第13話

 身体が鉛の様に重く感じた。卓にうつ伏せになったまま、眠っていただけだが、隙間から見える光からして大して時間は経っていない様だ。重々しい身体を起こせば、又も目の前に黒髪の人物が座っては、もの目珍しげに燼に目を向けている。貴人の様相に一瞬、と見間違えそうになったが、顔は穏和で、どこをどう見ても、半月振りに見る主人の姿だった。

 悠々自適に杯を手にしては、肴をつまんでいる。


「よく寝ていたな……疲れていたか?」

「……すみません」

「何、戻ったばかりだと聞いたからな」


 話しながらも、その手は止まらない。


「酷い顔だぞ。悪夢でも見たかのようだ」


 ある意味で、悪夢だ。あの男が告げた事、抗えば抗う程、飲み込まれていくという事。どんな悪夢にせよ、燼は夢を語るわけにはいかなかった。

 話を逸らそう。そう思い、姿勢を正す。


「いつ丹に?」

「つい先程だ、雲景はどうした」

「……分かりません」


 気不味さからか、燼はつい目を逸らしてしまった。


「……祝融様は、喧嘩……じゃないな、見限られた時どうしますか」


 どう考えても、その相手は雲景だが、子供の様に罰が悪い事は隠してしまいたい気分だった。それを悟ってか、祝融も敢えて何も聞かずに答えた。

 

「俺は諦めた。取り付く島も無かったからな。原因が分からなかったというのもあるが……」


 祝融の目線は遥か彼方を捉え、きっぱりと答えたそれは、どこか物悲しい。


「あのまま、関係が真っ当だったらと、何度も考えた。もう、手遅れだが」


 諦めたと言うよりは、諦めざるを得なかったのだろう。祝融は目線を合わせる事なく、さらに続けた。


「そうなりたいか?」


 思わず、燼の肩が跳ねた。


「……俺、何も考えてなかったのかも知れません」


 何も……何も語らず、突き通そうと決めたのは祝融の意向もあった。燼が神の子である事が、神子達から神殿どころか神農にすら伝えられず、胸に仕舞われたまま。秘匿とする事に意味があるならば、祝融も下手に口には出来ないと考えていた。下手をすれば、燼の立場の行方が分からなくなるのもある。

 祝融は確固たる地位にあるわけでは無い。燼の事が漏れたなら、神殿にも守られぬ弱い立場が浮き彫りとなって、利用しようとする輩も出てくるだろう。それまでに無かった存在。記録に無い存在。そう言った弱い存在は格好の餌食だ。

 

「俺では、お前の立場を守るには脆弱だ。時を見て話すつもりではあったが……俺まで神域に出向いた事が余計に不安を煽ったやもしれんな」

「……もう、信頼は出来ないと。覚悟があるならば、突き通せと言われました」

「不満は俺に言えと言っておいたんだがな……」


 やはり、隠し事なんてするものではない。しかも、説明も無しに、雲景は目の前の異常事態を受け入れろと言われているのだ。とても、飲み込めるものでは無かったのだろう。


「燼、今の状況が嫌なら俺から話す。もしかしたら、何も変わらんかもしれんがな。だが、雲景は俺にとっては友人だ。実の所、隠し事は避けたい」


 一つ、隠し事を話せば、全てを話さなくてはならなくなる。何故、白仙山に赴いたか。そこで嘘をつけば、いずれ信用は消え失せる。だが、真実も又、主人を危険に晒すものだ。


「俺も同行したいのですが」

「そうか、雲景を探さないとな……」


 祝融は、杯を置くと立ち上がった。今は、もう一つの問題に目を伏せ、燼も祝融に続いた。


 ――


 城内には、雲景以外にも朱家やその分家が多くいる。紅砒城は広く広大だ。皇宮程で無いにしろ、敷地の中には城の他に、多くの分家筋やその他城に勤める者が住む住居も存在する。何処にいるかなど、安易な考えにも思えたが、意外にも城に勤めている者達は見慣れない赤龍族の姿が何処に行ったかを逐一教えてくれた。

 そうして辿り着いた先は、城の一角にある城下町を一望できる露台だった。春には、花見や演舞が行われるそこは、雪は取り払われているが、寒さで誰も近づかない。


「お戻りになられていたのですね」


 景色を展望しては、雲景は主人に目を向けはしない。従者としてあるまじき行為であったが、心の迷いが雲景の行動全てを妨げていた。


「……話がある」


 雲景が僅かに反応した。ゆっくりと後ろを振りむていは、その顔は険しい。


「何故急に話す気になったので?私の態度が気に食わないから?それなら、ご安心を。今までと同様に仕事はこなします」

「お前を信頼していないから、黙ってたいわけではない」

「不都合があったのは確かなのでしょう」


 祝融は、これ程までにはっきりと感情を顕にする雲景を見るのは初めてだった。何事も動じない男が、静かに怒りを向けている。


「そう考えたのは確かだが……今事実を知るのは、俺と燼、そして神子達だけだからだ」


 その瞬間に、雲景の顔が崩れた。険しさは消え、驚きと不安が錯綜している。『神子』、その言葉だけで事の大きさが滲みでいていた。

 燼が使命を受けた存在である事、そしてその使命だけは雲景も聞いていた。使命とは、言葉として伝えられる事は稀だ。燼の不確かな力が、その為に与えられたもの、そう言えば聞こえは良いが、雲景はどうにも納得できないでいた。


―あの禍々しい姿は、本当に神から与えられた物だろうか


 ――

 ――

 ――


数年前 皇都 

 

『燼に使命が降った』


 祝融の居宮にて、人払いした応接間に集められた面々に伝えられたのは、あまりにも仰々しいものだった。本人は落ち着き払って、何事も無くそこにいる。

 不確かな力を携えた男ではあったが、それが神から齎されたものだと言う。異能と言うには禍々しく、その力は狂気に満ちている。

 雲景には、自己意思で管理出来ないほどの膨大な力を神が授けた力と納得するには、とても困難な事だった。それでも、男を信用し親身になれたのは、男の後見人が男を家族同然に扱っていたからだ。種族は違っても、輝く金の瞳の色さえ違えば、二人はさながら姉弟同然にも見えた事だろう。その姿だけを見れば、害意も悪意もまるで無い、真面目な青年だ。

 雲景は、隣に立つ後見人を横目で見た。その瞳に迷いも疑いも無く、終始無言で男を見つめている。

 全ての話が終えると、主人は燼と共に話があると残ったが、其々が散り散りに帰っていく中で、雲景は颯爽と歩く彩華を追いかけていた。


「彩華」


 声に反応してか、彩華は、すたすたと歩いていた足を止め、何気ない普段通りの顔で振り返った。


「どうされました?」

「……話がある」


 既に二人だけとなったが、主人の居宮は広く何処で誰が聞いてるかなど分からない。


「では、雲景様のお家で?」 

「あぁ、それで構わない」

「では、後で向かいます」


 そう言った彩華はまた、すたすたと歩き始めた。その姿はいつもと何ら変わらず、動揺しているのは自分だけだろうか、そんな考えが雲景の頭に浮かんでいた。


 ――


 貴族街の一角に雲景の住む家はある。皇宮からも近く、宿舎の一間を借りているとの事だった。家を借りるよりは安く一人で住むには十分な広さがある。本来は下級の役人が住む為のものだが、雲景は伝手を使って、そこに潜り込んでいた。

 部屋の中に使用人の姿は無く、雲景はそう言った者を雇っていない。彩華は最初こそ、その話を聞いて、朱家程の家柄で借りる様な家では無いと不思議に思ったが、共に同じ主人に仕える事で漸く理解した。兎に角忙しく、殆どが寝るためだけにある家なのだと。

 その家の中、彩華は居間の窓の桟に座って外を眺めていた。三階建ての宿舎は見晴らしが良く、既に薄暗くなり灯で照らされた都を一望できる。

 二つ先は大通りだ、洗朱色の街並みが行燈に照らされ、その明るさで賑やかな雰囲気まで伝わってきそうだった。


「雲景様は、朱家の方々と共に住まわれないのですか?」


 都を眺めたまま、彩華は長椅子に腰掛け、何度となく訪れる様になった部屋の主に話しかけた。部屋の主は、行燈を一つ灯しただけの薄明るい部屋の中、ちびちびと酒を嗜んでいた。杯は二つ用意したが、一つは未だ空のまま。

 

「……良い歳の男が親族の家にいると、家に帰る度に結婚の催促をされる。ただでさえ時間が無いのに、どうでも良い相手に時間を奪われたくは無い」

 

 朱家は皇都と丹に家を持っている。本家は丹にあり、皇都で働く者の為に、いくつかの屋敷が用意されていた。その内の一つに、当主が住まい、その他には宿舎と同じ様に部屋を与えられていた。窮屈では無いが、朱家当主は雲景の大伯父で、祝融の従者をしていると何かと口を出そうとしてくるのだと言う。更には、従者として恥ずかしく無い様に、家庭を持つ様にとまで言う様になってしまった。雲景は堪らず逃げ出したが、の状況を思えば、逃げ出して良かったとすら、雲景は考えていた。

 酒を飲みながらも、目線は窓際に座り込んだ女に向いていた。主人の前では、お互い同僚だが、だけは、違う。


「そんな所で外など見ていないで、こちらに来たらどうだ」


 そう言って、長椅子の空いている部分叩いて見せる。彩華振り向くも、その眼差しは、仕事のそれと変わらない。

 

「話があると言われたではないですか。燼の事ではないのですか?」

「まあ、そうだが」


 雲景は堪らず溜息を吐いた。自分の中にある悶々とした考えを吐き出したかったのもあるが、彩華はどう言った心情であれを受け止めたのか、それを問いただしたいのもあった。雲景は酒を喉に流し込むと、勢いに乗じて口を開く。


「今日の話、知っていたのか?」


 雲景の問いに、彩華はそっぽを向く様に、また都を見下ろした。

 

「いいえ、何一つとして……」


 その声は、冷ややかだった。表面に見え難いだけで、彩華も又、を感じているのだろう。ただ、その心情ははっきりと見えては来ない。


「……雲景様、私、本当に燼を拾ったのも手元に置いたのも偶然だったんです」


 冷めた声が、淡々と続いていた。


「でも今日、話を聞いた時、分からなくなったんです」

「……どの部分がだ?」

「全てです」


 その言葉と共に、不安に満ちた瞳が、再び雲景を捉えていた。

 

「私は、自分の意志で燼を家族と思っているのでしょうか。本当に望んで祝融様に跪いたのでしょうか」


 膝を抱えては縮こまった。不安が全身に伝わっては、虚しくもあり、恐ろしくもあった。彩華は信仰心ある身だ。それでも、今まで自分が選んだと信じていた道が、誰かの手によって用意されていた、そう考えると、今此処にいる事さえも、自分の意志で無い様な気がしてならなかった。

 

「神の導きだと考えるか?」

「天啓が私にも降ったと思えば、それまでです。でも、そうだとしたら、私の意志は何処にあるのでしょう?」


 膝を抱える弱々しい姿に雲景は堪らず立ち上がると、彩華に近づきその身を強く抱きしめた。

 

「彩華、神々は、どれだけ敬虔だろうと何も語ってはくれない」

「……わかっております。神への懐疑は何よりも罪です」


 敬虔なる龍人族、その身が既に人からかけ離れた存在であっても、神と相見える事は無い。


「申し訳ありません、雲景様がお話があると言っていたのに、私ばかりで……」

「いや、良い。どう考えてるかを、聞きたかった」

 

 ふと、我に帰ると、彩華は腕に力を入れ、腕の中から逃げ出そうとするが、雲景がそれを良しとしない。逃げられない様にか、そのまま彩華を抱えあげ、長椅子に戻ると彩華を隣に座らせた。杯二つに酒を注ぎ込むと、一つを彩華に推める。素直に受け取り、それを一口、また一口と流し込んだ。

 そうして、何度か酒が入ると、口がまた動き出す。

 

「雲景様は、何が不安でいらっしゃるのですか」

「……私は、燼が未だ不確かな存在に見える。にも関わらず、祝融様は、その事は何一つとして語らない。二人が何かを隠している様にも……」


 言葉は止まった。酒が回っているとは言え、主人を疑うなどあってはならない。酒を遠ざけ、椅子に凭れると腕で顔を覆い天を仰いだ。

 

「すまん、忘れてくれ」

「えぇ、酒の所為です。それに、何も語らないのは、何かお考えがあっての事でしょう」

「……そうだな」


 お互い、腹の中を語ってもいま一つすっきりとしない。それでも、疑わない。疑うべきでは無い。そう自分に言い聞かせては、無理矢理にでも納得するしか術は無かった。


 ――

 ――

 ――


 あれから、数年が経った。あの時無理矢理に納得させたと言うのに、雲景の中で、再び祝融と燼への懐疑は増している。更には彩華には頑なに隠してばかりだ。恐らく、それは燼の考えだと予測はつく。

 だが、あの日の彩華の心許ない姿を慮れば、それは怒りへと変貌していた。

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