丹省 クギ村付近


 森が騒ついた。鳥が飛び立ち、地鳴りが響き渡る。

 禍々しい黒い巨体が、唸り声を上げながら小さな村へと向かっていた。

 人とも獣とも取れない姿に、人々は奇声を上げながらも逃げ惑った。妖魔ならば動物と大して変わりないと立ち向かえる。だが、それが業魔となると違った。

 その悍ましさに腰を抜かす者、諦める者、恐怖で蹲り信奉する神に祈りを捧げる者。村は恐怖の色で染まっていた。

 僅かに取り残された村人に、業魔は向かっていた。

 怯えながらも、何とか動けなくなった者を助け出そうとする少年に、業魔の手が伸び少年の顔には更なる恐怖の色が帯びる。

 あと僅か。手が届きそうになった時だった。


 業魔の手が、前触れもなく斬り落とされた。大きな音を立てて地に落ちると共に燃え上がり、一瞬で灰へと変わる。

 業魔にも痛みがあるのか、斬られた腕を庇う仕草と共に叫び声が辺りに響き渡った。

 少年の目の前には、艶やかな赤い衣を見に纏う青年が庇うように立っていた。その手には、剣が握られ、体には纏わりつくように炎が舞う。そんな青年の後を追うよに、三人の男女が空から姿を現した。

 燃える様な勇ましい姿。少年はただただ目を奪われていた。


 轟々と地が鳴る。地響きがなったかと思えば、地面が盛り上がり業魔の動きを止める様にその体に纏まりつく。意思でももったかの様な動きに、更にはぎちぎちとどれだけ業魔が暴れようとも先程まで流動的に動いていた大地は岩のように固まっていた。身動きが取れなくなったことにより、業魔は雄叫びを上げる。煩わしさからか、暴れていた。


「兄上、長くは持ちません」


 最初に現れた青年とは別の若い男が苦々しい顔で言う。まるで、大地を操っているかのような言葉。少年は目を丸くすることしかできず、この者達は一体どこから来たのかと空を見上げた。すると、二頭の赤い龍が空を舞っていた。

 その龍も、人に姿を変えたかと思うと少年の近くに降り立った。少年は、何が起こったかわからず、呆然とするばかり。助かった事は確かだが、状況を飲み込めずにいる少年を気にしてか、前に立つ青年が横目で少年を見た。


「立てるか?」


 少年は、頷く。横で疼くまる老婆を無理やり立たせ、青年から距離を取った。


雲景うんけい飛唱ひしょう、残りの村人を離れた場所に連れて行け」

「御意」


 二人の赤髪の男が、青年の命令で瞬く間に赤い龍の姿へと変わった。雄々しいとすら言えるその姿を目の前にして、少年は言葉を失くす。龍の存在は知っていても、片田舎で目にすることは殆どないのだ。

 しかし、驚いている間などなかった。龍が勢い良く飛び立つと、少年や取り残された者達を鋭い爪のある大きな手に掴み、少年は初めて見た龍に感動する間も無く、空の高みへと登っていった。


「祝融様、妖魔の群れが近づいてきます」


 目つきの鋭い女が、業魔の背後にある森を睨んだ。

祝融と呼ばれた青年も同様に、森を見ると、うじゃうじゃと、そこら中から気配だけが感じられていた。


「業魔の瘴気に湧いたか。鸚史おうし薙琳ていりん、そちらは任せる」

「承知した」


 鸚史と呼ばれた青年が森に向かうと、薙琳と呼ばれた女の体が波打ち、その身は黒と芥子色の虎の姿へと変り勢い良く駆けていく。

 二人を見送ると、青年は剣を構えた。

 青年は、村人が慄いた存在を前にしても、余裕だった。恐怖など最初から無い。


静瑛せいえい、もういいぞ」


 その言葉で、静瑛は業魔が暴れ崩れかかった地の束縛を解き、兄と呼んだ祝融と同様に剣を構える。


 解放されるや否や、人と似ても似つかぬ業魔の鳴き声が辺り一面に響いた。

 斬られた筈の腕が再生を始め、更には湯が沸くような、ぽこぽこという音が耳に届く。業魔の陰から、次々と妖魔が湧いて生まれてくる。狼や鳥、猿の姿に似るも、それは獣よりも、一回りも二回りも大きい。

異形という他無い姿を見るも、やはり怯えは何処にもない。


「怒らせたみたいですね」


静瑛も、冷静な表情でそれを見やるが、矢張り恐怖の色はない。


「お前は雑魚を頼む。なるべく、家を壊さないようにやれよ」

「承知しました」


 祝融は妖魔を無視し業魔に向かった。握る剣は、瞬く間に炎で覆われると同時に、業魔へと殺意が向けられる。猛々しいまでに熱き殺意は、業魔も容易に感じ取ったのだろう。腕を斬られた怨みか、業魔の本能なのか。同じく殺意を宿した狂気の目が祝融を見下ろしていた。

 その膝下。足下に差し迫った祝融に目掛けて業魔が振り上げた拳を地に叩きつけるも、祝融は軽やかに交わしていく。

  

 祝融には業魔の動きが見えていた。なんて事は無い。単調で、怒りがそのまま攻撃にも現れている。歴戦とも言える程に、業魔と戦ってきた祝融にとって、一匹の業魔など敵では無かった。

 業魔は首を斬らねば再生し続ける。今迄の経験からそれを知っていた祝融は業魔の背後に回り込むと、軽々と飛んで跳ねてと業魔のゴツゴツとした背を登っていく。

 あっという間に首へと辿り着き、炎を纏わせた剣を振ろうとした時だった。


 突如、業魔の体の一部が靄の様に祝融に纏わりついた。がむしゃらに動くも、それは離れる事なく祝融を締め付けようとする。

  

 力では意味が無い。


 祝融は至って冷静だった。霧は、立ち所に燃え上がる。祝融が発したであろう炎が球体の形となって祝融を守ったのだ。


 またもや業魔が雄叫びを上げた。そばで聞いた祝融はつんざく様な、轟音にも関わらず平然と地に降り立った。

 着地した一瞬を狙い、業魔が姿勢を低くしたかと思うと腕が液状化し波の様に祝融に向かった。祝融を炎ごと飲み込み、締め付けようとする。が、飲み込んだ部分から炎が伝い燃えていく。

 祝融が剣を縦に振るう。すると、波は炎によって、かっ消えた。同時に、業魔への道筋が出来上がる。祝融の足は迷うことはなかった。業魔への距離を詰め、体勢を低くしたままだった業魔の首めがけて、炎が線を引いた。

 業魔の頭がゆっくりと首からずれると、大きな音を立てて地に落ちる。頭は炎に包まれ、燃え上がった。

 首の部分から、業魔の身体全てが炎に飲み込まれていく。

 物言わなくなった死骸から妖魔が湧こうとするも、燃え盛る炎に阻まれ灰燼へと化していた。

  

 全てが燃え尽き業魔の痕跡も無くなった頃、祝融が辺りを見回すと他の妖魔の気配も全て消えていた。


「祝融、こちらも終わった」


 僅かに黒い返り血を浴びた衣を見せるも、鸚史と薙琳の体に怪我は無い。同様に背後から静瑛が近づくも、やはり無事だった。妖魔相手など大した事は無いと分かっていても、祝融はその様を見るとほっと胸を撫で下ろさずにはいられない。


「村の被害だけ確認しよう」


 背後にある村に、損壊は無い。

 業魔が村にたどり着く前に、相対する事が出来て幸いだったと言えるだろう。


「私が、雲景様と飛唱様を呼んできます」


 そういうと、薙琳は虎の姿のまま駆けて行った。四本足で駆ける姿は、獣そのもので、猛々しくも美しい。薙琳だけが、卑賤の生まれとあって、身分の違いを気にしてか、よく動く。

 ひと段落ついて、祝融は息を吐いた。

 見た所、村に被害は無い。誰の血も流れる事が無かった事が、祝融にとっての僥倖だった。

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