番外編 亡霊の呼び声 参
風家邸の私室で、鸚史は疲れた顔を薙琳に見せながら机の椅子に深く座り、薙琳に向き合っていた。主人として話を聞くためだが、どうにも疲れている様で深くもたれては、自堕落極まりない。
「変な奴に引っかかったもんだな」
皇宮からの帰宅後、薙琳に話を聞いた鸚史は溜め息混じりに口を開いた。
鸚史も、薙琳に鬱憤が溜まり外出が増えているのは知っていた。与えられた仕事自体はこなしている為、外出自体は問題無い。寧ろ、現状を我慢させなければならない事を考慮すれば、致し方ないことでもある。
「(だが、どうにも話が見えてこない部分があるけどな)」
問題は、何故、黄軒轅が薙琳と接触したかだった。
「薙琳、本当に偶々、神殿で声をかけられただけ……なんだよな?」
「えぇ、そうですよ」
鸚史は疑いの眼差しを薙琳に向けたが、その姿は実に堂々としたものだった。少々話を省略しただけで、ある意味では嘘はついていない。心苦しさも感じていないため、薙琳の様子は至っていつも通りだ。
薙琳は、言伝を引き受ける代わりに一つだけ条件を出していた。
倒れた事は決して口外しない事。
軒轅はこれを了承し、神殿で偶々知り合った……という事にした訳だが。
「……それで、何となくだが、主人は誰かを察したと」
「はい。雇ってほしいと」
「黄軒轅か……良い噂は聞かねえな」
鸚史は腕を組み、俯き加減になると、頭を悩ませていた。
「確か、成人してもふらふらとしてるって話だ。要職に付けようとしても、颯爽と逃げちまうんだと。長子なだけに黄家は頭抱えてる……らしい」
あくまで噂だった。皇宮に勤めていない者など、所詮噂程度の情報しかない。加えて黄家だ。厳格な家の長子を貶める為という可能性もあったが、薙琳の話で噂の真実味は増したが、信用に足る人物かどうかも怪しくなっていた。
「定職に就く気になったって事ですかねぇ」
薙琳は昼間の出来事が今になって、余程白昼夢に思えていた。従者として主人を前に凛とした姿で立ってはいるが、顔は悠長なものだ。
「逃げる既だった事は確かなんだろ?話を聞いてみないことには何とも言えんが、隠れ続けてる事を考えると、どうしても受けたく無い話という可能性もある。俺を利用するってだけなら、即黄家に突き出すけどな」
――
――
――
そして二日後、鸚史は薙琳を伴って和號の店へ訪れた。
一階の店舗部分では織物が売られて賑わいを見せている。金持ち相手に商売をしているらしく、鮮やかで、金糸や絹まで混じった布地を見る限り、どれも良い品ばかりだ。客層の中には貴族もちらほらと混じり、鸚史は顔を合わせぬ様にと、客に混じって商品を軽く物色する振りを続けていた。暫くすると、店に顔を出した和號が薙琳に気付いたのか商売っ気を全面に出した良い笑顔で近づいていた。
「これはこれは、奥に上等な織物もご用意して御座います。僅かですが、絹織物も……如何ですか?」
「見せて貰おうか」
鸚史が答えるや否や、和號は二人を店の奥へと案内した。奥は大店と言える広さを見せ、居住区を兼ねているらしく、横を女中や下男が横を通り過ぎていく。
階段を登り、一つの部屋の前で和號は止まった。
「旦那、お客人が見えやしたよ」
そう言って、間髪入れずに扉を開けると、中では壁を背に、うつらうつらと舟を漕ぐ金の髪色をした男が一人。その手には、書籍が一冊手にされているが、部屋に差し込む陽気に当てられたのだろう。春も近く、良い心地なのは確かだ。
「旦那ぁ?」
更に近づいた和號が再び声を掛けると、眠気を帯びた顔をゆっくり上げる。暫く呆然としていたが、鸚史と薙琳の姿が視界に入ると、慌てて立ち上がると頭を下げた。
「失礼しましたっ、風
「ま、こんな陽気じゃ昼寝もしたくなるわな。出来れば、俺も休みはゆっくりと過ごしたいが……」
そう言って、鸚史は備え付けられていた窓際の卓に腰掛けた。和號もこれ以上は介入したく無いのか、逃げる様に立ち去っていった。
鸚史は卓をコツコツと指で鳴らすと、軒轅を向かいに座る様に指示すると、平静を取り戻したのか、落ち着き払って鸚史の向かいに座っていた。
「それで、俺の顔は知ってる様だが、本当に俺の下に付きたいと?俺が来ることは予測済みか?」
厳しい顔付きの鸚史だが、軒轅も黄家の一員とあって、動じる事なく座っている。
「いえ、正確には貴君か祝融殿下の代理の方がお見えになると予測しておりました」
「……薙琳を見た事があるのか?」
「皇宮で一度だけ。遠目で、どちらの従者であるかは分からなかったのですが」
鸚史は、驚くことは無かった。皇宮を歩いて居れば、誰の視界に入っていても不思議ではない。
「……それで、俺は面白半分に此処に来たわけだが。逃げてばかりの黄家の坊が、急に働きたくなった動機が知りたくてな」
鸚史は本心を述べていた。はっきりと、お前を雇いれるかどうかは決めていないと告げている。高位の一族に仕えると言うだけならば、黄家の後継として実績を残せば十分のはずだ。何が目的か、その真意が知りたかった。
「実の所、私は皇宮に勤める気はございません」
「……そりゃどういう意味だ?」
腕を組み明らかに警戒を見せ訝しむ鸚史を他所に、軒轅はしっかりと前を見据えて、口を開いた。
「私にも、業魔討伐に参加させて頂きたい」
その言葉に鸚史だけでなく、薙琳も顔を歪ませた。とても、生半可な決意で出来るものではない。
鸚史は考える間も無く、返事を口にしていた。
「悪いが断る」
「何故ですか!?」
軒轅は焦った。黄家という事に胡座をかていたわけではないが、家柄もあり検討も無く断られる事は予想にしていなかったようだ。せめて実力を見せる機会を与えられたなら、まだ猶予はあったが、鸚史はその猶予すら与えるつもりは無いと厳しい目を向けていた。
「一つ、俺はお前の実力を知らん。二つ、逃げ回っていた奴を信用しろって方が無理だ。業魔討伐に加わるならば、お前は祝融殿下の下に着くことになる。また逃げるかもしれん人材なんぞ殿下に紹介できるわけがない。三つ、今の状況でお前を勝手に雇えば、黄家との関係に影響する。黄家の揉め事に巻き込むんじゃねえ。以上だ」
軒轅は完膚なきまでに叩きのめされ、何も言い返せなかった。信用の無い現状では、実力を証明する機会すら叶わない。それまでピンと伸びていた軒轅の背筋は曲がり、落ち込んでいた。
それを見兼ねたのか、鸚史は「だが」と付け足した。
「もし、お前が本気で殿下に、お力添えを考えているなら、当主に自分で話をつけろ。誰に仕え、何をしたいかはっきりとな。それが出来ないなら、悪いが二度と会う事は無いだろう」
鸚史は全てを言い終えると、立ち上がり部屋を出て行った。薙琳もそれに続こうとしたが、軒轅に助けてもらった手前、力になれなかった事を申し訳なく感じ、そっと近寄り、落ち込む肩に手を当てた。
「ごめんなさい、力になれなくて」
先日の様な武人を思わせる口ぶりはなく、物腰柔らかい口調に、軒轅は思わず顔を上げた。
「いや、風左長史の仰る通りだ」
軒轅は何かを納得した様子だった。うん、と頷き、しっかりと前を見据え、確かな決意があった。
「これから、どうするんですか?」
「……家に帰る」
そう言った軒轅の顔は、潔いものだった。
「薙琳、行くぞ」
部屋の外で待っていたのか、鸚史の声が響いた。薙琳は慌てて扉に向かうも、再度振り返った。
「では、また」
「ああ、必ず」
――
――
――
店を出ると、大通りをふらふらと二人で歩いていた。その足は酒楼へと向かい、久しぶりの慣れた店に入ると、鸚史は先程の厳しい姿から一転、よくあるだらけた姿へと変わっていた。
薙琳からしてみれば、接しやすい姿だが、役人の姿を見た軒轅が見たらどう思うだろうか。そう思いながらも注文の品が揃うと、薙琳も、それまでの畏まった姿を忘れ勢いよく飲み始めた。
主従関係は変わらないが、向かい合って座れば一時的だが、それも忘れるというものだ。
「断ってよかったんですか?」
二杯目を注ぎながら薙琳は口を開いた。伝言を頼まれただけとは言え、軒轅の事が気に掛かっていた。全くの赤の他人ならばともかく、逃走を企てている時にわざわざ薙琳を助けたのだ。逃げの姿勢ばかりではあったが、劣悪な人物というわけでも無いだろう。
「あれだけ言われて呑気でいられる奴なら実力があっても要らん。だが、もし奴が、自力で話を漕ぎ着けるなら実力を試してやらんでもない」
鸚史は、はあと小さく溜息を吐いた。
「黄家は中立だ。物事に深く介入しようとしない。唆したとでも言われてみろ、此方が勝手に話を進めたと関係は悪化するだけだ」
薙琳は政治的な考え方に詳しくは無い。鸚史の話を聞いても、そういうものかと納得するだけだった。
「それとだな、実を言うと俺もそろそろ復帰しようと考えている」
思わぬ言葉に薙琳は目をぱちくりさせた。突然の言葉で、今ひとつ意味が掴めていない。
「……何にです?」
「業魔討伐だ。永遠に皇宮じゃ、折角の異能が鈍るだけだからな」
その言葉に薙琳は一瞬顔を強ばらせた。風家邸で過ごすよりも、そちらが向いている。それは確かな事だったが、ふと、夢の光景が頭いっぱいに広がっていた。
「……大丈夫か?」
固まってしまった薙琳の顔を、鸚史は心配そうに覗き込んだ。
「えぇ、大丈夫です。それで、いつから?」
「一月か、二月後に、祝融と一度合流する予定だ。それまでの間に勘を取り戻したいから、付き合ってくれ」
「……そんな暇あるんですか?」
「父上の意向でもあるからな。問題無い」
そう言った鸚史は、杯の中身を一気に流し込んだ。安酒だと言うのに、そこらの高値の酒よりも旨そうに飲んでいる。
「もしかして、軒轅様は……」
「間に合えば、共に行動する事になるかもな」
薙琳も色々思うところはあったが、以前の様に風家邸が居心地の良い場所では無くなっていた為、これで毎日煩わしい思いをせずに済むと思うと、小さく息を吐いていた。
「漸くあの女に睨まれずに済むな」
あの女。とても、自分の妻に対する物言いでは無かった。悪意ある言い方に、鸚史も又、彼女に不満を抱いている。
「……知ってたんですか?」
「知ってるも何も、いつまで、お前を雇うつもりだと言いやがった。全く面倒な女だ」
吐き捨てた言葉の一つ一つが、
「何で……いえ」
―何故、あの女と結婚したのでしょうか
だが、あまりに不躾だ。薙琳は、そのまま言葉を飲み込んだが、鸚史はその続きを悟った様に、楽しそうに笑いながら口を開いた。
「その内、教えてやるよ」
まだ言えない。だが、楽しみにでもしていろと言わんばかりに楽し気に、鸚史は更に酒を煽っていた。
――
久しぶりに二人で酒を飲んだとあって、少し飲み過ぎた鸚史と共に、街中を目的も無くふらふらと歩く。
「偶には、こう言う休みも悪く無いな」
「博打に行かないのであれば、お付き合いしますよ」
「何だ、知ってたのか」
カラカラと笑う鸚史の横を歩き、人混みを抜けていく。
『……母さん』
ふと、薙琳は振り返った。
また、声がする。
「どうした?」
「何でもありません」
訝しむ鸚史を安心させようと、薙琳は静かに笑って見せると、再び鸚史に歩調を合わせて歩き始めた。
薙琳は、鸚史と歩きながらも軒轅を思い出していた。逃げ出した理由は何であれ、軒轅は、向き合おうとしている。
では、自分は?
薙琳は浮かんだ疑問と共に、聞こえた筈の声を頭から消し去り、遠い過去の記憶にそっと蓋をした。
今は、同じ時間を生きる主人と共に在る為に――
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