連れてきちまったから、婆様を餌と思った奴に連れてかれた

―可哀想に


 口々に、同情や子供を責め立てる言葉を投げかけては、子供を追い詰める。

 取り囲まれた子供に正確な判断能力は無い。悲しみに打ちひしがれ、力なく座り込んでしまい、耳を傾けてはいけない相手と分かっていても、子供は縋りついてしまった。


「おばあ……ちゃんを……返して……」


 涙と嗚咽混じりの言葉は、欲深なそれらを喜ばせるだけだった。


―ならば、取引だ


 夢にも法はある。

 人を傷つけてはならない。

 人を喰ってはならない。

 黄泉への旅路を邪魔してはならない。

 法を破れば、世界そのものに罰せられ、存在を消される。だが、取引は別だ。取引だけが、その法を掻い潜る術であり、法の干渉を受けない手段でもある。

 だから、鬼達は暗闇で身を潜め、獲物が無防備になるのをじっと待つのだ。


―婆様を、現へと帰してやろう

―代償として、お前が身代わりになれ


 最早、過ぎ去った過去に干渉する術は無い。

 燼は目の前の光景を、その目に焼き付けながらも、心苦しくなるばかりだった。

 

『よせ、逃げろ』


 声を上げようとも、手を伸ばしても、それが届く事は無い。触れられぬ少年は燼の手をすり抜け、涙を拭って立ち上がった。


「……わかった、僕が残るよ」


 契約が成立した瞬間だった。

 鬼達は、一目散に子供に群がった。幾重もの異形の手が、子供の顔目掛けて伸びいく。恐怖か痛みか、氷の様に突き刺さる冷たい手が子供に触れる度に、幼い悲痛な叫び声が響き渡る。鬼達は我先にと、子供の目を狙っては奪い取った。


―目だ……幼い夢見の目だ……


 両目を失った子供が痛みで疼くまり身悶える横で、鬼達は子供に興味を失くし、目を手に入れた一体が、口の端を吊り上げて、大事そうに手に上で目玉を転がしていた。


「……おばあちゃんは……帰れるの?」


 痛みで震えるか細い声が、鬼にも届いただろう。鬼は、自らの目をくり抜くと、手に入れたそれを目に嵌め込んだ。


「大丈夫、帰れるよ」


 子供は、鬼から聞こえる声に茫然としていた。それもその筈、答えた声は、子供の声と全く同じだったのだ。更には、醜い枯れ枝の様だった体も、土色も、人らしく変わっていく。身の丈も縮み、姿は、子供そのものになっていた。


「僕が、連れて行くから大丈夫」


 幼い顔が愛らしく微笑む。

 その瞬間、子供の絶望が、燼へと流れ込んだ。押し寄せる濁流の如く燼の感情を押し流し、憎悪へと変らんとしていた。


『(駄目だ、飲まれるっ……)』

 

 ――

 ――

 ――


「……大丈夫ですか?」


 憎悪に飲まれかけた感覚だけが、そこに残っていた。手に握られた黒い玉が、より重くそこにある。

 肩に置かれた王扈の手に、燼は引き戻されたのだと気付いた。その顔を除けば、物悲しそうに目を伏せている。王扈にも、燼に流れ込んだものが、僅かばかりに伝わっていた。

 燼は、燻んだ黒い玉をじっと見た。憎悪や悲嘆で満たされ、恐らく消える事は無いだろう。


「……助けろって事か?」

「最初に言った通りです。後悔をするのは、貴方だと」


 燼は相変わらずの周りくどい言い方に溜息を吐きながらも、手にある黒玉を視界に捉え、子供の姿を思い出していた。


「助けたとして、何になる」


 肉体は既に奪われている。契約は、どれだけ強い夢見だろうと、破棄も上書きも出来ない。子供を見つけたとしても何も出来ない、そう思えてならなかった。

 

「それは、貴方が決めて下さい」


 あくまで王扈は道を選ばせるだけだった。その先に何があり、何が目的か語らない。使命や導きと同じで、答えは己で見つけねばならないのだ。


「私は、戻ります。ご決断は、お早めに」


 目線を向ければ、既に王扈に姿はそこには無かった。再び静寂が訪れ、目線を変えれば煌めく道が、遠くで輝いている。

 折角の一人の時間だったが、手中にある玉を思うと、呆然とした時間は無駄に思えていた。

 燼は、ふう、と小さく溜息をつくと立ちあがった。

 道は決まっている。手中にある玉を強く握り締めると、煌めく道が形を変え始めた。それは、燼が今求める道だった。


「俺は、便利屋じゃ無いんだがな……」


 文句を垂れながらも、燼は一歩を踏み出していた。

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