第6話

「今日が新月とは参ったな。なるべく明かりが広がらない様に気をつけてくれ」


 人生初めての墓掘りが、今、目の前で起こっている。燼と飛唱はこれと言ってやる事は無い。提灯を布で覆って、極力灯りを目立たせない様にする事ぐらいだ。

 男の遺骨が埋まっているであろう丁度真上辺りを、静瑛が掌で触れる。異能の力か、ぼこぼこと土が盛り上がり、その中からまだ真新しいが、土色に染まりかけた木箱が出てきた。それが人の全てなのかと思うほど、小さな木箱。

 火葬された亡骸は、残った遺骨とともに納骨箱へと収められ、墓地へと埋められる。共同墓地の一角に完全に封じられ、後は風化を待つのみだった遺骨。

 静瑛も、何も個人的に恨みがあるわけでもなく、取り出した納骨箱をゆっくりと地面に置いた。表情は読めないが、罪悪感が全く無いわけでも無いのかも知れない。燼は、納骨箱を壊すのは流石に忍びないと、用意したのみを僅かな隙間に差し込み、木板を押し上げる。丁寧に釘を抜き、木板を退け、最初に目に飛び込んだ頭蓋を見た瞬間だった。

 燼は、思わず後退りした。心臓が早鐘を打ち、その顔は畏怖を表している。燼の突飛な行動に、飛唱が慌てて燼の顔を照らすも、顔色が悪く、冷や汗まで出ている始末。


「燼、大丈夫か?」

「……」


 燼の瞳こそ何も変わってはいなかったが、その頭蓋を見つめたまま動かない。何かがおかしい。飛唱は声をかけるだけでなく、肩に手を当て体を揺らすも、反応が返ってこない。


「燼!」


 あまり大きな声を出すべきではないが、取り憑かれた様に動かない燼に、焦るばかり。

 すかさず、背後で様子を見ていた静瑛が動いた。思い切り手を振り上げたかと思うと、燼の頬に平手を食らわせた。あまりにも唐突で飛唱は目を丸くしたが、殴られた左頬を押さえながら、呆然と瞼を見開く燼の姿を見ると安堵の息が漏れた。


「燼、何が見えた」

「……よく……わからなくて」


 左頬の痛みなど、既に忘れてしまったのか、目線はまた頭蓋に移っていた。


「あまり見るな。私でも気配がはっきりと伝わってくる。異常だ」


 何ら変哲のないただの遺骨。火葬され白骨と化した筈なのに、禍々しい空気が漂う。


「飛唱、明日、この地で農民達の遺骨を処理する者を調べてくれ」

「承知しました。男の遺骨はどうされますか」

「……兄上にこちらに来て頂けるか確認する。それまでは、私が封じ、保管する」


 静瑛は、納骨箱を簡単に閉じ、光を遮るために用意していた布を巻いた。そして、箱の上に手を当て目を瞑ると、ぶつぶつと二人には聞き取れない程の声で呟いたかと思うと、箱が鈍く光っては、また元に戻っていた。


「これで暫くは大丈夫だと思うが、万全とは言えないな」


 箱を閉めたからなのか、静瑛の封印術のお陰か、それまでの禍々しい空気が一気に薄れていた。燼はやっと冷静さを取り戻し、立ち上がるも流石に納骨箱に触れようとは思えなかった。


「燼、お前は触れない方が良いだろう。影響が強すぎる」


 そう言って、静瑛は箱を抱え、飛唱に龍に転じる様に言った。


「目的は果たした。宿に戻る」


 現状、人目を引くどころの状況ではない。目的の物を抱えたまま、早々に墓地を後にした。


―――


 目の前が赤く染まった。血に塗れたそれは、いつもの黒ではなく、赤。それを見れば見るほど、理性が自分の中のに飲み込まれた。黒い渦の中で、抵抗しようともがけばもがく程飲まれていく。そんな感覚の中、自分の手についた誰のか分からない赤い血ばかり眺めた。


『燼!正気に戻れ!!』


 誰かが、そばで叫ぶも、はっきりと誰かが思い出せない。何故、自分の手が赤いのか。誰が、正気に戻れと叫んでいるのか。聞きなれた声の様な気もするし、時折金属の様な音もする。ふと、見つめる手の先に横たわる何かが映った。

 黒髪の女。力なく横たわり、胸から腹にかけて出来た傷からは血がどくどくと流れている。その女に向かって、赤髪の男が傷口を抑えながら、必死で呼びかけている。あれは、誰だ。

 その女の瞼がうっすら開いた。僅かに除く金の瞳が燼を捉え、口が動くも音が無い。

 何を言っているのだろうか。

 何気無く気になって、近寄ってみようとすると、今度はそばで叫んでいた男が立ち塞がり邪魔をする。


『燼!!』


 剣を構え、明らかに交戦的だ。何故、邪魔をする。気付けば、もがくことなど忘れ、ずぶずぶと黒い渦の中に飲み込まれる既のところまで来ていた。


『燼、大丈夫』


 はっきりと、女の声が聞こえた。優しく、何かを諭そうと、血を吐きながらも笑っている。その瞬間に、燼は全ての光景が見えた。正気を失い、主人に向かって爪を立て襲い掛かり、知性を忘れ獣と化している自分。まるで第三者の様にそれが目に映った。

 これは、彩華の声だ。傷を負って倒れているのは、彩華だ。この手についた血も……


―――


 燼は飛び起きた。どくどくと脈打つ音が耳元で鳴り響き、全速力で走った時の様に、息が荒い。暗闇の中、思わず手を見るも、汗ばんではいるが、血液独特の生温かい感触は無い。


「(最悪の夢だ)」


 部屋の中は一切の光もなく、閉じ切っていない木戸の隙間は、まだ暗い。眠ってから、たいして時間は経っていないのだろう。だが、再び同じ夢を見るのではと思うと、とても寝付く事などできなかった。

 寝台に座り込み、呆然と真っ暗な部屋を見渡した。隣の寝台には寝息が聞こえ、どうやら起こす事はなかったと、安堵の息が漏れた。


「(の所為か?)」


 汗ばむ額を抑えながら項垂れ、気を鎮めるようと瞳を閉じる。

 人生で一番最悪な日。燼にとって、そう思える程の事だった。たがが外れ、自分の中のが制御できなくなった。主人に向かって拳を振り上げ、怪我を負わせ、彩華に至っては、致命傷を負わせてしまった。

 皇族を傷つけたとなれば、問題行動で済まされない。燼は正気に戻った直後、首を斬られる覚悟だった。寧ろ、その方が二度と彩華を傷つけずに済むとすら思えていた。

 だが、祝融は赦した。


―力を制御し、利用しろ


 その表情は、ゾッとするほど冷たいものだった。祝融が業魔と相対する時に見せる目が、燼の中のに向けられていた。

 燼は、自身が仕えている主人が、業魔などよりも、余程恐ろしい存在に思えてならなかった。燼に向けられた怒気でない事はわかっても、心臓が今にも握り潰されそうな感覚を覚えていた。

 そして、同じ感覚を弟でも感じる事となった。

 彩華の負った怪我を見れば只事でない事は一目瞭然だ。祝融は静瑛と鸚史に余す事なく説明し、今後も燼の扱いは変わらないと告げた。鸚史はそれで了承したが、静瑛は納得しなかった。


―もしもの場合、兄上に燼の首は斬れないでしょう。私が預かり、暫く様子を見るのは如何でしょうか。


 背筋が凍る様な声色に、燼は終始、冷や汗しか出なかった。今にも首に刃物を当てられ、そのまま胴から切り離されそうな程の殺意。燼の主人であり、彼の兄を危険に晒した事によるものだと解すれば、じっと堪えるだけだった。


 忘れる筈のない記憶。失態と、絶望と、自身への嫌悪が一度に募った日。夢のお陰で、二人の主人の恐ろしい形相の記憶まで鮮明に蘇ったものだから、ますます眠れない。

 何かしようにも、隣の寝台で眠る男を思えば、じっとしているのが一番だ。汗ばんだ衣が乾くのを待ち、再度寝台に横になっても尚、燼に眠気などやって来なかった。


「(仕方が無い)」


 燼は音を立てない様に、立ち上がると部屋を出た。隣の部屋の気配を辿るも、そちらも眠っているのか静かなものだ。気配を殺し、宿を抜けると、ふらふらと街の中を歩いた。昼間と違って、目的も探るものもない。何より、誰もが寝静まった夜更け。街は静かで、僅かな風の音と、虫の鳴き声だけが響いていた。一片の月明かりも無いが、夜目の効く燼には、其れ程問題でも無い。気の向くままに足を向けては、何気なく歩き続けた。

 そして、辿り着いたのは、昼間見た枝垂れ桜の目の前だった。昼間見た姿とは違って、垂れる枝が風に揺れると、少し不気味で子供が見れば如何にも何かでそうと騒ぎ立てただろう。月明かりでもあれば、少しは違ったのだろうが、今日はそれも拝めそうにない。

 大木に背を預け、その枝垂れ桜を真下から眺めた。


「本当は、良くないよな……」


 本来なら、従者が命令も無しに不用意に主人から離れるべきではない。燼もそれはよく分かっていたが、あの夢を見るとそうも言ってられなかった。

 目を閉じ、夜風に揺れる枝垂れ桜の音だけに耳を傾け、会いたくて堪らない顔を思い浮かべては、春の心地をその身に受けていた。


「お兄さん、何やってるの?」


 燼は、あまりにも突然降り注いだ声に、動転しながらも目を見開いた。明らかに子供の声。何より月明かりもない真夜中。いる筈が無いと思いつつも、燼は声のした方に目をやった。だが、聞き間違いなどではなかった。

 そこには、暗闇の中に佇む少女が一人。


「(街の子供か?)」


 装いからして、平民の子供だろう。表情まで完璧に見えるわけでもないが、その少女に不安な様子はない。


「迷子か?」

「ううん、違うよ」


 迷子ではない様だが、燼が今居る場所は居住区から少しばかり離れている。こんな夜更けに落ち着いた様子を見せる子供……ほんの少しばかり、そう言った類のものなのかと疑っていた。


「ご両親が心配する。家に帰った方が良い」


 一人にして欲しいのもあった。顔も名前も知らない少女を相手にしている余裕も無く、早く帰れと警告したつもりだったが、少女は更に近づき、燼の顔を覗き込んでは、まじまじと見つめてくる始末。


「お兄さんは帰らないの?お父さんとお母さんは心配しないの?」

「俺に両親は居ない」

「ふーん」


 適当な相槌を打ったかと思えば、燼の隣に座り込んでしまった。感傷に浸っていた訳でもないが、酔いが覚めた気分に燼は立ち上がり、大木から離れた。少女も引き留める訳でもないのか、無言のままだ。ただ、じとっとした視線だけが燼を追っていた。

 それでも少女の事が気にかかり、ある程度距離が出来てから振り返ると、少女は木の前に佇んでいた。その隣には母親らしき女が少女の肩をしっかりと掴んで二人並んでいる。


「(近くに母親が居たのか……)」


 幼い少女をその場に置いてけぼりにするのは、些か良心が痛んだが、その姿に燼も安心出来た。

 ただ、二人はじっと此方を見ていたが、その表情は暗闇の中に飲まれた様に見えては来ない。特に知り合いでも無いと、燼は二人に背を向けると、そのまま宿へと戻って行った。

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