第五章 幽鬼の誘い

第1話

 世の中には、不死と言われる者が存在する。寿命の無い存在で、不老不死の如く若さを保ったまま永く生きる事も出来るのだと言われている。時折、只人や獣人族からも生まれるが、稀だ。

 そんな稀な存在が、女の身近にはいた。

 女の母親は不死だった。

 どんな人物だったかと問われれば、快活で、その村一番の腕っ節。いつまでも若い姿を保ち、その腕前を村の為に振るう姿は勇ましく、果敢と答えた。自分よりも体格が大きくとも、気にせず立ち向かい、時には容赦なく投げ飛ばしてしまう。そんな母親が、女には自慢だった。

 それも女自身が歳を取り始めると、女が母と呼ぶその姿は、いつしか女の子供達へと追いつきそうでならなかった。このままいけば、更には孫の代、曾孫の代もこの姿のままなのだろうか。そんな疑問すら浮かびそうだった。

 女は、水鏡を見た。お世辞にも、若さは消えつつある姿にため息しか出ない。自分は父親と同じで、老いていくだけだ。だが、母親はどうだろうか。

 いつまでも、いつまでも、若い姿のままで、生き続ける。母が隣にいるせいか、父は余計に弱々しく、衰えていく様だった。老いていく父が、時折、愚痴の様にポツリと言葉をこぼす事があった。


「俺なんか、捨てちまえば良いのにな」


 寂しそうに告げたその言葉に、父親らしい姿は無い。どちらかと言えば、いつまでも若い姿の母に申し訳なさを抱いている。


「……俺は、どうあがいても、もう直ぐ死ぬ。あいつは……どうするんだろうな」


 父親は自分が死んだ後の母を、想像していた。


「何も変わらないよ。母さん村の人達と上手くやってるし、大丈夫よ」


 只姿が若いだけだ。それ以外は、何ら変わりない。女は、父親を安心させている様で、自分を納得させたかった。

 そうして、女の父親が死を迎えると、母はてきぱきと葬儀の準備をした。悲しくはないのかと聞くと、悲しいが、しっかりと見送りたいと言って手を抜かない。祭主が祈りを贈る時も、亡骸に火をつける時も、母親は一粒の涙も流さなかった。

 元より芯の強い女だ。大丈夫だろうと、皆、口々にそう言った。火葬されている夫を前にしても、呆然とする母親の姿に、女は隣で寄り添う事はしなかった。


「……帰らないの?」

「旅立つまで、傍にいるつもり。あんたは一度家に帰ってなさい。後で、呼んであげるから」


 肉体は魂の楔だ。それが燃え尽き、遺骨と言う残骸のみになって、初めて黄泉へと旅立つ。女は、轟々と燃え続ける様を見つめている母をその場に残し、子供らが待つ家に帰った。

 

 それもニ刻も経つと、全てが燃え尽き、遺骨を墓所へと埋める。男手によって土が掛けられ、姿が見えなくなると、母は疲れたと言って、そそくさと家に帰っていった。

 その背中は、いつも通りで、哀しみに暮れる姿はどこにもない。皆の言う通り、母は大丈夫なのだろう。母は気丈だからと、その時は、何も考えていなかった。


 ――


 あの時、言葉を掛けていれば何か変わったのだろうか。キナは、母と最後に交わした言葉を何度も頭の中で繰り返していた。


―あの人の次に、あんたを看取る事を思うと、気が狂いそうになる


 とても、キナ自身に理解出来る言葉では無かった。

 同意も、賛同も、引き止める言葉すら浮かばなかった。あの腕を離さなければ、母はまだこの地に居たのだろうか。

 今でも。キナは、変わらぬ母の姿を思い出していた。不慮の事故でも無ければ、今も、母の姿は時が止まったままだろう。

 昔を懐かしむ様に、キナは子に、孫に母の話を語り続けるだけだった。

  

「おばあちゃんは、その人に会いたいの?」


 そう言ったのは、孫の一人のユラだった。キナも夫を亡くし、一人で家で過ごしていると、時々幼い孫たちが遊びに来る。囲炉裏を囲み、残り火だけを灯りに、布団一枚に寄り添っていると、誰かが必ず話をして欲しいと言う。キナは、母が語ってくれた寝物語や母や父の妖魔狩りの話をしてみせた。

 多少の誇張は入るが、キナが幼き頃は勇猛果敢に戦う様を、父が母の姿を語り、母は父の姿を語ってくれたものだ。今でも鮮明に覚えているそれを、孫達に幾度となくせがまれては話したのだった。


「……そうだね、会いたいね。でも、もう私の事は分からないかもしれない」


 既に、四十年以上の時が過ぎていた。顔は変わり、背は曲がってしまった。顔どころか身体中皺だらけで、声も嗄れた。きっと、目の前にいても気付きはしないだろう。それに、どこにいるかも分からないのだと告げ、自傷気味に笑っていると、じゃあ、とユラが声を上げた。


「夢の中でなら、会えるよ」


 キナは、くすくすと零しては静かに微笑んだ。子供らしい発想だ。子供達に話し続ける事で鮮明な記憶が残り、夢の中の母はいつも優しく笑っている。確かに、夢の中でなら会えるのだ。


「そうだね。今日も会いに来てくれると良いのだけど」


 都合の良い夢ばかりではないから、と零すと、ユラが再び口を開いた


「そうじゃないよ。会いにいくんだよ」

 

 流石にキナは首を傾げた。会いに行くとは、どう言う事だろうか。何気無く気になって、意味を問うと、ユラは辿々しく話し始めた。


「あのね、夢の中にはね。いっぱい道があるんだよ。キラキラ光って、ずっと先まで続いているの。それでね、その道の先はね、誰かの夢なの」


 興奮した様子で話す姿に、夢と現実が入り乱れていた。子供の発想はなんて豊かなのだろう。キナは、ユラが話す一言一句に優しく微笑みながら頷いていた。

 

「だからね。おばあちゃんのお母さんにも会えるんだよ」


 そう言ったユラは、キナの痩せ細り皺だらけの右手を小さな両の手で握り締めた。


「目をつむって、僕が良いよって言ったら目を開けて」


 キナはユラの子供遊びに付き合うことにした。子供らしく愛らしい遊びと思うと、キナも少しばかり童心に帰った気になれる。ユラの言う通りに、そっと目を閉じれば静かに闇が舞い降りた。仄かに聞こえるのは、目の前にいるユラと、自身の呼吸。更に耳をすませば、聞こえてくるのは囲炉裏の残り火や、外にいる虫の音だ。

 いつ、良いと言うのだろうか。女は目を開けたくもなったが、じっとユラの合図を待った。そうしていると、途端に周りが静かになった。吐息、残り火が爆ぜる音、虫の声、何一つとして耳には届いてこない。


「おばあちゃん、目を開けても良いよ」


 そうは言っても、空気は異様だった。ユラの声以外、何一つとして物音がしない。何故だか、とても恐ろしい場所に来てしまった気がしてならない。それでも、ユラが早くと急かすので、キナは恐る恐るも目を開いた。

 すると、どうだろうか。目を開いた筈なのに、目の前には、漆黒の闇が広がっている。

 何かがおかしい。


「……ユラ、ここは何処?」

「夢の中だよ」


 ユラの声に、そちらを向いた。ユラの手の体温だけはキナにも伝わっていたが、真っ暗闇だけがそこにあり、ユラの姿が瞳に映らない。


「おばあちゃんのお母さんは、何ていう名前なの?」

「……リン」


 ユラは怖くは無いのだろうか。暗闇で、表情すら読み取れないが、声だけは興奮している様にも聞こえる。


「じゃあ、あっち」


 そういうが早いか、ユラは勢い任せに、キナの手を引っ張った。子供の力とはいえ、今にもそのまま、いなくなってしまいそう。キナはその手が離れるのがとても恐ろしい事に思えてならなかった。

 

「待って、ユラ。私には、何も見えないの。ゆっくり歩いて頂戴」

「うん、わかった」


 明るく答えたユラは、キナの手を引いて、何も無い暗闇を歩き始めた。

 灯も無い、道を示すものも無い。だが、ユラは歩き続けた。どこに向かっているのか、本当に母に会えるのか、そもそも、ここは何処なのか。キナは幼い孫の進む道を信じるしか無かった。


「(これは、夢?いつの間にか、眠ってしまったの?)」


 手を引かれるままに、どれほど歩いた頃か、キナの手を握るユラに力が入ったかと思えば、ユラは足を止めていた。


「ユラ?」

「今日は、何も持ってないよ」


 キナにではない、に向けた言葉。

 

「お前らなんかに、やるもんか!!」


 先程までの、楽しげな声色から一転して、ユラはに対して怒りを向けていた。


「ユラ、どうしたの?何が見えてるの?」


 そう、呟くと同時だった。キナは、突如、空いていた左手が掴まれたかと思えば、とてつもない力で背後へと引っ張られた。とても、子供の力ではない。あまりの勢いに咄嗟に、キナは唯一の指針だったユラの手を離してしまった。


「おばあちゃん!!」


 慌てるユラの声が、何度となくキナを呼び続けた。だが、左手は掴まれたまま、無情にもキナの体はずるずると勢いそのままに引き摺られていく。ユラの声は、だんだんと遠くなり、そして暗闇の中に消えてしまった。

 無音の暗闇で、孤独と得体の知れないが、自分をどこかへと連れ去ろうとしている。

 身震いしそうな程の恐怖が全身を駆け巡り、引き摺られている間も、キナはもがいた。もがいては、念じ続けた。

 老人の抵抗などたかが知れている。腕が引きちぎられるかと思うほどに、引きずられ続け、恐怖に呑まれそうになっては、考え続けた。

 これは夢だ。子供の遊びに付き合った後に見た夢。だから、いつかは覚めるはず。そう、いつか――

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