第2話

 緑省ろくしょう 山間部

 

 澄み渡る秋空の中、轟音が鳴り響いた。

 漆黒色に包まれた姿の業魔が、四本足で木々を押し倒しながら、地響きと共に駆け抜けていく。

 金色の龍の背に乗り、上空からそれを見ていた風鸚史は見定めた獲物を睨め付けている。その姿に文官も道楽者も見えはしない。

 鸚史の背後で、同じく業魔を視界に捉えていた薙琳が口を開いた。

 

「近くには獣人族の村があります。それを狙っているのでしょう」


 まだ距離はあるからか、焦りは無い。それでも、獣人族というのは過敏な者達だ異変が起こったと知れば、果敢に飛び出してくる事だろう。

 

「……だろうな。妖魔が湧き出す頃合いだ。雑魚は任せるぞ」

「承知しました」

「軒轅、先回りしろ。俺が降りたら、薙琳と共に妖魔を狩れ」

「承知」


 返事と共に、軒轅は速度を増した。風を切るが如く飛ぶ姿に、慣れないと目を開いている事も難しいという。そんな中を鸚史は業魔を捉え続けた。一時も目を離さず、軒轅が業魔を追い越したその瞬間に飛び降りた。

 空中で剣を抜き、先ずは先手と業魔の首に斬りかかる。業魔も速いか、ぐるんと首が回り、一瞬でを鸚史を捉えた。鸚史のきっさきは外れ、業魔に人蹴り入れると、木へと飛び移った。


「(こいつ……気付いてたのか)」


 意外にも知恵が回るもんだな。悠長な思考に、鸚史は自身が降りた場所と業魔を見比べた。

 今にもそこら中から妖魔が湧き出そうな程に、薄暗く鬱蒼と木々が生い茂る山々。

 

「……悪くは無いな」


 そう、ポツリと零すと鸚史の足は動いていた。

 業魔を揶揄うとでも言うのか、樹上から業魔の目前へと躍り出る。不意打ちにも近いが、業魔の腕がピクリと動くと一瞬にして鸚史に豪腕が振り下ろされた。

 地が轟くような音と共に、鸚史は身軽に避けていく。業魔の力で窪みが増えるが、一向に当たらない。

 そうしているうちに、鸚史は移動を始めた。

 怒りを煽り立てられた業魔は、一心不乱に目標を逃すまいと追い掛ける。煮え繰り返る腑があるかは分からないが、鈍く光る紅色の瞳は憤怒をあらわしていた。

 それに反して、追いかけられている方は至って冷静だ。思い通りに動く業魔に対して、怯える様子も無い。鸚史は、山中を走り抜けては、自分が有利な場所へと深く深く呼び寄せているだけ。それも目的の場所まで辿り着くと地面に滑りながら足を止めた。少しばかり開けた場所。太く伸び上がった樹木が立ち並び、鸚史はその中心に立つと、業魔を待った。

 鸚史の立ち竦む姿に、業魔は勢いそのままの爪と牙を向ける。大きな異形が、自らを食い殺さんと近づく様に普通なら恐れ慄くだろう。だが、鸚史は焦るどころか、身構える様子も見せない。

 今正に、その爪先で鸚史の躯体を斬り裂かんと大きく振り上げられたそれは、後一歩、先が届くところで、業魔の動きはぴたりと止まった。正確には、動けなくなった、だろうか。

 周りの木々や植物が生き物の様にうねったかと思えば、業魔の身体中に絡みついている。今も、木々は鸚史を守らんと絡みつく数を増やし、業魔を逃さない様に締め上げる。樹木だけでは無い。木々に絡みつく蔦も、そこらに生えている雑草も、全てが鸚史の武器だ。もがいても、もがいても、緩むどころか、よりきつく業魔を苦しめ、木々が軋む音と共に業魔が呻く。

 鸚史は、ゆっくりと腰に携えた剣を抜くと、業魔に鋒を向けた。一歩、一歩と近づくと、業魔に絡まった植物が呼応し、業魔の首を鸚史に差し出している。鸚史が剣を振り下ろせば、業魔は断末魔を上げ、石でも転がる様な重量のある音を立てては、首は落ちた。

 首が落ちれば、業魔も只の肉塊と化す。黒い血溜まりが出来ては、その地を黒く染め上げた。

 鸚史は剣を鞘に戻すと、辺りを見渡す。木々に、雑草気目を向けると、それは命じられたと言わんばかりに、全てが元の姿へと戻って行く。大地が黒色に染まった事以外は、山々は何事も無かったかの様に、静寂を取り戻していた。


 ――


 山間に在る小さな村。白神の許しの下、切り開かれたその場所に住む獣人族達。彼等は山々や森と共に静かに暮らし、山の安寧の為に妖魔を討ち払う。

 何処からともなく業魔が現れた事で、一時は騒然としたが、今は静まり甲高い子供達の楽しげな声が村中に響き渡っていた。

 村の中心には桜の大木が鎮座している。その木の下では小さな獣達が、落ち葉の中を大きな虎と駆け回っては遊んでいた。中には、臆する事なく虎の背に乗り上げる子供までいたが、乗られた本人は至って気にしていない。殊更、暴れ牛の真似事をする始末。奇声にも近い声を上げながらも、子供達は必死になって背にしがみついていた。

 ただのじゃれあいと言わんばかりだが、鸚史はその様子に眉を顰めながらも、軒轅と共に見守っていた。


「どうかされたんですか?」

「何がだ?」

「ずっと眉間に皺が寄ってます」

 

 そう言って、軒轅は自身の眉間に指先を向けた。


「別に……」


 別段、何も思っていない。鸚史には、子供と一緒になって無邪気にはしゃぐ姿が無理をしている様……気を紛らわせている様に見えていた。

 ここの所ところ、鸚史は薙琳の様子を観察する事が増えていた。というのも、時々、放心した様に動かない事が増えたのだ。戦闘時にその様子は見せないから、まだ口には出さないが、鸚史の中では不安は募っていた。

 呼んでも返事をしない、しても空返事、終いには伝えた事を忘れている。疲れている訳では無さそうだが、集中していない。皇都から出て気を抜いているのかと思えば、今の様に子供と元気に戯れている。

 薙琳は元々実力を買われ、風家に仕える事となった。だから、ある意味では問題無いとも言える。だが、真面目とは程遠いが、仕事はそつ無くこなすからこそ、風家に長く仕えては重宝されているのだ。

 何かあったのだろうか。そうは考えても、鸚史に思い当たる節は浮かばなかった。


「しかし、薙琳は子供好きだったんですね。結婚しないから、てっきり……」


 軒轅の言葉は、そこで終わった。続きを口にしようにも、恐ろしく鋭い目が自分に向いていた。

 

「その話はするなよ。あいつは一度、亭主と死別してる。子供もいた筈だ」


 普段、明るく振る舞う薙琳からは、想像もしていなかった。軒轅は驚いた顔を見せたと同時に、顔色は沈んでいた。

 

「……考え無しでした。申し訳ありません」


 素直に謝りながら、軒轅は意気消沈していた。それも、軒轅の悪い癖だ。貴族でありながら、感情が表に出やすい。若く未熟で在る事の表れでも在った。

 

「お前は、もう一寸考えてから言葉を口にしろ。不死がどれぐらい生きて、どう生きてきたかなんて、話したがらない奴は多いんだ」

「……はい」


 言い過ぎてはいない。そもそも、不死は年齢が分かりにくいのだ。話さないという事の意味を、軒轅も知るべきだと鸚史は考えていた。


「不死ってのは人生を繰り返すものだそうだ。きっかけはそれぞれだろうがな。永く生きりゃ連れ合いも代わる。下手な事は言わない方が良い」

「……はい」

「そろそろ行くか。暗くなる前に宿をとりたい」

 

 未だ、子供達と戯れる薙琳を引き離すのは少々気がひけるが、徐々に陽は落ちていた。

 夕暮れ時に差し掛かり、影が長く伸びて行く。景色がより一層の紅色に染まった頃、薙琳は子供達と別れを告げていた。

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