第15話
皇都 郭家邸
丹省と違い、皇都には然程雪は積もらない。うっすらと白く積もった雪が庭を染めたが、それも日が昇り昼にもなれば全て消えてしまう。
まだ皇都へ来たばかりの頃は庭の手入れをしていたのは燼だったが、燼も祝融の従者となり時間が無くなると、彩華が面倒だと殆どの草木を撤去してしまった。何も無くなれば、鍛錬にちょうど良いと今も何も無いままだ。
殺風景としか言えない庭の様子を、燼は横目で流しては不安を押し殺しながらも家の扉を開けた。すると、使用人の一人がたまたま出掛ける既の処だった様で、突然空いた扉に驚いていた。
「燼様、お帰りなさいまし」
主人が家に居ない事が当たり前にも近い郭家邸は、少ない使用人で切り盛りしている。貴族相手に慣れているからか、例え燼が獣人族だろうと、不審に思っても口には出さない。
「彩華は?」
「居られますよ、昨日戻られたばかりでお昼寝中です」
戻ったという事は、静瑛と共に仕事にでも出たのだろう。少ないとは言え、鎮まる冬も業魔は出る。
「そうか、引き留めて悪かった」
「いえ、では私は出かけて参りますので」
颯爽と外へ出た使用人を見送り、燼は居間へと向かった。荷物を適当に転がすと長椅子に横になる。久しぶりの我が家、そう思える程に白仙山は遠かった。
夢と現を行き交う中、自分の所有する家では無いというのに、確かにそこは、帰るべき家だった。
冷え切った家の中、少しづつ日差しが強くなり、ぽかぽかと居間を照らし始めた頃、燼はうつらうつらと眠りこけそうになっていた。だがそれも束の間、顔に影が落ちたかと思うとぬっと覗き込んだ顔に一瞬驚くも、見慣れた黒髪と金色の瞳がそこにあった。
「お帰り」
眠気は覚め、いつもの顔を見ているだけで、心は静穏へと導かれる。
「……ただいま」
燼の目が覚めた事を確認したからか、彩華は対面の長椅子に座ると、後から入って来た使用人が用意した茶器に湯を注ぎ、一つを燼に差し出しす。燼の帰りを待ち侘びていたという訳でも無いのだろうが、用意された茶菓子は上等なものだった。
「これ、どうしたんだよ」
「槐様に頂いたの。お茶会の余り物だって」
贅沢な茶菓子を前に、彩華は満面の笑みを見せていた。彩られた生菓子は、甘味が好きな彩華には堪らないのだろう。それに反する様に、燼の顔は険しく、これからする話には似つかわしくないとすら思っていた。
「今回は長かったのね」
淹れたての香ばしい茶の香りを楽しみながら、繊細な手つきで茶杯を持ち上げる。彩華は作法に詳しくは無いらしいが、それでも、上品と言うには十分な仕草だ。茶菓子を摘む姿を目にすれば、至福の時を邪魔する様で、そのまま言葉を飲み込みそうになっている。
「(違うな……言い訳を作って逃げたいだけだ)」
茶杯にも茶菓子にも手をつけず、黙り込む燼に、彩華は首を傾げた。
「何かあった?」
「……話があるんだ」
卓の上に並んだものを考えれば、楽しい時間になった事だろう。それでも、燼はこれ以上先延ばしは出来なかった。
「彩華、俺――」
覚悟など、最初から無かったのだ。命を賭ける事だけが覚悟では無い。彩華が見せる表情など想像もできないままに、重く閉ざされた口を開き、燼は全てを語った。
使命を受け自らも思い悩んだ事、白神の子である事、白仙山へと赴いた事、そして、天命を受けし者を殺す使命を負った事。
燼は、只管に語りながらも恐怖に飲み込まれそうだった。それでも、全てを語れたのは、彩華が一切の口を挟まず真っ直ぐと燼を見ていたからだろう。その顔つきは真剣そのもので、相槌の一つも無い。そして、全てを語り終えると、燼は冷めてしまった茶杯の中身を一気に飲み干した。
彩華もまた、静かに一口だけ飲み込むと、そっと口を開いた。
「どうして、私に話してくれなかったの?」
真っ直ぐな瞳が、燼は苦しかった。
「俺が、自分勝手だから……彩華が知ったら、俺の事、嫌いなると思った」
燼の言葉が、辿々しくなった。子供の姿が浮かびそうな程に、不安気な姿を晒す。
燼には、まともな子供時代など無かった。それまで切り離し押し殺していた内面が浮き彫りになっている。不安が増せば増す程に、その姿が小さく見えていく様だった。
「俺、彩華しかいなかったから、後は切り捨てられるものばかりだって……でも……」
口から出る言葉は、喉から声を絞り出したかの様に震えている。苦しい、怖い、寂しい、ごちゃ混ぜになった感情が得も言われぬ感情を呼び起こしていた。
ずっと、燼は感情を抑えていたのだ。幼さはあっても、大人しく、手の掛からない子供。だが、その状況を作り置き去りにされた感情を押さえつけていたのは、奇しくも彩華の存在だった。
「もう、違うよね。もしかしたら白神の導きかもしれないけど、とても良い方に出会えたよね」
「……うん」
嗜められている子供同然に項垂れ、言葉の一つ一つに一喜一憂する。彩華にとって、懐かしい光景だった。成人してからというもの姿ばかりが大人びて、幼さは鳴りを潜めてしまった。
「その紹神官と言う方、私も会ってみたくなったなぁ」
ふと見上げた彩華の表情は、暖かな日差しの様に優しく柔らかい。その顔が、燼を再び成人した姿へと戻していた。
「今も、手紙はやり取りしてる」
「じゃあ、今度の冬は一緒に会いに行こっか」
今度の冬、それは見限られ無かったのだと告げていた。恐怖は薄まり、燼が平常心を取り戻す中、彩華は使用人に新しく湯を用意してもらうと、茶を淹れ直していた。
「さ、辛気臭い話はお終い。それより、どんな所だったの?」
何処とは言わなかったが、それが、鎮守の森や白仙山である事は言わずとも知れた事。彩華の瞳は嬉々として輝き、未知なる世界に心弾ませている。
燼は釣られて顔を綻ばせ、果てしなく遠く感じた旅路を語り始めたのだった。
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