第13話

「二人の容態はどうだ」

「絶対安静です。無茶をさせてしまいました」


 静瑛は城壁の上から、一日遅れて辿り着いた祝融と共に都を眺めていた。妖魔の氾濫が一時的に起こったが、残っていた兵士や飛唱達によって民に甚大な被害が出る事は無かった。小作人達の民家こそ、いくつか倒壊したが、そちらも被害は出ていない。

 問題は、武官の半数を喪った事だった。

 城壁外の光景は無惨で、今も、業魔の死骸の中から亡くなった者達の亡骸の捜索が続けられている。

 軍として、まともに機能するかどうかも怪しい状態に、雲省の損害は計り知れない。


「どちらも重症ですので、暫くは、二人共休ませます」

「二人揃って、見事に穴開きというわけか」


 場を和ませようと、冗談混じりに言うも、当たりどころが悪ければ、二人とも即死していたであろう怪我。どうやっても、笑い飛ばす事など、出来なかった。

 静瑛の翳りを見せる表情に祝融もまた、顔が曇っていった。


「間に合わなくて、すまなかったな」


 全てを背負う必要など無い筈なのに、そう言った祝融の顔は、苦悶に満ちている。

 犠牲は付き物だ。全てを救える筈などない。そう言ってしまえば簡単で、全てを抱え込むなど、心が擦り減っていくばかり。


「いえ、私が頼りないばかりに、武官の多くに犠牲が出ました。燼も――」


 静瑛の目線は、遥か遠い先を見ていた。


「また、例のが出ました」

「……被害は無かったんだろう?だからこそ、燼は生きている」


 その言葉に、静瑛は苦々しい顔に変わった。


「殺してくれと、頼まれました」


 祝融は静瑛を見れなかった。その心痛は、言葉だけでも十二分に伝わってくる。


「覚悟はしていただろう」

「していました。いつか、事が起こると」

「では、何故決断しなかった」


 静瑛は答えない。

 覚悟はあった。あのまま、燼が静瑛に向かっていたら、確実に斬っていたであろう。

 だが、燼は抵抗したのだ。中にいるに。


「……兄上は、燼が何者かを考えた事はありますか?」

「あるが、結論には至っていない」

「燼は、自らの手で死ねないと言いました。まるで、誰かに命を握られているかの様に」


 その瞬間、静瑛の手に力が篭った。、燼は本気で自ら命を絶とうとしていた。力に飲み込まれながらも、人を傷つけまいとした選択だった筈。にも関わらず、そんな燼を嘲笑うかの様に何かに妨害され、静瑛に殺してくれと懇願したのだ。


「燼の様子はどうだ?」

「落ち着いていますが、何かを恐れています」

……か」


 静瑛は祝融を見た。など、一つしか考えつかない。目に見えず、こちらの問いかけに答えてくれるでもない。計り知れない考えに、手立ても無い。

 祝融が天命を受けた様に、燼もまた――

 そんな考えが、静瑛の頭に浮かんでいた。


「……とりあえず、燼に話を聴く。今後もお前に任せるかは、それから決めよう」

 

――

――

――


 硬く、冷んやりとした床が、あの時を思い出した。瞼を開けると、燼の目に見覚えのある天井の景色が飛び込んでいた。

 小神殿の神々が祀られた廟の中、また、此処に来たのだと、燼は起き上がり、辺りを見渡した。


「また、探し物か?」


 燼の背後から、の声が届いた。あの時と同じく、胡座をかいて燼を見据えている。厳しい顔付きは、暗く、重く、燼を睨みつけていた。


「折角、力を最大限に引き出してやったんだ。思う存分に楽しめば良かったではないか」


 怒り……だろうか。男が手を貸したのは確かなのだろうか。あの時、背を押された瞬間に、意識が途絶え気付けば、静瑛に剣を向けられていた。突きつけられた剣の切っ先を前にしても、燼に恐怖は無かった。

 死ぬのも悪くない。

 そうすれば、にならずに済む。

 ほんの僅か取り戻した意識の中で、足掻き、踠き、静瑛の剣を握っては自らそれを受け入れた。

 そして、邪魔をされた。


「……あんたが、俺の邪魔をしたのか?」

「あぁ、そうだ。何故、お前が死ぬ必要がある?無意味だ」


 男は、眉を顰め、更に顔を曇らせた。


「死ぬ事は許さん。お前には、役目を果たしてもらわねばならん」

「何であんたが決めるんだ!あんた本当に何なんだ!?」


 燼はこみ上げる怒りに、思わず男に掴みかかり、拳を振り上げた。

 だが、どれだけ拳に力を込めようとも、その拳が振り下ろされる事は無かった。


「前にも言っただろう、はお前ではないと。衝動的とは言え、学習能力が無いな」


 男は燼の手を振り払うと、何事も無かった様に再び、その場に座り込んだ。


「俺の役目は……何なんだ」


 男は、また喉を鳴らして笑った。


「俺は、だ?」


 燼は、自分が何者か分からない。生まれてすぐ捨てられた理由も、獣人族とすら外れてしまう外見も、感情が昂ると目が紅く染まる理由も、何一つ知らない。それに、答えを求めた事はない。ただ、同族すら恐れる姿には、意味があるとは考えていた。


「俺の力は、異形なるものと闘う為に与えられたものじゃないのか!?」


 男の表情が、また変わった。笑うでもなく、怒りでもない。ただ、無の表情。

 

「燼、考える必要はない。ただ、受け入れろ」


 男は立ち上がり、燼の目を掌で塞いだ。


「また、会おう」


――

――

――


 ぼんやりとした意識の中、薄暗い部屋に橙色の日差しが差し込み、夕暮れ時を思わせる。起きあがろうにも、じんわりとした痛みで、それも諦めた。

 静かな部屋の中、隣の寝台を見ると、誰の姿もない。飛唱も、燼程では無いにしろ、腹部の傷は重傷の筈だ。静かな部屋が、の感覚を引き起こしていた。

 まだ、夢の中なのだろうか。そんな事が浮かびそうな程、思考は混濁していた。現と遜色ない夢の所為で、現実すら夢に思える。


「(一回確認しよう)」


 不安だった。あの男が、何をしたかも、何者なのかも分からない。何の為に、燼の前に現れるのかも。だが、あの男が現れる度に、不安は増していき、夢と現の境目が曖昧になっている気がしてならない。

 痛みを堪えながら、腕に力を入れその身を起こすと、思いがけない姿が目に入った。

 黒髪の女。燼がどれだけ成長しても、出会った頃と変わらない姿を見せる、その女は、寝台突っ伏し頭を預け、燼の脇で寝息を立てて眠っていた。


「彩華……」


 思わず名を呼ぶと、瞼が薄らと開き、金の瞳に燼が映っていた。


「……燼、目覚めたんだ」


 目を擦り、疲れた顔を見せる。


「俺、長い事眠ってたのか?」

「ううん、多分一日も寝てない」

「こっちに来るのに、時間かかるって……」

「うん、その予定だったけど、急いであっちの仕事終わらせて、その後は雲景様と私が寝ずに交代で急いで飛んで来たの。まあ、祝融様も寝てないけど」


 龍人族が、二人いるから出来る強行技とも言えるが、彩華は最後に間に合わなかったけど、と付け足した。


「燼が頑張ったって、静瑛様から聞いたの。痛く無い?」


 困り顔で、彩華は燼の怪我を見ていた。包帯だらけの姿で、燼からしてみれば、ただ格好がつかないだけだ。


「そんなに痛くは無い」


 実際、痛み止めが効いているのか、鈍い痛みだけが残っていた。


「……燼、あんまり無理しないでね。貴方が強いのは知っているけど、それでも心配になる」

「善処したいけど、俺の価値を示せる手段は、これぐらいだから」


 何故、祝融と静瑛の従者に成れたか。答えは簡単だ。業魔にすら対抗出来るほどの力を持って生まれたからなのだ。彩華の隣に立ち続けたい、彩華の役に立ち続けたい、それが叶うのなら、例え身体が穴だらけになろうが、構わなかった。


「そうだ、静瑛様に武器を持てって言われた。大刀が良いだろうって。彩華に教われってさ」

「大刀?……燼に向いているなら、偃月刀とかかな」


 頭を捻りながら、ぶつぶつと思案を続ける。彩華は多方面に渡って、武器を扱うわけでもないが、玄家は武人を多く輩出する家柄でもある。分家でもある郭家もそれに倣って、武官になる前提で多くを学ぶと言う。勿論、彩華も例外ではなく、そこらの龍人族に比べれば、多種多様な武器に精通しているとも言えた。

 心配していた顔が薄れ、昔と変わらない姿に、燼は痛みも忘れ思わず顔が綻んだ。


「(会うの、半年ぶりだな)」


 半年前に見た姿は、今とは立場が逆だった。寝台に伏せ、起き上がる事もままならない姿を見せる彩華。痛々しい姿に思わず目を逸らしたところで、過ちが消える訳でもなかった。


「彩華は、もう怪我大丈夫なのか?」


 その言葉に、思案を続けていた彩華の眉がぴくりと動いた。


「三ヶ月も前に復帰したのよ?何ともない。それに、人の事心配している場合じゃないでしょう?今は、燼の方が重傷よ」

「でも、俺……」

「燼、あの時の事は、もう終わった事。私は貴方を恨んでいないし、恐れてもいない」


 はっきりと言い切った彩華の顔は、真剣だった。澄んだ金の瞳が燼を捉えて離さない。


「私は、祝融様の従者の道を選んだ時点で、死は覚悟してる。だから、祝融様に、力を向けた事を後悔なさい。従者として愚行よ」

「……うん」


 子供の頃に戻った様だった。叱られる事は、記憶にも殆ど無かったが、手を引かれていた記憶ばかりが蘇り、返事迄がその頃に戻ってしまった。

 ふと、項垂れる燼の頭に、彩華の手が伸びた。


「でも、今回は頑張ったね」


 どこまで、静瑛から話を聞いたのか。優しく微笑み、優しく頭を撫でる手を、子供じゃないなどと言って振り払う事は出来なかった。

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