第7話
翌日、馴染みとなった、紹神官を頼っては男の姓を調べ、女を探した。
『やはり、彼女は行方知れずの儘なのですか』
女を探していると言った矢先に出た、紹神官の言葉だった。男の葬儀自体も、妻の姿は無く、男の父親が喪主となっていた。葬儀と言っても、肉体は腐っており、簡略的に祈りと火葬のみ。弔問客も無く、静かなものだったそうだ。
紹神官は夫婦を思い出してか、男の葬儀の様を思い出してなのか、浮かない顔だった。
『せめて、安らかに眠れると良いが』
ぽつりと紹神官の口から言葉が溢れた。既に遺骨は掘り返され、主人が持っているなどとは口が裂けても言えず、そう言った紹神官の目を真っ直ぐ見る事は出来なかった。
手に入った情報を元に、燼は平民の居住区へと再び出向いた。あちこち聞いて回るも、大した情報は入って来ない。思い出したくは無い、関わりたくないと、目を逸らすばかり。まるで、女は村八分にでもあっていたのかと疑いたくなる程だった。出来れば、些細な情報でも欲しいところだが、こういった区画は閉鎖的な考えも多い。燼も、育ちは獣人族の村なだけに、嫌というほど理解していた。
一度、居住区を離れ、女が働いていたという農地へと足を向けるも、そちらも大して変わりはない。皆、口を閉ざし、目線を逸らした。
成果が上がらず、適当な場所に腰を下ろし、どこまでも続く農地を眺めるも、盛大な溜息が溢れた。夫婦が管理していた農地は既に別の者に渡っており、まるで二人はこの世に存在してもいなかったかの様だ。
『醜い死は、遠ざけられる』
それも、紹神官の言葉だった。
閉鎖的だけが原因では無く、男の死に様、妻の不在、全てが悪い方へと進んでいる。どろどろとした、人の心の澱みが透けて見える様だ。
「(一度、戻るか)」
ずっと座っているわけにもいかない。燼が立ち上がり、背後を振り返ると、一人の男が気まずそうに燼を横目に何度も見ていた。如何にも何か言いたげだが、周囲の目も気にしている様子。
燼は、特に目線を合わせるでも無く、その男の横を通り過ぎた。そして、ボソリと
「話したい事があるなら、閉門の鐘の時刻に小神殿に来い」
とだけ告げた。
果たして、男は釣られるだろうか。
燼は、紹神官に部屋を貸して欲しいとだけ告げると、紹神官は何も聞かずに了承した。燼が何者かも分からないと言うのに、協力的なのは有り難いが、紹神官の何がそうさせるかは分からなかった。
紹神官もまた、件の夫婦の事で蟠りが抜けきっていないだけなのか。それとも、これも神の導きと考えているのか……。
――
そして、夕刻。閉門の鐘が鳴り、燼は暫く部屋で待った。もしかしたら、来ないかも知れないという思考も浮かんでいた。小作人は横の繋がりが深く、下手な事を口に出来ない。だからこそ、団結もしているが、一度裏切ると後が怖いらしい。それこそ、村八分の目に合う事すら有るのだとか。ならば、やはり女はそう言った目に遭っていたのでは無いのだろうか。
半刻過ぎた頃、流石に諦めるかと考えていた矢先だった。扉の向こうから、紹神官の声が聞こえた。てっきり部屋を使うからとでも言いに来たかと思ったが、紹神官の背後には身を縮めびくびくとした姿を見せる大の男が一人。
昼間の男だったが、燼は、何とも臆病そうなのが来たものだと、内心感心していた。
紹神官が部屋から出て行くと、男は燼を前にまだ、話すかどうかを迷っている様子。終始俯き、時折目線を上げては、燼の様子を伺っていた。
「俺は、役所の人間でも無ければ、地主に雇われたでも無い。ただ、女の行く末を知りたいだけだ」
なるべく脅さない様に言葉は選んだつもりだった。燼の言葉で、男の不信感を募らせたのは確かだった。
「だったら、何で女の事を調べる。あの女に亭主意外に身内はいない筈だ」
「……悪い噂を広めるためじゃ無いのは確かだな。面白半分でも無い。悪いが、詳しくは話せない。どの道、あんたは聞いて欲しくて、此処に来たんだろ?」
男は燼の姿を見た。自分よりも若く、草臥れた様子もない。衣も簡素だが、良い物を着ている。見てくれだけなら、暇を持て余した商家の息子か何かに見えなくもない。
それに反して、眼差しは真剣だ。男に見極める術は無いが、今溜め込んでいる物を吐き出すには、信じる以外方法は無かった。
「あんた、どっかの面白がってる坊じゃねぇんだな」
「誓って、違うと断言しよう」
誓う神など居ないが。
そんな燼の胸中など梅雨知らず、はっきりと言い返す姿に、男は一息吐くと、口を開いた。
「最後に女の姿を目にしたのは、俺なんだ」
「最後とは?」
「畑仕事が終わって、帰り際に、あの女が座り込んでるのが見えたんだ。閉門の鐘が鳴ってるのに、立ち上がらねぇ。だけど、皆……俺も、あの家と関わりたく無くて、そのまま放っておいたんだ。そしたら、次の日の作業には、もう、女は顔を出さなかった」
後悔だろうか。燼の目が見れず、視線を逸らしては気まずそうにする。紹神官と同じだ。声を掛ければ良かった。たったそれだけを、後悔しているのだ。
「何処に行ったかは分かるか?」
「流石にわかんねぇ。ただ、山を見てた。それと……」
男は間を置いたかと思えば、言おうか言わずにおくか悩んでいたが、それもしばらくすれば、勢い任せにぶち撒けた。
「最近になって、女を見たって奴がいる」
突拍子もない事に思えたが、季節を思えば、只の小作人が手ぶらで街や村を移動するなど不可能だ。身内が居ないと行き場が無くて帰って来たとも考えられる。
「……帰ってきたのか?」
「いや、家には帰ってきてねぇ。ただ、見たって……」
男自身、世迷いごとでも口にしていると思っているのか、終始自信が無さそうだ。
「見間違いと言う可能性は?」
「……俺も見た気がするんだ。正確には、小作人の皆、一回は見たって言うんだ。けど、見た筈なのに、思い出そうとすると、顔も浮かばねぇ」
まるで見てはいけないものを見たとでも言うのか、男は何かに怯え始めた。
「あんた、拝み屋とかじゃねえんだよな?」
「悪いが違う。第一、拝み屋なんてのは、詐欺だと聞いた事があるぞ」
「……はは、そうだ……よな」
幽霊、化けて出る。世の中、そんなものよりも恐ろしい存在など、幾らでもいると言うのに俗説でしかない存在にこうも怯えているのか。
何より、渇いた笑いを見せる男に、燼は不信感が募っていた。
「あんた、先程から気になっていたんだが、女が死んでいる様に話して無いか?死に様を見たわけでも無いんだろ?」
「……」
「頃合からして死んでると考えてもおかしくは無いだろうが、だったら亭主の方が化けて出そうなもんだよな?」
男の肩が竦んだ。あからさまな動揺が手に取るようにわかる。
「亭主の方は、あそこらの小作人で見捨てるとでも決めたのか?」
「……違うっ、ただ……」
「女にしてもそうだ。逃げ出すまで、誰一人として気にかけなかったんだろ?」
「あんたには……分からんだろうよ。いい給料貰って、良い衣着て、生活に困った事なんて、無いんだろ!?」
燼の身なりだけを見た言葉だろう。実際、燼はそれ程生活に困った事は無い。だがそれも、困った時には必ず助けてくれる者が居た、というだけだった。
「まあ、困ったことは無いな。運が良いんだ。運がなかったら、とうの昔に死んでる」
燼は人生で二度捨てられている。一度目は、生まれてすぐに山に捨て置かれ、二度目は逃げ出した事ではあったが、彩華が引き取らなければ行き場など無かった。どちらも、偶々拾ってくれるものが居たから、今生きている。そうでなければ、今頃妖魔の餌になっていた事だろう。
冗談混じりに聞こえたのか、男はその言葉に半信半疑だった。ただ、何も苦労せずに此処に居るわけではないというのは伝わったらしく、それ以上、燼を罵る言葉を吐く事は無かった。
「俺らは、苦しいわけじゃねぇが、何の役にも立たない人間を養える程、良い生活はしてねえよ」
小さく、絞り出した言葉が、全てだった。男が、はっきりと言う事こそなかったが、女が消えた後、小作人達で男を見捨てる事を取り決めがされたのかも知れない。
流石に、男もそれ以上は話す気にならないのか、「帰る」とだけ呟くと立ち上がり部屋を出ていった。どの道、これ以上の手がかりは聞き出せないだろう。
「(最悪の話だった)」
懺悔を聞きたいわけでもないのに、どうにも皆そう言った事が好きらしい。情報が欲しかったのは確かだが、憂鬱な気分を抱えそうだ。
「話は終わった様ですね」
自堕落に椅子にもたれ掛かっては、行儀悪く椅子を揺らした姿勢のまま、気配を読むことすら怠っていた。姿を現した紹神官を見ると、憂鬱な気分に流されながらも、気だるそうに姿勢を正した。
「ええ、ご協力ありがとうございます」
「いえ、先程の男は今しがた熱心に祈りを捧げてから帰って行きましたよ」
「……そうですか」
どうにも、神にも縋りたい一心らしい。神では無く、人に腹を明かしたいと言うのも本心だったのだろう。だが、女の件に関しては話した所で何も解決しない。後ろめたさからか、女に恨まれていると思えば、誰でも良いから助けが欲しかっただけとすら思えた。
「では、俺も帰ります」
「一つ、聞いても宜しいでしょうか」
「……答えられる事であれば」
正直、これだけ協力的な人物ならばと思いたい所だが、事が事だけにベラベラと喋るわけにもいかない。
「あの夫婦は、私の事も恨んでいるのでしょうか」
「話を聞いていたのですか?」
「ええ、この部屋の声は隣に良く聞こえる構造になっているのです。申し訳ないとは思いましたが……」
盗み聞きとは、神官らしくない。そうは思っても、燼を完全に信用していなかっただけであり、万が一を考慮したものだろう。
「……まさか、紹神官も女を見たとか?」
冗談のつもりだった。だが、紹神官の顔は冗談では済まされないものになっていた。
幽霊探しをしているつもりは無い。だが、魂の存在だろうが、何だろうが、女は確実に省都に居る。
恐らく、とんでもない恨みを抱えて。
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