二
紅の都カラン。
全てが
その中でも最たる高みにある、皇宮。
そこに住まうは、神に近いとされる存在達だった。
この国には、人にも種類がある、寿命がある存在を只人と言い、寿命が無く、精神の老いによって衰える存在を不死と言った。只人の中からも、時折、不死は生まれるが、二百から三百年生きれば十分とされたが、眷属神と言われる者達の血を継ぐ者達は、それを遥かに凌いだ。
眷属神は、神に最も近い存在と言われ、主神が不可視の存在ならば、眷属神は可視化された神だと言われた。
六人の眷属神は、
豪華絢爛な玉座の間。行燈が部屋を照らし、その部屋にある朱色と金色の装飾を照らし、その国の権威を象徴している様だった。
皇帝のみが座る事が許される玉座に座すのは、
この国の人とは思えぬ大柄な体躯に、立っている時は誰しもが上を見上げなければならない程だった。永く生きる命は永遠と思える程で、国が成り立つより前から生きていると言われている。
祝融は、祖父である神農の前で跪き首を垂れる。
玉座の間では、血縁など無意味だ。主君と
祝融は、見た目こそ青年を思わせるも既に四十年以上の時を生きている。が、不死の中では若い方だ。
だが、若さなど跳ね除けるほど堂々とした態度を神農だけでなく、取り囲む全ての者に見せつけた。官吏達が立ち並び、祝融の姿を捉える。喜びの顔を見せる者は、少ない。
妬む者、羨む者、褒め称える者。
様々な思惑が行き交い、祝融に向けられていた。
「此度の活躍、ご苦労であった」
神農は表情を変えないず、さも当たり前であるかのように述べた。
「報奨を受け取ると良い、また神子より言葉があれば直様迎え。それが、お前の役目だ」
「御意」
祝福を受けたの者の役目、祝融の双肩に重たい言葉がのし掛かった。
皇族として、本来なら悠々自適に過ごす事も出来る身分にも関わらず、祝融にはその権限が無かった。
天命を受けて生まれ、業魔や妖魔が蔓延る世で、その道は、決まっているも同然だった。
――英雄たる人物であれ
それが、祝融が祖父からの最後の教えでもあり、その身に呪いの如く染み付いている。祝融が災いに立ち向かう理由の一つにもなっているのは、確かだった。
玉座の間を後にして、祝融は振り返る事は無かった。思惑が溢れる皇宮に、既に期待などしていない。
幼い頃こそ祝福を受けた者と煽てられたが、今やその声を聞く事もない。功績を上げる度に異母兄弟や従兄弟ですら、憎悪や妬む目を向ける。
陰鬱な欲が蔓延る皇宮に、最早、期待も、思い入れも無い。せめてもの救いは、両親が待つ家が、そこにある事だった。
祝融と弟である静瑛が出征する度に、無事に帰って来いと言ってくれるが、どれだけ功績を上げても、二人の不安は変わらない。精神の動揺は、不死の老いへと繋がる。
せめて二人の精神が揺らがない様にする事が、祝融にとって最大の義務となっていた。
一つの大きな街の様な造りの皇宮で、祝融は足早に歩いた。
居宮を目指すも、そこまでの道のりは遠い。
敷地の中を馬車を使って移動する者も居る中、横を通り過ぎる官吏の目を気にする事なく、祝融はただ歩いた。
隠れて生きるなど、性に合わない。自分は皇族であり、神農の孫である。
例え、皇帝からの寵愛が途絶えた身だとしても、堂々とした態度を示し続けた。
◆◇◆◇◆
祝融が暮らす宮は、外宮という皇子を除く皇族が暮らす区画にある。
出征すれば殆ど使うことも無いが、確かに家と言える場所だ。
居間に着くと、既に勝手知ったるといった具合に弟である静瑛が長椅子の一つを鸚史や薙琳と共に陣取っていた。
戦っている時とは違い、楽しげに三人で話す姿に祝融は安堵を覚える。その姿に思惑も無く、見返りも無い。
平穏。そう呼べる景色が目の前にある事に漸く息がつけると、空いた椅子に腰掛けた。
三人はのんびりと、茶菓子と共に茶器を並べていた。芳ばしい香りが漂い、心穏やかにしてくれる。
何も言わずとも女官が祝融の分を前に並べると、鸚史や静瑛は祝融の顔を覗き込んだ。
「兄上、如何でしたか?」
「何も、いつも通りだ。」
そう、いつも通りだ。
冷遇である事など、今に始まった事では無い。別段、皇宮の為に行っているわけでは無いと、言い聞かせ静かに用意された茶を啜った。
玉座へ報告に行くと、いつもこれだ。
祝融は決して、鸚史や、薙琳を伴わない。わざわざ、行く様な所ではないと、一人で出向いていた。
――業魔と戦うよりも、余程疲れる。
そう零したのはいつだったか。
鸚史は、憂鬱な顔を見せる祝融に、思い出した様に懐から一通の手紙を取り出した。
「……父上から、手紙を預かった。欲しいか?」
鸚史の父は、
「何を勿体ぶっている。左丞相の手紙など珍しくも無いだろう」
「……そうか、ならば俺が開けて読んでも良いが……」
そう言って、手紙を認めた送り主の名を見せた。
――
鸚史に飛びかかる勢いで祝融は手紙を取り上げた。鸚史を睨むも、ニヤつくばかり。焦らない訳がない。手紙の差出人は鸚史には妹だが、祝融にとっては婚約者だ。
今すぐにでも封を開けたいが、邪魔者が三人も居るとなるとそうもいかず、大事そうに懐にしまった。
「元気になったじゃないか」
「……普通に渡せないのか」
「それじゃあ、面白く無いだろう」
睨む祝融を他所に、鸚史は高らかに笑う。
「槐様もお可哀想に。祝融様とではいつご結婚できるのやら」
薙琳がわざとらしく、メソメソと泣きまねをして見せる。薙琳は風家に仕える者ではあるが、そんな事を気にする立場でもない。鸚史に便乗して面白がっているだけなのは、見るも明らかだった。
「そうですよ。いい加減、身を固めないと、誰かに取られてしまいますよ」
静瑛まで此処ぞとばかりに追い立ててくる。
実際、槐は祝融と婚約するまで、婚約の申し出が後を立たなかった。眩いばかりの長く伸びた黒髪に、端麗な容姿、誰が見ても美人のふた文字に尽きるという。
――したいのは山々だが……
返す言葉もなく、黙り込む祝融。
不死はあまり年齢を気にしない。というよりも、不死に年齢を尋ねるのは、礼儀に反するとされる。
見た目が若い者、そうで無い者が居る為、尋ねれば相手の機嫌を損ねる事すらある。結婚適齢期なるものが無い為、百年近く結婚しない者すらある。
焦る必要は無いのだが、相手が居れば別だ。婚約自体は親同士によって決められたものだったが、最終的にはお互い納得して今現在もその関係にある。
皇宮では敵視される事が多い祝融は、政治的立場で優位にある風家と縁を結べば今の状況も多少は緩和される可能性もある。
だが、それに槐を利用するようで踏み出せないというのもあった。
何より右丞相である祝融の父と、左丞相である槐の父親が時期尚早であると、止めている。
現状、婚約関係で留めておくのが、双方にとっても良好な関係を継続できるのもあった。
「……状況が落ち着いたらな。今、結婚した所で、亭主が殆ど家に帰らない家に一人にさせるだけだ」
言い訳にも取れる言葉ではあったが、それもまた ん事実だった。
祝融は、家にいる時間よりも、他省など外に出向く事ばかりで、皇宮で過ごすなど、数える程度だ。
「いつ落ち着くというんだ。とりあえず、明日、うちに来い。俺から言っておく。それとも、槐をこちらに出向かせるか?」
「勝手に話を進めるな。」
「別に良いじゃないですか。田舎じゃ婚前交渉なんて良くある事ですよ」
薙琳は獣人族だが、不死だ。一度結婚したが相手と死別したため、田舎から出てきた者だ。あけすけな発言に流石に祝融も顔を引き攣らせるも、祝融は徐に懐から手紙を取り出した。
三人には見せまいと僅かに広げる。すると、中身は春の祭りを今年も一緒に見れなかった事、祝融を心配して要るという事、そして……
――偶には、お顔を拝見したく御座います
簡潔な内容だった。だが、それが
「……何事も無ければ、明日は出向くと伝えてくれ」
会いたく無い訳がない。適当な政略だけの関係なら、放っておいたかもしれないが、祝融にとっては惚れた相手でもあった。その証拠に、読み終わっても尚、手紙を丁寧に畳んで再び懐に仕舞った。
「何事も無ければ良いですねぇ」
年長者の余裕か、薙琳は人の恋路に何やら楽しそうに笑う。
「お前、気をつけないと、その内、皇族侮辱罪が適応されるぞ」
「こんな事、祝融様と静瑛様にしか言いませんよ。それにお上の方々は、獣人族なんか目にも写しませんしね」
自虐に薙琳は笑うも、その場にいた誰もが笑えないとしか言えなかった。
獣人族は政に向かない。山奥や森に居を築き、狩りや畑を耕して細々とした暮らしを好み、人里にもあまり降りては来ない。
そんな暮らしに飽きた者が、薙琳の様に街に出てくる事がある。が、大抵は常識を知らず、街に馴染めず戻っていく。
薙琳は並々ならぬ腕を買われ、風家に拾われた。ある程度の礼儀を叩き込まれたからこそ、鸚史の従者として今に至る。身分こそ無いが、皇族と相対する事が出来るならば、獣人族では出世したと言えるだろう。
「さて、俺は帰るかな。神子様から連絡があったら、直ぐにでも呼んでくれ」
「あぁ、今回も助かった」
鸚史は、薙琳を引き連れ颯爽と帰っていった。
二人を見送ると、静瑛は冷めた茶を顔を強ばらせながら見つめ徐に口を開いた。
「それで、陛下は何と?」
「業魔を倒すのが、俺の役目だと」
穏やかな会話から一転し、静瑛の鋭い目つきは、祝融を睨んですらいる様だった。和やかな場を好む祝融の為に、先ほどまでは押さえていたのだろう。
静瑛の口から、言葉が堰を切った様に溢れ出した。
「数が年々増えている。国全体を四人だけで回るなど、馬鹿げています。省毎に、戦力を育て、業魔に太刀打ち出来ぬでは、その内、我々だけでは手に負えなくなります」
優男の顔など何処かへ言ってしまったのか、その顔は冷ややかだ。祝融と違って、静瑛は取り繕う事が得意だ。一見優しそうな顔付きに誰もが騙される。
「俺がそれを言った所で、意味は無いだろう」
「ならば、今度からは私も陛下の御前に行きます。権利はあるでしょう」
「陛下に会っても、発言の機会が与えられる訳では無い」
「……では、本当に報告だけを?」
「報告など、書面のみだ。内容を見ているかどうかも怪しいがな」
静瑛も神農の孫に当たる。会う機会と言えば、神事の時や祝い事のみで、孫といえど面会もままならない。
成人の儀と同時に役職が与えられる筈だったが、兄一人に業魔に向かわせる訳にはいかないと放棄した。
役職を与えられず、役目だけを押し付けられている兄の為にした、精一杯の反抗だったがあまり意味は無かった。
今は、神農と相対する機会を無くした虚無感だけが静瑛の胸中に残っていた。
「兄上は、今のままで宜しいのですか?」
「……皇宮に留まって、何もするなと言われないだけまだ良い。出来れば、丹省にでも追いやられたいがな」
祝融は高らかに笑うも、静瑛は更に顔を曇らせるだけだった。丹省は姜一族分家が取り纏める省だ。そこに追いやられるのは、不要と言われるも同然の事だったからだ。
「笑えません」
「此処に縛り付けられるよりも余程気が楽だ。政に興味がある訳では無いが、今よりは好き勝手に生きられる」
「そうなれば、外聞が悪いと左丞相に槐殿との婚約を破棄されます。兄上に期待しているからこそ、左丞相は鸚史を我々の共に付けてくれているのです」
「……分かってるさ。姜家に不信感を抱いているのは、何も俺たちだけじゃないって事ぐらいな」
祝融は静瑛から目を逸らし、茶器を眺めた。思惑が渦巻く皇宮で、手柄を立てれば立てるほど、敵意は増すばかり。
業魔など恐るに足らず。人の方が、余程腹に悪意を抱えた悍ましい生き物に見えてならなかった。
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