第8話

 いつ、目覚めてもおかしくない。それが、静瑛の結論だった。

 飛唱に調べさせた民間の葬儀屋は、男を埋葬した翌日に首を括っていた。親族も前兆など、何も無かったと言うのだ。あまりにも時期が良すぎる。

 女の居所に関しても、見たというだけで、はっきりと居場所は判っていない。

 恐らく、街中にいる事は確かだろう。一人二人なら、罪悪感から見間違える事もあるだろう。だが、大凡の人数こそ知らないが、小作人の殆どが見たという。更には、神殿に仕える者までが、同じものを見たとなれば、女が人でないものに成り果てたと考える方が、余程道理が通る様にすら思えてくるから不思議だ。


「兄上に連絡を取ってみたが、手一杯ですぐには此方には来られないと返事が来た」

「祝融様は、今何処に?」

「藍省にいるが、早くとも三日……あまり当てには出来ないな。何が起こるか分からん。この際、白家に事情を伝えるつもりだ」


 静瑛と飛唱が真剣に情報を纏め話し合う中、燼は、横でそれを聞きながらも、陰鬱な気分が抜けず、何処か上の空だ。

 気をつけていたつもりだったが、つい、男を追い詰める言い方をしてしまった。

 事実無根でないだけに、男を刺激したのは確かだろう。

 静瑛にも、過ぎ事だと言われたが、悶々と気は晴れない。


「(もっと聞き出せたかも……でも、当たり前みたいに見捨てられて……)」


 あの男も悪意があったわけでもないし、病の男の一生を背負っていく覚悟など、到底決断できるものでもないだろう。誰かが悪いわけでも無いとも言えず、だからと言って、誰かに責任を押し付けるものでもない。

 頭を抱えて転げ回りたいぐらいに、燼の思考は一杯だった。


「……燼!」


 静瑛の声に、慌てて顔を上げると、静瑛と飛唱が神妙な顔で燼を覗き込んでいた。

 

「燼、大丈夫か」


 きっと、間抜け面を晒しているに違いない。そう思える程、呆然としていたのだろう。主人に呼び掛けられるまで、声も届かなくなっていた。


「……すいません、考え事してて」

「私と飛唱は今から白家に行ってくる。お前は休んでろ」

「いや、そう言うわけには」


 流石に、主人を差し置いて休むわけにもいかない。何より、大した情報も集められていない。


「寝てろ。白家の前で恥を掻くだけだ」


 大勢の龍人族を前にすれば、緊張感で気も引き締まるだろう。だが、もしもの場合は間抜けな従者を連れた主人と、静瑛すら蔑められる。


「分かりました。大人しくしています」

「それと、お前に協力した神官……名を何と言ったか」

「紹です……紹神官と」

「分かった。では、行ってくる」


 彼はこれと言って、何も無い筈だ。颯爽と部屋を出ていった主人に問いかける暇も無く、またもや悶々とした考え事が増えただけだった。


「駄目だ……寝よう」


 静瑛の言う通り、寝た方が良いだろう。考えれば考える程に、ドツボにはまっていく。

 自身の部屋に戻り、寝台に横になり何も考えない様にと目を閉じた。暗闇の中、思考を閉じ、安心できる顔を浮かべては、静かな眠りに中に落ちていった。


――


 肌を撫ぜる、ぞわりとした感覚が、燼の目を覚まさせた。隙間から溢れる朝日に眉を顰めながらも、辺りを見渡すが、誰も居ない。

 確かに今、誰かが居た気がした。寝惚けていたにしては、不気味な程、感覚がはっきりと残っている。頬を腕を誰かの手で撫でられた気がしてならない。まさかとは思って隣の寝台を見るも同室の男は既に目覚めたのか、隣の寝台は空だ。


「(……飛唱様、起こしてくれなかったのか)」


 いつもなら、先に起きた方が相手を起こしてから部屋を出る。もしかしたら、自分が起きなかっただけかもしれないと、寝台を抜け出すと、主人が待つ部屋へと向かった。

 隣の部屋は、嫌に静かだった。


「静瑛様、燼です」


 声を掛けるが、返事が無い。何かあったのだろうか。燼は徐に扉を開け中を除くも、誰も居ない。

 昨日は、寝ろと言われ本当に眠ってしまった上に、帰って来た事にすら気が付かなかったらしい。従者として在るまじき行為。寝ろと言ったのだから、怒られる事は無いにしろ、幾ら何でも図太すぎる自分の神経を疑いそうだ。

 目も当てられない状態は置いておくとしても、何も言わず出て行くなどあり得るだろうか。

 陰の気配も鳴りを潜め、外の様子も静かで騒ぎは起こっていない。


「二人で何処に行ったんだ?」


 もし、出掛けたのなら宿に伝言を残している筈だ。燼はいそいそと宿の主人が居るであろう、正面玄関の入り口へと向かった。

 だが、そこにも誰の姿も無い。それどころか、燼を違和感が襲っていた。


「(此処は大通りの筈だ)」


 燼は焦らずにはいられなかった。玄関を大きく開くも、大通りに面した宿の前には誰一人として居ない。気配も無く、何の物音もしない。小さな田舎村ならまだしも、此処は省都だ。日が昇っても尚、人っ子一人居ないなど有り得ない。

 目で見ても、未だ信じられず、燼は只管に街の中を歩いた。だが、誰ともすれ違わず、民家を除いたところで気配どころか、影すら見当たらない。

 その後も、燼はがむしゃらに歩き続けた。誰でも良いから、今、自分がいる場所が真っ当であると証明して欲しかった。しかし、願いも虚しく何処へ行こうとも結果は同じだった。


「どうなってるんだ……」


 頭を抱え項垂れ、誰も居ない道の真ん中で座り込む。どれだけ時間が経とうと、何かが変わる気配すら無い。 


「(これは、本当に現なのか?)」


 燼の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。まだ夢を見ているに違いない。とても夢とは思えぬほど鮮明な景色を前に、自分に「これは夢だ」と何度も言い聞かせた。しかし、無理矢理夢と納得させたところで、状況が変わる訳でも無い。そもそも、夢とはどうやって目覚めるものだろうか。

 今迄、一度として考えた事の無い事柄に、只々頭を捻らせるばかり。


「夢、夢……」


 何気なく呟く。

 言葉遊びの要領で、夢という言葉から連想される言葉を引き出す為だったが、一つだけ、燼に思い当たるものがあった。


―神子とは、夢見の力を自在に操ると言う


 祝融が何かの拍子に告げた言葉だった。夢とは様々な場所に繋がっており、黄泉の国もまた、同様。


「(もう少し、神学の勉強をしておくべきだった……)」


 信仰心の無い燼にとっては、一番無駄に思えて、経典も、それを解説した教科書も、眠気を誘われるものという認識だ。兎にも角にも、今必要なのは夢に通づるもの。とすれば、思い当たる場所は一つだった。決まれば早いもので、燼は足早に歩きだした。

 向かうは、神殿だった。省都の小神殿には神子はいない。それでも、縋る思いだった。

 今、縋りたいのは神子だが、こういう時こそ、神に祈り縋るものだろうか。そんな事を悠長に考えては、存外自分が冷静だと感心していた。


 燼は、神殿を前に、あの鼻が曲がるかと思う程の感覚に恐れをなして躊躇していたが、良く鼻を効かせれば、神殿からは何の匂いもしてこない。

 街同様にしんと静まり返った、神殿内部は異様な空気を放っていた。此処はいつも静かなのだ。祈りは口に出さない決まりで有り、皆静かに叩頭し祈りを捧げる。

 香も焚かれず、祈るものも無く、行燈も消え、無人の神殿を燼は彷徨いた。だが、これと言って目立ったものはない。燼を見下ろすは、神々の偶像だけ。


「どうしたら良いんだ……」


 神殿内部の祈りの間で、神の目も気にせず大の字で転がる。どうせ誰もいないならと、ひんやりとした床で頭を冷やしたかっただけだが、流石の紹神官も罰当たりとでも言うかも知れない。

 だが、何をした所で虚しくなるだけ。


「これは、本当に夢なのか?」


 現実と夢の区別が曖昧で、最早自分がいる場所すら不確かだ。何処か、夢でも現でも無い、未知の場所に迷い込んでしまったのか。だとしたら……


「此処は何処なんだ」

「此処は、小神殿だ。その様に寝転がっていては、不届きと神々に叱咤されても知らんぞ」


 まさか声が返ってくるとは思っていなかった。頭上からする深い男の声に、燼はゆっくりと目線を向けると、貴族の様な艶やかな衣を身に纏い、雄々しくも厳しい顔付きの男が一人、床に胡座をかいて座っていた。

 いつの間に、現れたのだろうか。同じ様に迷い込んだか、はたまた矢張り夢なのか。もし本当に貴族だったらとも考え、身体をおこすと、男に向き合った。


「……あんたは此処にどうやって来たんだ」

「何、この時期、此処の桜は明媚だ。蒔いた種の様子と併せて見に来たまでよ」


 会話が成立していない。なぜ来たかなど聞いてもいないのに、話し出す始末。


「そうじゃなくて、此処が何なのかを知りたいんだ」

「判っていて、此処に来たのだろう」

「分からないから、聞いているんだ!」


 つい、声を荒げてしまった。焦りが出始めたのかも知れない。男の落ち着いた様子が、余計に燼を煽る形にもなっていた。


「……そう焦るな。偶然とは言え、夢の通い路を通り抜け、自ら道を見つけねば、此処へは来れない」


 男は立ち上がり、小神殿の入り口へと歩き始めた。ふと、足を止め、振り返る。


「来ないのか?折角だ、種の様子でも見に行こうではないか」


 話が勝手に進んで行くも、燼はその男しか手がかりがない。言われるが侭に立ち上がり、男の後ろを歩くしか無かった。

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