第三章 沈黙の呪い

第1話

第三章 一

 幼い頃より、兄は誰よりも秀でていた。その分、努力もすれば、決してその力に胡座を欠く事もない。その姿を間近で見ていた自分にとって、兄は憧れであり尊敬するべき人物だった。それは、同じ道を歩む様になった今も変わらない。

 兄に敵うものがあるとすれば、文の領域だった。剣も異能も、いつも僅かに届かない。だからと言って、羨ましいと思った事は一度として無かった。どれだけ必死に鍛え上げたところで、才能だの神の祝福だのと兄自身を讃える事は無い。そんな連中に嫌気が差すも、切る事が出来ない縁が、何とも憎い。


 身内と呼べる程に血の近しい者達の目線が、皇帝と対面する時にはよく届く。毒々しい空気が皇宮全体を包み、目に見える程に澱んでいる気がしてならない。同じような表情の者が、自分や兄、従者にまで虚な目を向けている。

 何かがおかしい。だが、その根源もわからなければ、それを訴える相手もいない。一番影響力があるであろう、祖父の顔を見た所で、その表情は読み取れない。接する機会も少なく、その心情を知る人物もいないだろう。

 わかっている事はただ一つ。皇帝も、兄を疎ましく思い、遠ざけいてると言う事だけだ。何が気に食わないのか、何がそこまで憎いのか。その陰鬱な空気に触れていると、自分すらそれに侵されそうな気がして為らなかった。




雲省 西端の村 


 白仙山に近く、丹省に次ぐ寒さと言われる村でもあるが、今は春と、鳴りを潜めている。この時期の雲省は省都アコウが桜の名所と言われ、絶景と評判だが、たった今、目前で起こっている事を見れば、その絶景を見に行こうなどという考えは簡単に消えてしまうだろう。

 村を見渡せる高さの木の上から、様子を確認するだけの筈だった。だが、最早そこに村と呼べる場所はない。家屋は壊され、何体もの業魔と凄惨たる光景が眼前に広がっている。ある一体は、何かを探し回り。ある一体は、天を仰ぎ奇妙な叫び声をあげたりと様々だ。そして、その手や足元には無残な姿となった村人の姿。そこら中が血だらけで、最早手遅れだった。

 これまでも、そういった事が無かった訳でもない。どうやっても間に合わない時があり、そういった場合には犠牲は付き物だ。一々感情的になっている余裕も無いが、無情にもなれない。

 せめて、弔おう。腰に携えた剣に触れ、隣を見ると、従者の一人である飛唱ひしょうは落ち着いたものだったが、もう一人の従者を見れば、惨たらしい光景に言葉を無くし、その瞳は怒りに満ちては紅色の妖光を放っていた。

 青年の様相ではあったが、まだ若く感情に流されやすい。体は波打ち、今にも獣のさがのまま転じてしまいそうだ。その様な感情だけでひた走れば、力に飲み込まれるだけ。静瑛は、怒りと殺意を青年に向けた。


「燼、


 静瑛が怒気を含んだ声を向ければ、青年の紅色に変わりかけた瞳は、ふっと蝋燭の火を吹き消した様に焦げ茶色に戻った。


「私は、兄上や彩華の様に甘やかす気はない。その力が自身のものに出来ないのなら、容赦はしない」

「分かっています」


 優男の顔とは裏腹に、穏和な顔を取り戻した青年に鋭い目を向け続ける。その鋭さが、青年の中の何かを押さえ付けているのも確かだった。


「さて、片付けるか」


 青年が落ち着きを取り戻したのなら、するべき事は一つ。静瑛の殺気に気付いたのか、業魔が三人ヘと近づこうとしていた。静瑛は、殺意を今度は業魔へ向けては、そのまま木から飛び降りた。間髪いれずに動く姿は、静瑛も静瑛の兄と変わらないと青年と飛唱は顔を見合わせると、それに続いた。


 着地と同時に剣を抜き、従者を待たずに前へと進む。彼が地を踏むと、地は盛り上がり静瑛を乗せた儘、業魔へと向かった。大地は鋭い棘となり、そのまま業魔へと突き刺さった。致命傷では無い。その硬い身を貫くまでには至らず、怒りを煽っていることは確かだが、業魔の気を逸らし、動きを止め時間を稼ぐには十分だった。突き刺さった棘が封となり、身悶え、棘が食い込み肉を削げ落としながらも暴れている。

 完全に動きは止まらないが、燼には十分だった。静瑛が用意した足場を使い、黒い獣が走り抜ける。勢いのまま喉元へ辿り着けば、喰い千切り、黒い血飛沫を浴びていた。

 燼と同じ獣人族の戦いは見た事がある。あちらは虎の魂を持つ者で、同じく爪と牙を使うが、狂気じみた強さも無ければ、業魔の肉を喰い千切る力も無い。良くて、妖魔を潰す程度だ。薙琳が弱いわけではない。燼の強さが異常なのだ。成人し、静瑛に付き従う様になってからというもの、その強さは益々強まるばかりだ。


「(どっちが化け物だか)」


 その目に紅色の光は見えない。静瑛は、睨みを効かせながらも、自身も動いた。長剣を振り、業魔の首を切っていく。業魔の首が全て落ちれば、あとは雑魚だけ。瘴気に集まった妖魔を飛唱が一人相手をしている。

 既に燼は足場を飛び降り、妖魔へと向かっていた。若いが、強さを見せつけ、妖魔の群れの中を縦横無尽に駆け回る。力に囚われていなければ、使命感に溢れる青年でしかない。


「若いなぁ」


 自分にも、使命感に満ちた頃があった。皇宮の澱んだ空気さえなければ、今もそうだったかもしれない。見た目こそ若いままだというのに、歳を取ったと思わずにいられない。

 いつまでも眺めている訳にもいかない。見物もそろそろにして、静瑛もまた妖魔へと向かっていった。



 村は静かなものだった。業魔や妖魔がいなく慣れば、辿る気配すらそこには無かった。

 村の中心の井戸に腰掛けて、静瑛は村を眺めた。一足遅いどころでは無かった。神子の情報は曖昧で、業魔が現れる時刻は不確かだ。間に合わなければ犠牲が出ると分かっているが、龍でも間に合わないとなれば手段は無い。


「静かだな……」


 業魔を倒しても、何も救えなかった罪悪感だけ残っている。

 村に一人でも生き残りがいないかと僅かな望みを持って見回っていた燼が、重い足取りでのそのそと静瑛に近づいた。


「生き残りは?」

「……居ません」


 気配を辿ればわかる事だが、それでも、そんな事をする必要は無いなどとは、あまりにも残酷に思えて静瑛は口に出来なかった。

 燼の顔は、苦渋に満ちていた。まだ若い燼には、惨たらしいものでしか無いだろう。見慣れて、顔色一つ変えない自身が澱んでいるのかとすら思えていた。


「いつもの事だが、飛唱が軍をつれて戻ってくる前に、血を落とした方が良い。井戸も丁度良い場所にある。」


 そう言って、静瑛は座っていた井戸の淵から腰を上げた。燼の有様は、成人する前より変わらない。一番前衛で戦うのもあるが、腕力や顎の力に任せているのもあって、血塗れになる。本人には慣れたものだろうが、見知らぬ者から見れば、妖魔の血とはいえ狂気の沙汰としか言えないだろう。

 井戸の水を汲み上げては、頭から被る青年を呆れた目で眺めた。数年前までは、成人しても人の姿は小柄で子供にしか見えずなんとも頼りなかったが、あれよあれよと成長し、大柄で屈強と言われる姜一族の一人である静瑛に追いつこうとしている。八尺までは辿り着かなかったものの、流石に成長は止まり、逞しく、武人らしい体格に子供の様相は何処にも無い。その所為か、彩華が可愛く無くなったと、本当に残念そうにぼやいていた。

 言葉遣いも幾分かましになり、従者としては不十分だが、連れて歩けない程でも無い。彼なりに努力し、此処にいる訳だが、それでも戦う様は獣人族と言うよりは、獣其の物だ。

 実力は確だが、毎度毎度薄汚れている。武器を持つ様に促した事はあるが、燼は実力を活かせる獣の姿を好んだ。


「燼、そろそろ武器を持て。人の姿でも戦える様にしろ」

「……武器は性に合いません」

「だとしてもだ。お前程の豪腕ならば、剣よりも大刀が良いかもしれないな。扱いに関しては私よりも彩華の方が詳しいだろう」


 前々から、そろそろ本格的に考えろと口煩く言ってはいたが、聞き流し続けていた。主従関係がある手前、本来ならば、命じられたなら反抗するべきではない。罰を与えることが無いからと、燼もたかを括っていたのだろう。だが、彩華を引き合いに出せば、渋々だが素直に聞くと分かっている、扱いは容易だ。

 表情を隠す術までは完璧では無く、彩華を引き合いに出されむくれている。そう言ったところは子供と大差ないと、小さく息を吐いた。



雲省軍が辿り着く頃には、静瑛と燼は村人の死体を一箇所に並べ終わり、飛唱を待っていた。軍が出たとなれば、静瑛はお役御免だと、立ち上がった。今日は省都にでも宿をとるか、そんな事を呆然と考えていると、省軍を率いていた白髪の龍人族が静瑛に近づき、頭を垂れた。


「殿下、此度は御助力感謝致します」


詭弁だろうと、本心だろうと静瑛はそれを受ける事が苦痛に思えてならなかった。何も救えていないのなら、謝辞すら受けるに値しない。


「被害が出てしまった。感謝など無用だ」

「ですが……」

「後の処理を頼む」


言葉を続けようとした龍人族を遮り、静瑛は飛唱に転じるように命じ、燼と共にその場を後にした。空から見下ろす景色は、無残なもので、村の形を留めてはいなかった。屋根は崩れ、壁は無くなり、畑も荒らされていた。小さな村だ。最早、人の住まぬ村など、地図からも消えてなくなるだろう。

省軍の目立つ白髪や白い龍の姿だけが、村に良く目立っていた。


「飛唱、近くの街で宿を探そう。省都は面倒だから、避けてくれ」

「承知致しました」


無情な思いだけを残し、村は段々と小さくなっていった。

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