第14話

 冷たい風が、白仙山から吹き降りる。それは、丹省都キアンにまで届き、都を雪で覆わせた。

 吹曝しとなった露台は、冷たい風が吹き付けている。祝融と燼、そして雲景は寒さをものともせずに、向き合っていた。


「燼が神子の一人と言うのは、信じましょう。神子の言葉に偽りは無い。ですが、それを我々に伏せる理由は何でしょうか」


 祝融は燼を見た。その顔は、不安が一面に広がっているが、小さく頷く。一つ真実を話し、その後を嘘で固めれば、信頼は取り戻せない。


「一つは、神子すら燼の存在を秘匿していると言う事。そして、もう一つは燼には二つ目の使命が降っている……という事だ」


 最早、雲景が何を言われても驚く事は無い。だが、異様だとは感じていた。使命など、早々神託として降るものでも無い筈だが、それを二つ賜ったと言う。


「……して、神託は何と」


 祝融は、静かに答えた。


「俺を殺す事だそうだ」


 まるで、他人事だ。自分が害される側である事を意にもかけないと落ち着き払っている。雲景は頭の中で、思考が混乱していた。

 白神が遣わし、使命を授けた男は、主人と共に戦う者だと言った。だが、今度は、別の何かが主人を弑する事を望んでいると言う。何が真実で何が嘘かも、最早わからない。


「何を言って……」


 混乱したままの雲景を他所に、祝融の背後で俯いていた男が僅かばかりに顔を上げた。叱咤された子供の様に、表情は暗い。それでも、振り絞る様に声を上げた。

 

「俺が白仙山に行ったのは、俺の力を鎮める為でした。白神の力を持ってしても、完全には……取り除く事は叶いませんでしたが……」


 燼は、出会って間もない頃に見た姿を思い出せそうな程に、辿々しい。その姿は、本当に子供時代に戻ってしまった様だ。

 雲景は考えるしか無かった。どうやったら、自分を納得させ、頭の中の混乱を抑えられるか。怒りを見せたお陰か、二人はすんなりと話したが、問題が予想以上に複雑だ。

 隠す理由は分かった。相手が信じるかどうかすら賭けるのも難しいと判断したのだろう。お陰で頭は冷え、怒りは静まりつつもあるが、そうなってくると問題だけが残った。

 考えは纏まらなかったが、雲景は、これだけは言わなければと、ぽつりぽつりと言葉をこぼし始めた。

 

「燼、彩華は、お前に使命があると聞いた時、怯えていた」


 恐らく、雲景だけが見た、縮こまり不安を曝け出した姿。恋人でも、友人でも無い曖昧な関係の雲景にだけ見せた姿は、普段気丈に振る舞っている女とは同一人物には見えなかった。


「……お前が何を思って彩華にひた隠すのかまでは、問わない。だが、本当に彩華を想うなら話をした方が良い」


 先達である雲景の言葉は、燼に良く響いた。言葉一つ一つが突き刺さり、目を伏せ思い悩む姿は、弱々しい。

 

「彩華は何と?」

「自分が祝融様に跪いたのは自分の意志で無かったのかもしれないと。燼を家族として想う心すら、神に導かれた結果では無いのかと」

「あ……」


 それは、いつしか燼も思い悩んだ事柄だった。

 彩華と出会ったのは、偶然では無かったのでは?

 その答えは、紹神官の助言で糸も簡単に答えは出たが、それが無ければいつまでも、考え続けそれは心の澱みとなって降り積もっていっただろう。


『どちらでも、構わないのでは?』


 物静かで朗らかな紹神官のあっけらかんとした回答は今でも、燼の胸の内に残っている。


「燼、お前が思うよりも、彩華は繊細だ。そうやって、危険な目に遭わない様にと遠ざければ、後戻りできなくなるぞ」


 雲景の言葉で、燼は背筋がぞっと凍る思いだった。全てを隠し、今まで通り……そんな単純な思考しかない事を恥、愚かでしかない考えばかりで、彩華の想いなど一切考えていなかったのだ。


「俺……本当に自分の事しか、考えていなかったのかも……」

「ならば改めろ。彩華を家族と想うならば、尚更だ」


 家族。それは、彩華が最も求めるものだ。


「祝融様、俺……」

「いや、到底無理があった。皇都へと戻り次第、皆に話そう」


 そう言われて、燼はほっとした。何をもって覚悟というか。燼は、いつだって自分の命を天秤に乗せている。だが、それだけだった。信頼、信用、そう言った感情を無視し続けた。

 それを乗せた途端に、燼の覚悟など、脆くも崩れ去ってしまったのだ。

 

「はい……」


 安心したのか、その顔には酷く疲れが見えた。白仙山から戻ってきてから、まともに休んでいないのもあるのだろう。

 

「燼、明日には皇都に戻る。先に休んでおけ」

「承知しました……」


 燼は、身体を引き摺る様に、その場を後にした。それを見届けると、雲景は燼が消え去った方を眺め続けた。


「……燼は、まだ何か隠している様に見えましたが」


 どうにも様子は、憂いたままだ。


「俺が知っているのは、此処迄だ。して貰えるかは分からんが」


 露台欄干の雪を払い、祝融は腰掛ける。ふうと一息吐いたかと思えば、祝融は神妙な顔のまま、言葉を続けた。


「……雲景、燼をこれ以上問いただしてやるな」


 先程、隠し事で信頼が途絶えかけたと言うのに、まだ続けると言う主人に、雲景は呆れた目を向けた。

 

「それだと、最初に戻りませんか?」

「あれは、何も説明してなかったからだろう」


 雲景に対して、祝融は足下に目線を落としながら答えた。そこには迷いや不審がある訳ではなく、祝融もまた、燼に対して思うところがあった。


「神々と同じだ。燼も又、全てを語れない」


 雲景の脳裏に、異常なまでに不安な姿を見せる燼が蘇った。

 

「……それとも、もう信頼出来ないか?」

「いえ、二人は実直にお話下さいました。正直、荷が重いですが」


 溢れた本音に、祝融は含んで笑っていた。

 

「だから、話さなかったのだ」


 笑うが、表情は暗い。その、語れないに苛立っている。

 

「祝融様は、燼を通して何を見ているのですか?」


 祝融は、その瞳を雲景に真っ直ぐに向けた。暗く、殺意を宿したそれは、雲景の背筋をぞわりと粟立てた。

  

「……俺が見えないものを見通す為だ。夢見は貴重だ。わざわざ神が俺の下に子を遣わしたというならば利用しない手はない」


 神々に力を宿された男は、自らの心が決めた存在だけを信じている。恐らくそこに、神は含まれていない。

 冷酷な面を垣間見せたが、それは僅かな時間で朝日が登るが如く、消えていった。消えたかと思えば、その顔はいつも通りの温厚なものへと変貌し、途端に口が軽くなった。


「ところで、お前が彩華とどう言った関係なのかが聞きたいんだが」


 それまでの、真剣な表情など消え去ったと、今度はにやついた表情を見せてくる。

 

「私事までお話しする義務は有りません」


 雲景がキッパリと返すも、疑いの眼差しは続いている。

 

「どう考えても、先程の言葉は只の同僚では無かったぞ」

「……では、恋人では無いとだけ言っておきます」


 匂わせたつもりもなければ、適当に友人と返す事もできたのだろう。だが、彩華に縁談が申し込まれた事を雲景も知っていた。それを踏まえると、適度に言葉も必要だ。雲景は、そう言った話に口を出す権利は無いが、牽制はしておきたかった。

 

「(それはそれで気になるが)」

「出来れば他言無用でお願いいたします。仕事には一切影響は有りませんので」


 雲景と彩華の関係は、それこそ何年と経っている。今まで、誰一人として気づかなかったのなら、何の問題が無いのも確かだった。が、問題が一つ。雲景もそれなりの年齢である、と言う事だけだ。


「俺は朱家当主に、縁談に前向きになる様説得してくれと頼まれているんだが」

「では、忙しくてそれどころで無いとお伝え下さい」


 祝融はぐうの音も出なかった。忙しくさせている張本人の為、下手に返す事も出来なかった。どの道、本気で雲景の私事にまで踏み込むつもりはない。恋人らしき関係がいるというのなら、それこそ口出しする必要もないだろう。


「わかった、そう伝えておく」

 

 そう言うと、祝融は立ち上がった。


「さてと、軍部にでも顔を出すかな」

「では、お供します」

「お前は疲れていないのか」

「イルドとキアンの往復程度は大した疲労では無いですよ」

 

 普段通りに戻った二人は、その立場こそ主従関係のままだったが、久方振りの友としての会話が、楽しくもあった。


「そういえば、祝宴は如何でしたか?」

「それがだな――」

 

 ――


 赤を基調とした贅沢な部屋。燼は慣れない豪奢な作りの客室に、普段ならば落ち着かないと早々に部屋を出ていた事だろう。だが、疲れか、不安か、今はそんな気力は無く、呆然と寝台に寝転がり天井を見ていた。瞼は今にも落ちそうで、頭の中を整理する事すら出来そうになかった。


「(駄目だな……)」


 城は広く、客室周辺には人の気配も無い。広い部屋の中、微睡に負け目を閉じると、静寂だけが残った。


―燼……


 静寂の中、誰ともわからない声が呼ぶ。

 それは、夢か現か。

 信ずるべき存在か、そうでないものか。

 燼は、全てを拒絶する様に耳を塞いでは、深い深い夢の奥底で、眠りについた。

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