玉座の間


 立ち並ぶ、官吏の中、一人の男が祝融を睨んでいた。

 皇軍左将軍きょう道托どうたく。祝融と静瑛の異母兄に当たる男ではあったが、兄弟などと言う感情は祝融が最初の手柄を立てて戻ってきた時に消え失せていた。

 沸々と湧き起こるどす黒い感情が、道托の中に溢れて止まないのか顔は鋭くも重い。


 ――また、戻ってきた。


 目に映る事すら忌々しい。皇軍が梃子摺る業魔をいとも簡単に討伐せしめてしまうその力がまた。

 皇帝に従順な姿を見せてはいるが、腹の中は何を考えているとも分からない。

 いつ、自分に取って代わる存在になるやもしれない。今あるのは、いつ自分の立場を脅かす存在になるかと言う不安ばかり。

 生まれた時こそ、一族で盛大に祝い、幼い時は歳の離れた弟と可愛がった。だがそれも、祝融が神農に命じられるまま、業魔を倒した事により変わってしまった。


 道托も、過去には業魔と戦った。今でも、出征しないわけではないが、祝融の比では無い。

 熟練の武官ならいざ知らず、祝融は成人前だった。戦地に赴いた事も無ければ、妖魔とすら戦った事も無かった。

 当時でも、並の武官など、相手にならなかったが、訓練と実践とでは大きく違う。出征に先立ち、道拓も祝融を心配し、神農に時期尚早だと進言した。

 龍人族を連れた部隊であっても犠牲を強いると言うのに、弟には早すぎる、皇軍に混じり、経験を積んでからにするべきだと。

 だが神農は、今こそ力を見せしめる時だと、祝融を業魔の下へ出向かせた。

 そして、一人で戦地に赴いた祝融は傷一つなく、この場へと戻ってきた。


 ――化け物


 感情が湧き立つかのように、言葉が浮かんだ。弟への愛情など断ち消えたと同時に、静まり返った玉座の間でその場にいた一族が、同じ感情を抱いている事にも気付いた。特に、武官として皇宮に務める者は、強く感じたに違いない。業魔を倒した喜びよりも、恐怖で、その場合が満たされたのを今でも鮮明に覚えていた。

 身を持って業魔の強さを知っていたからこそ、祝融の持つ力が神の祝福などでは無く、悍ましいものに見えてしまった。


 もう一人の異母弟、静瑛と風家の次子、そしてその従者を引き連れ何事も無く帰ってくる。

 静瑛も、風鸚史も、神の祝福を受けた者だ。同じ年頃で、これだけ生まれる事は今までに無かったと聞く。どちらも、祝融に引けを取らないくらいの強さを誇っているが、獣人族の従者はまだしも、どちらも、この場に姿を表す事は無い。


 何を考えているとも分からず、玉座の隣に立つ、父である右丞相と、左丞相を見るも、そこに表情は無い。

 あれらも、最早考えは読めない。

 この場にいる者全てが、思惑を腹に隠し、鋼鉄の仮面を被っている。


 ――の後ろには、必ず丞相がいる


 神農が祝融を持ち上げなくとも、皇帝の補佐である二人が後ろ盾となり続けている。皇帝の意に反している様にも見えるが、これと言って対立しているとも聞く事は無い。


 道拓は再び祝融に目を向けた。

 化け物は、まるで自分は皇帝の僕だとでも示すかのように、今も静かに皇帝に頭を垂れている。巷では英雄と囁かれる男は一体何を考えているのか。

 それを冷たい目で見つめる祖父は、腹の中に何を抱えているのか。

 誰も彼もが真実など語らず、澱んだ空気だけがその場を支配している様だった。



 ◆◇◆◇◆

   


 神殿からも皇宮からも何の知らせも無かった祝融は、意気揚々と自室で身支度をした。派手な衣を好むも、今日ばかりは落ち着いた色を選び袖を通す。槐より目立つ訳にはいかない。


 全てが整うと、祝融は机の引き出しを開けた。中には、黒漆の箱が一つ。次に会った時に渡そうと、大事にしまっておいた翡翠の簪。

 ようやく渡せると、祝融はそれを手に部屋を出た。


 ◆◇◆◇◆

  

 皇族の鳳凰の家紋が付いた馬車に、当たり前の様に門が開かれ中へと通される。

 風家ゆかりとされる桜の木々が並々と立ち並ぶも、時期外れのため青々としている。

 邸宅前まで乗り付けると邸宅内から見張ってでもいたのか、馬車を降りる前から使用人が扉より顔を出した。


「祝融殿下、ようこそお越し下さいました。中で槐様がお待ちです」


 応接間に通され、眩しいほどの日差しが照らされた室内の一角には静かに座す女性が一人。日差しで照らされた黒髪が煌々と揺らめき、その麗しさを際立たせている。

 祝融が近づくと、ゆっくりと微笑んだ。


「祝融様、お久しぶりにございます」


 ただの挨拶のはずなのに、艶のある声に心が揺れ動く。

 つい、手が触れそうになってしまう。が、そこは流石に理性が動く。


「中々、会いに来れなくてすまなかった」

「兄も同行しております。お忙しいのは承知の上ですので、どうぞ謝らないで下さいまし」


 憂いた表情を見せるも、優しく微笑んだ顔に祝融は思わず見惚れてしまった。


「祝融様、どうぞお掛けになって下さい」


 立ったままだった事も忘れていたと、祝融は促されるまま椅子に座った。槐の方が余程、余裕が有る。

 見計らってか、女官が盆と共に茶器を運んでは何事も無かった様に去っていく。


 凛とした姿勢にか細い指。細やかな所作まで繊細な美麗がある。

 祝融は、槐が湯呑みを手に取る姿を椅子に肘を突きながら、じっと眺めた。


「如何されました?」

「次にいつ会えるか分からないからな、目に焼き付けている」


 皇宮に戻ってきたのは、三月ぶりだった。

 立春を前に春の祭りに一緒に行きたいと話していたのが、今や遠い記憶だ。

 業魔が生まれるよりも早く、神子から言葉を告げられる。見ている世界が違う彼女達には、業魔の生まれようとする場所が分かると言う。

 何とも不可思議だが、神子達が、その名の通り神の子なのだと思えば、容易に頷けた。


 祝融の叔母も、その神子の一人である。が、神子は神殿で暮らす為、会う事は容易では無い。


「また、御告げが有りましたか?」

「春の芽吹きは落ち着いたが時期に連絡は来るだろう。今回帰ってこれたのも偶々としか言えない」


 心配そうな顔を向け、槐は祝融の手をそっと握った。

 春の芽吹きは妖魔が増える。新たな命が生まれる強い時期に当てられるのは陽の気だけではない。陰の気もまた、春には蠢く。そして、冬に向けて徐々に弱くなり静寂の時が訪れる。

 だが、業魔は人から湧く。春に比べれば少ないが、季節関係無く姿を表し、祝融は寒さ厳しい冬でも、各地を訪れるしか無かった。


 祝融は、温もりに満ちた槐の手を握り返し指で摩った。か細いが、掌は豆が潰れて硬くなっている。


「また、剣を握ったのか?」

「……えぇ、母に隠れてですが。待っているのは、嫌いなので」


 槐には祝融以前に婚約の申し出があったが、全てを退けていたのは槐自身だった。

 風家とあって、一流とはいかないまでも、ある程度の武芸は嗜んでいた。自分よりも強き者を望んだ故か、申し出の中には一人として槐に敵う者は無かった。

 槐のやり方に父親は特に気にも止めなかったが、母親は相手の顔に泥を塗る行為だと、卑下し槐から剣を取り上げようとした程に怒りを見せた。そんな槐が唯一、祝融の縁談だけは、何事も無く二つ返事で了承した。

 それは、母親に皇族相手に断る事は許されないと言われたからだけでは無かった。


「兄程の技量があれば、私もお供出来たのですが」

「気持ちだけで十分だ」


 槐が剣を握り続ける理由だけで、祝融は満たされた。顔が綻び、その手を強く握り締める。


「婚姻は父に機を待てと言われている。現状、父を敵に回すと俺は立場を無くしてしまう。今暫く待っていてくれるか?」


 不安からか、槐から目を逸らした。いつまで待たせるかも分からないのに、卑怯な言い方だ。それでも、祝融には待っていてくれとしか言えなかった。

 それに反して、槐の顔に澱みは無かった。清々しいと言えるほどの笑顔を顔に浮かべた。


「知っていますか?得手して不死とは気が長いものだそうですよ」


 永く生きるが故に、人よりも時の流れの感覚が鈍い。生まれながらに、そう感じるものが多いのは祝融も知っていた。


「祝融様の為でしたら、お待ちできます」


 槐の笑顔に全てが洗い流される様だった。

 矢張り、槐の方が余裕だ。祝融は黒漆の箱を取り出し、それを槐に渡した。


「次は、いつ渡せるかが分からないからな」


 蓋を開けると、派手さは無いが銀の花があしらわれた装飾と、翡翠の飾りの簪が姿を表した。


「凝った造りよりも、こちらの方が似合うと思って」


 澄ました槐の頬が、僅かに赤く染まった。

 簪の意味を知らない訳がない。元より、想い合っている事はお互い重々承知ではある。が、それでも形となって現れたそれに、澄ましたままでなどいられなかった。

 槐は、壊れ物を扱うか如く指先でそっと優しく触れた。


「大切にします」


 笑みを浮かべる顔に、祝融は槐の腕を掴み引き寄せ――口付けた。静寂に包まれる中、時が止まった様。

 唇が離れると、祝融の目の前には更に顔を赤らめた槐がいた。初めてでは無いが、この時ばかりは槐の顔から余裕が消える。


 ――連れて帰りたい


 槐の動揺した姿に、思わず不純な思考が過ぎる。


「あの、祝融様……」

「近くには、誰も居ないが?」


 人の気配が読める祝融には容易な事だが、槐にはその技術は無い。余裕の無くなった槐の髪に触れ、絹の様な手触りを楽しみ、今度は祝融が余裕の有る様を見せつける。


「少し、外でも散歩しようか」

「……もう少し、待ってください」


 祝融の言葉に意地が悪いと感じるも、槐は熱が治まらない頬に手を当て、顔を隠す事しか出来ないでいた。

 何よりも、大切と思える存在が、ここに有る。祝融にとって、これ以上ない程に愛しい存在に、ただ、心を奪われるばかりだった。

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