第9話

 男に言われるがままに歩き、辿りついた先は、枝垂れ桜の目の前だった。


「やはり此処は絶景だ。桜省も素晴らしいが、此方も捨てがたい」


 数日前に見たままの美しい桜の姿は、流れる風に、枝がざわざわと音を立てて揺れている。

 ただの花見に付き合わされているのだろうか。男が桜を眺め始めると、燼に興味を失くした様に目もくれない。


「(確かに花見に来たとは言ってたが)」


 美しく咲き乱れる桜を前に、時を忘れているのか。燼を視界に捉える事も無く、時間だけが過ぎていく。

 燼の慌てぶりが滑稽に思えるほどに、男は落ち着いていた。落ち着いていると言うよりは、男にとっては当たり前なのかもしれない。

 焦ると、また口が勝手に動きそうで、燼は男の気が済むまで待つしか無かった。

 お陰で考える時間ができた。いくら考えるのが苦手でも、今は思考を張り巡らさなければ。この男が本当に頼りになるかどうかも分からないのだ。

 ふと、色々考えていると、男が仕切りに『種』と言っていた事を思い出した。種とは何の事だろうか。そもそも、この男は何者で、何故、にいるのか。どう考えても、迷い込んだ者では無い。

 何かを知っているのは確かななのだろうが、そのが、燼には想像もつかない。


 穏やかな風が流れては、枝垂れ桜が揺れ、花弁が舞った。現と何ら変わりないその様に、いよいよ何が現実で何が夢かが判別がつかなくなりそうだ。混乱する頭を落ち着かせる為、桜と男から目を背け、街の方を見た。

 高台になっている為、全体ではないにしろ、平民の居住区画辺りまでは見渡せる。此処も、あちら側と同じなのだろうか。


「(何だ……この違和感)」


 陰の存在が、沸々と濃くなっていた。あの男を刺激したからだろうか、それとも、見知らぬ人間が情報を探った事で住民達を怯えさせたのだろうか。

 唯ならぬ気配が立ち込めている。燼は、その感覚に覚えがあった。何年も前、墨省の洞で何かが目覚めた感覚。

 業魔と戦い、業魔の陰の感覚を覚える度に、あれが、業魔ではないだったと知った。あれ以来、同じ感覚は無かったが、今また、目の前に広がる景色の中に数年前と同じ感覚に、増していく瘴気。静瑛が言った通りだ、もう直ぐ、目覚めんとしている。


「よく育ったようだ」


 街の気配を探るのに必死で、気付けば男は燼の隣に立っていた。燼と同じ様に陰の気配を読んでいるのだろうが、肌が粟立ち恐れすら感じている燼を他所に、落ち着き払っては何処か楽しそうだ。


「中核を封じた様だな。手段は悪くないが、弱すぎる。此方の種が芽吹けば時期に封の意味も無くなるだろう」


 淡々と語る男は咽喉を鳴らしては、嘲笑っていた。それに反して、燼の顔色は青ざめるばかり。男の言葉の意味が分からないわけがなかった。


「……あんた、一体何言って……」

「彼方も、目覚める」


 そう言って、男は街の先、更には農地の先にある山を指差した。気配を辿ろうにも燼には遠すぎて、はっきりと分からない。だが、昨日の小作人の話では女は山を見ていたと言った。

 あの山に、女がいる。では、小作人達や紹神官が見た女は一体?焦りと様々な思考が駆け巡る。


「実に良い眺めだ。燼、お前もそう思うだろう」


 この悪夢の様な状況と禍々しい空気に、嬉々とした表情で眺める男。

 名乗った覚えはない。何故知っている。こいつは誰だ?確かな事は、この男は確実に人ではないという事だけ。

 頭の中を疑問と同時に男への畏怖が駆け巡り、咄嗟に男と距離をとって構える。身体は波打ち、熊の姿へ転じると、敵意を剥き出しに男へと向けた。それでも、男は燼の熊の姿をまじまじと見ても落ち着いた様子は変わらない。


「随分と立派になったものだ」

「お前は何だ!」

「……名は忘れたな。私の存在を表せる言葉も、存在しない」


 男は恐れる事なく燼に近づく。すると、燼の意志に反して、姿は人へと戻ってしまった。


「何でっ……!」

「意味がない。はお前ではないからな」


 男は更に近づくと、燼の目を掌で覆い塞いだ。払い除けようとするも、燼の身体は微塵も動かない。

 

「もう戻れ、あちら側で存分に楽しむと良い」


 瞼が重くなり、視界が霞んだ。身体を支える力すら抜け、意識が遠のいていく中、男が笑っている顔だけが、はっきりと見えていた。


――


 飛び跳ねる様に、燼の身体が起き上がった。今まさに、燼を起こそうとしていた飛唱も、驚いた拍子に肩が飛び跳ね、目を見開いていた。


「驚かせないでくれ、心臓に悪い」


 冗談混じりの言葉も、燼の瞳に飛唱を映してはいない。何の反応も示さず、まるで、数日前の遺骨を見た時の様。


「燼!」

「……これは、現実でしょうか」


 力無く溢れた言葉。視線こそ返さないが、寝ぼけている様にも見えない。


「現実だ。よく寝ていたが、残念ながら朝だ」


 態とらしく冗談めいては、明るく振る舞って見せる飛唱。いつも通りの姿が、燼を現実へと引き戻した。

 それでも、はっきりと記憶に残った夢が脳裏から消える事はなく、燼を混乱させていた。


「大丈夫か?」

「……良く分かりません」


 顔は青ざめ、疑り深く周りを見渡す。まるで、燼が言葉通り、夢か現実かを確認してる様。


「飛唱様、あの……」


 その瞬間、警告を告げる甲高い鐘が絶え間無く鳴り響き、言葉は遮られた。見張りが外門の鐘を幾度と鳴らし、外部で異常があったと知らせている。

 燼の脳裏に、夢の中で男が山を指差している姿が映った。女が、帰って来たのだ。


「話は後だ!!」


 異常事態を知らせる鐘の音に、飛唱が急いで部屋を出た。又も、ぞわぞわと肌が粟立つ感覚に襲われながらも、燼も飛唱の後を追った。

 隣の部屋では、既に身支度を整えた静瑛が静かに街を見渡していた。


「静瑛様!」

「飛唱、燼。業魔だ。行くぞ」

「静瑛様、あの箱は?」


 今まあ動かんとしていた静瑛は、燼の言葉で部屋の片隅に置かれた箱に目を向けた。封じられているとは言え、毒々しい空気を放ち、既に只の納骨箱では無くなっている。


「あれは封じてある、大丈夫だ」

「男の方も時期に目覚めます。そうすると、あの箱も……」


 燼が、いつ目覚めるかなど不確定な事は口にしない。

 信じてもらえないかも知れない。半信半疑を口にして良い筈が無い。それでも、言わなければ成らない。そんな衝動だけが、燼の口を動かしていた。


「燼?」

「此処に置いておくと、被害が増えます」


 燼は嘘を吐く男ではない。静瑛もそれは、重々承知だった。何より、そう言った勘の鋭さで燼の上を行くものはいない。


「分かった。少々邪魔だが、持っていくとしよう」

「俺が……」

「お前は止めておけ、飛唱、これを持ったまま飛べるか?」

「箱一つなら、問題ありません」


 飛唱は、部屋の際に置いてあった箱を手に持った。白骨が大人一人分入っているだけなのに、ずしりとした重みと人肌の様に生暖かい感触。流石の飛唱も顔を歪めた。


「静瑛様、箱が……」


 既に、封は外れかけている。静瑛が箱に手を当て、まじないを唱えると、箱は少しだけ軽くなった。


「正式な封印は此処では出来ん、一時凌ぎだ」


 薄気味悪い感触が、静瑛にも伝わったのか、その目は悍ましい物を見る様に歪んでいた。

 燼の言葉通りだった。今、燼には静瑛に捉えきれていない全貌が見え始めているとでも言うのか。


「とにかく行くぞ。白家が住民達を退避させる手筈だ。我々は業魔のみを目標とする」

「承知しました」

「承知……しました」


 緊迫感が差し迫る中、弱々しい口調。いつもな住民に被害が出そうになると、一目散にかけていってしまうと言うのに、嫌に冷静な姿を見せる。


「(冷静?違うな、不安?)」


 静瑛は、此処数日燼の様子が不審なのは知っていた。元々、負の感情や陰の気配に影響され易い。体質か、の存在か。どちらにしろ、憂鬱な話ばかり聞いていては、それこそ思考も鈍ると言うものだ。だから、燼を休ませる事を優先した筈だった。

 其れなのに、昨日以上に力無い姿を見せてくる。顔には戸惑いか不安か、困惑している表情だけが読み取れるも、詳しく聞いている時間が無い。

 今は、業魔が先だ。被害が広がる前に討たなければ。


「行くぞ!」


 張り上げた覇気のある静瑛の声が耳に響き、僅かだが、燼の顔が引き締まった。


「(大丈夫、あれは夢だ)」


 夢の中と同様に自分に言い聞かせる。夢が現実に這い出てきた感覚に囚われるも、燼は、拭いきれない不安を胸に仕舞い込み、静瑛に続いた。

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