第14話

「静瑛とは、上手くやれてるのか?」


 燼の寝台傍の椅子に腰掛ける男は、温和な顔つきを見せていた。

 彩華と違って、本当に眠っていなかったかが疑わしい程に、疲れている様など微塵も見せる様子もない。

 龍の背に乗って長時間飛ぶのは、存外に大変だ。平均的な速さで飛ぶなら馬に乗るのと大差無いが、龍は速い。急げば急ぐ程に吹き荒ぶ風が皮膚にあたって痛いのだ。

 不死の一族というのは、只人と違うとは聞いた事はあったが、目の前の男は、それ以上に屈強な気がしてならなかった。


「静瑛様のが無ければ、これと言って」

「それは、目を瞑ってやってくれ。あいつの息抜きみたいなものだ」


 祝融が顔を見せた事で、彩華は席を外した。聞かせたく無い事を話すのだろうが、今の温和な表情ではそれも読み取れない。

 鞍替えしたとは言え、今も祝融は主人の一人だ。知り合って、数年が経つが、彩華と同じく姿に変わりは無い。不死として生きるその姿は、若々しくも堂々としている。


「……今回は危うかったな」


 死にかけた事か、それとも死のうとした事か、どちらの意味だろうか。彼の身分の高さ故だろうか。表情を読み取らせまいとするからこそ、温和に見えて仕方がなかった。


「いえ、今回も飲まれてしまいました」


 目線を逸らす燼に、祝融は頬杖を突いて、悠然と構えていた。


「静瑛から話は聞いた。だが、飲まれながらも意識はあったのだろう?」

「僅かに……ですが」

「僅かでも、成長だな。どうやった?」

「……よく、分かりません」


 燼は、自分の状況も、が何者かも分からない状況で、考えも纏まらず、安易に言葉を口にすることが出来なかった。だが、そんな考えは直ぐに見抜かれる。


「燼、どこまでなら話せる」


 虚をついた言葉に、燼は思わず肩を竦ませた。

 信じて貰えるのだろうか。拳を握り締め、祝融の顔を見る事が出来ない。


「祝融様は、夢に意味を求めますか?」


 祝融の問いに対して、答えにはなっていない。それでも、燼は自分が見たものに意味を見出せなければ、何も語れなかった。

 訝しむだろうか、それとも冗談と思われるだろうか。顎に手を当て、考え込む姿勢を見せた祝融を、燼は待った。


「叔母上……神子である瑤姫様が、夢について語ってくれた事がある」


 未だ、何かを考えたまま語り出した祝融は、あくまで聞いた話だと強調した。


―夢には、二つの事象がある

 

 一つは、頭の中にある記憶を辿る、夢。これが、一般的な夢とされるものであり、誰しもが体験するものである。眠れば、そこにあるもので、それは安寧の時でもある。

 もう一つは、夢の通い路を通り抜けた先にある、幻夢。こちらは、夢見の力があって初めて辿り着くとされる。

 だが、夢の通い路は、迷いの道。

 夢の通い路に安易に入り込んではいけない。それが本当の道かなど、夢見の力が無ければ見極められぬ。何より、黄泉への道を見失った者達が、夢の通い路でとなって、迷い込んだ魂を待っていると言う。


「夢見って……」

「子供の頃には、誰しもが持つ力だそうだ。成長するにつれ、力の扱い方を忘れ消えていくものらしい。俺も、夢見の力はもう持っていない。だが、ごく稀に、夢見の力を維持したまま成長する者がいるらしい。無自覚な者が多いらしいがな」


 夢の事象はわかったが、結局、夢に意味を見出せるかどうかには至っていない。

 

「結局、幻夢とは……」

「神子達は、理の世ことわりのよとも、呼んでいる。そこに何が居るか、何があるかまでは語ってはくれなかった」


 祝融は一頻り語り終えると、燼を見た。燼もまた、いつの間にか俯いた表情から一転して、祝融の話を聞き入っている。


「燼、お前には、何が見えている」


 まだ、答えは出ていない。燼に、夢見の力が残っているかどうかも、夢に見たあの場所が幻夢かも、今は定かでは無い。何処から話したものか、何処まで話すべきか。


「夢か現かも判別出来ない場所で……ある男が、夢の中で俺に言ったんです。種を蒔いたと」

「種?」

「花見のついでに様子を見に来たと言っていました。男が種を蒔いたと指差す先からも、陰の気配が漂っていて……」


 燼は辿々しくも続けた。


、男に背を押された気がしたんです。それで、気付いた時には、静瑛様に……」


 燼は、また俯いた。言葉にすればする程、取り止めの無い現実が、そこにあった。


「……やっぱり、ただの夢ですよね」

「いや、俺に判断する能力が無いとも言える。もう時期、此方に神子が一人来る予定だ。叔母上を頼り、燼の面会を申し出てみる」

「ですが、神子に面会出来るのは、血縁だけでは?」

「……まあ、偶には権力を使わないとな」


 まるで、悪巧みを企む子供の様に、口の端を吊り上げては笑って見せる。落ち込むばかりの燼を心配しているのか、わざと明るく振舞っている様にも見える。

 陰の気配に囚われてばかりの燼を、祝融も心配していた。冷淡な一面を見せたのは、抑え込む手段の一つでもあったからだ。神の祝福である異能か、眷属神の血か。どちらに反応しているにせよ、燼を殺さない手段が必要だった。


「俺が、お前にしてやれるのは、それぐらいだ」

「……俺、大して恩返しなんて出来ません」

「見返りと言うならば、お前も、彩華も、十分過ぎる程尽くしてくれている。それに、どの道お前は、その傷では移動もままならん」


 燼は、思わず自身の体を見た。傷にまみれ、見知らぬ者が見れば、何事かと大騒ぎする事だろう。今も、鈍い痛みが続き、寝台に上半身だけを起こしている状態だ。龍で移動も出来ないのなら、暫く雲省に留まるしかない。


「それに、神子に会えたとして、解決するかは別だ。」


 神子の力も、万能ではないのだろう。彼女達の力は全てが見通せる訳ではないと、言われているが、燼には其れがどれ程のものかなど、想像も出来ない。

 文字通り、神の子とされる彼女達を理解できる存在があるとすれば、それこそ神ならざるものだ。


「兎に角だ、暫く飛唱と共に養生していろ。後、出来る限り神学の勉強に励む事」

「えっっ!よりによって……」

「静瑛の話だと、珍しく神殿に目を向け、神官の一人と関わりを持ったそうだな。今頃、静瑛がその神官に頼み事でもしている事だろう」

「だからって……全然、休養になって無いですよ」


 燼は今でも、勉強が嫌いだ。皇族付きになったのなら、学ぶ事は多く有る。彩華が子供の頃から、多くを学ばせようとした事には意味があったのだと納得は出来たが、向き不向きで言えば、向いてないの一言なのだ。

 

「お目付役には飛唱が居るからな。扱かれてこい」


 嫌な顔を隠しもしない燼に、祝融は高らかに笑っていた。どの道、逃げ場も無ければ、暫く逃げる気力も湧かないだろう。


「神子との面会まで、俺は此処に滞在出来るかは分からん。飛唱に志鳥を渡しておく。何か有れば、連絡を寄越せば良い」

「静瑛様は……」

「暫くは、俺と一緒に行動だな。一度、鸚史とも合流した方が良いかもしれん」


 燼から目を逸らし、祝融は窓の外を見た。既に、太陽は沈み、賑やかな夜が始まろうとしている。混乱があったとは言え、大通りに大した被害は無い。特に休む理由も無ければ、どの店も開店するのだろう。


「さて、時間もあるし、俺は飲みに行くかな」


 伸びをしながら立ち上がった主人は、清々しい顔で皇族らしからぬ発言を、さも当たり前に言ってのける。お陰で、燼は、時々この御仁が雲上人である事を忘れそうになると、何度思ったことか。

 

「また、雲景様に小言を言われますよ」

「何、今は疲れ切って寝ているだろ」 

「誰も連れて行かないつもりですか?」

 

 祝融は恐ろしい程飲む。加減を知らないなんて生易しいものでは無く、際限無く飲み続けるのだ。流石の静瑛も、祝融には付き合えず、祝融一人が飲み続けるのが、お決まりになっている。だからと言って、皇族が御付きも無しに出かけるなど、もっての外だ。


「静瑛に言うなよ、雲景より厄介だ」


 また、悪巧みの顔だ。


「(この人は、生まれる家を間違えたのでは無いのだろうか)」


 使命にも、家柄にも縛られていると言うのに、従者とはいえ他人に気を使ってばかりだ。なのに、今も飄々とした態度で、楽しげな様子を見せる。


「じゃあ、お前は寝てろよ」


 そう言って、軽く手を振って出ていった。

 ふっと、燼の中で何かが切れ、ずるずると体は寝台に張り付く様に横になった。祝融相手に緊張していたわけではない。ただ、一気に色々ありすぎて、既に頭の中の容量はいっぱいだった。得体の知れない何かに、幻夢、そして神子。獣人族の村で生きていたなら、関わる事の無い事ばかりだ。


「疲れた……」


 考えるのは止めよう。起きてから大して時間は経っていないが、横になって天井を見上げていると、少しずつ瞼は重くなり、微睡の中へと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る