11 秘密は誰にも明かせない
「アルルにいるときゃ『アヤト』と呼ばれたの♪トレドじゃ『アジャト』と名あ乗おぉったぁわ」
宿舎の風呂場に演歌が響く。
「隼人、
僕はと言えばプールには入らず、湯船でみんなを眺め、ついでに
奏さんと朔は、隼人からなるべく遠ざかって、何やらコソコソ話している。
「降ってくる雪がさ」
朔の声が辛うじて聞こえる。雪見露天とはしゃいで積雪の近く、プールの向こう側に陣取った隼人たちよりずっと、朔たちは僕の近くにいる。
「プールの中に沈んだんだよね。変だな、と思って、しげしげと見たんだけれど、なんで溶けずに沈むのか、僕には判らなかった。あの時、僕が気づいていたら、隼人が来る前に片がついていたかもしれないのにね」
今は雪なんか降っていない。朔はきっと明け方の事を言っているんだ。あの時、朔は視線を上下に動かして、雪を眺め続けていた。
奏さんが、朔の頭を撫でてから、気にするな、と言い、勢い付けて朔の頭をプールに沈めて豪快に笑った。大暴れで
奏さんは、朔を落ち込みからも浮上させた ――
告白の途中で村長はとうとう泣き出した。
「俺だって、ヤツを追い出そうとしたさ。でも、何度立ち向かっても返り討ちにされるだけだった」
「俺たちの村を変えたのは、たった一匹のアライグマだったんだよ」
ある日現れた一匹のアライグマが、この村の平和を奪った。
俺たちは家族ごとに住んで、家族ごとに食べ物を探して、別の家族に干渉することなく、だけどそれなりに仲良く、平和に暮らしていたんだ。なのにヤツは俺たちを襲い、食べ物を奪い、ときには子どもを連れ去って食べやがった。
もちろん俺たちだって戦ったよ。でも知っての通り、本来俺たちは気が弱くって、戦いに適していない。ヤツは凶暴で、気が荒く、容赦なかった。
何度目かの挑戦で大怪我を負った俺に親父が言った。おまえだけでもこの村から逃げろ、と。でも、俺は自分の家族や、子どものころから知っている村に住む仲間たちを見捨てることなんかできなかった。
「あんたの食料は俺たちが保証する。だから、俺たちの子どもを襲うのだけはやめてくれ」
ヤツと交渉しようと、俺は仲間に提案した。俺たち家族だけで、ヤツの食料を確保するのは無理だと思った。どの家族も、自分たちが食べるのに必死だったからな。野生の動物なんて、みんなそんなもんのはずだ。
ヤツに食料を提供するか、それとも村を捨てるか、もう、それしかないと、俺は仲間を説得した。人間が捨てた村は、これ以上もない住処だった。俺たちは勝手に電気を開通させ、人間が文明の利と呼ぶものを享受していた。
凍える冬に湯が使える。何よりここには人間が来ない。アライグマさえいなければ、ここはどこより暖かく安全だ。村を捨てるのも勇気が要った。
意見は分かれ、何日も俺たちは話し合った。その最中、またヤツがある家族を襲い、子どもが奪われた。そして俺たちは決断した。ヤツの食料は皆で寄せ集めよう、と。子を食われるよりもずっとマシだ、と。
「俺の提案を、ヤツは鼻で笑ったよ」
いいだろう、とヤツは言った。村はずれの神がいなくなった
「屈辱だった。俺たちを蹂躙するヤツを、なぜ崇めなくちゃならない?」
アライグマのヤツ、自分じゃ地面を掘ることができないから、俺たちに掘れと命じた。俺たちの仲間を殺し、これからは食べ物を奪うヤツの命令に、俺たちは従ったんだ。どれほど俺が悔しかったか、あんたたちに判るものか。
「俺たちは、必死に食べ物を探し、ヤツの社に運んだ。そうしながら自分たちの命も繋がなきゃならない。牛や鶏は、人間から盗んできた。牛は子牛の内に、この村に連れてきた。全部メスだ。卵や乳を貰って、少しでもタシにしようとしたんだ」
そうやって俺たちは、この村で何とか生き続けた。だけどこの冬はとんでもない冬だ。まったく食べ物が見つけられない。当然、ヤツに提供する食べ物も不足した。鶏卵や牛乳じゃヤツは満足しやしない。人間から食べ物を奪ってくるのも限度があって、強引なことをすれば命が危険に
「空腹に
牛や鶏が襲われれば、俺たちは飢え死にするだろう。村にはまだ子どもたちが5匹いる。何とか我慢してくれないか。俺はヤツに必死に頼んだ。
「子どもが5匹か、ヤツは笑った。だったらその子どもを寄越せ、そしたら村は襲わない。今度の満月までに5匹の子どもを連れてこい」
俺たちはタヌキだが、柴右衛門タヌキの
「俺の妹たちが、子どもたちの身代わりになると泣いた。俺は自分の失策を妹に押し付けるなんてできないと思った」
子どもたちは勘弁してくれ。その代わり、人間なんかどうだ? 人間を5人、
「なるほどね、それでボクたちをアライグマへの貢物にしようとしたわけだ。行方不明事件なんかなかった。ボクたちを呼び寄せる口実で、で、ボクたちに報酬を支払うつもりもない、っと」
「そして、社に食料を持っていく役目は村長さん、だから『
更に隼人がクスクス笑う。
「ところで村の名前はどう決めたんだい?」
隼人の問いに村長が顔を赤くした。
「俺の本当の名は『タヌキチ』で、ヌキチにしようと思ったけど、語呂が悪いからナキチにしたんだ」
……ナキチだって、充分語呂が悪いと思うのは僕だけだろうか?
「ねぇねぇ……」
遠慮がちに満が言った。
「あたしたちが食べたのって何だったの? 木の葉っぱ?」
「いや、あれは……最後だからせめてご馳走をと思って、人間から盗んできた本物です、せめてものお詫びです。それにミチルちゃん――タヌキが木の葉を使うなんて、昔話に毒されてるよ」
村長タヌキが申し訳なさそうに、そう言うと、良かった、と満がそっと呟いた。
隼人は
「判った、ボクが何とかしてあげるよ。そのアライグマさえいなくなればいいんだね? 報酬をくれなんてことも言わない」
「え?」
と村長が
「アライグマを、その……ヤッてくれるのかい?」
改めて見ると、村長、垂れ目だ。
「殺す、ってこと? それはないなぁ。ボクに活殺の権限なんかないよ」
隼人は立ち上がると、周囲の木を見渡した。すると一羽のカラスが鳴いた。
巧みに足を一本隠しているが、あれは出番がないと僕が思っていた
隼人のヤツ、いつの間に呼び寄せたのだろう。隼人が頷くと、八咫烏は『かぁ』と鳴き、どこかへ飛んで行った。
「もうすぐ日が暮れる。アライグマの件は明日だ。ボクを信用して任せてほしい。ボクたちが今晩、ここに泊まるのを許してくれるよね?」
村長は何度も隼人に頷いた ――
そんなわけで僕たちは、
奏さんは、追加の角砂糖を隼人に許さず、隼人は不貞腐れたが、風呂で機嫌を直した。隼人の下手糞な歌を、いつもは辞めさせる奏さんも、今日は黙って好きなように歌わせた。そしてカラスの行水よろしく、いつもなら一曲歌うと出てしまう隼人が今日は何曲も立て続けに歌っていた。
その理由はすぐに判った。隼人が4曲目を歌っている時、八咫烏の奥羽さんが隼人の近くに降り立って、カラスの姿のまま、かぁかぁ鳴いた。
ちなみに、これも隼人から聞いた話だが、殆どの鳥は鳥目じゃない。夜でもしっかり目が見える。だから渡り鳥は夜も飛んで渡っていく。危険が多い夜間には行動しない鳥が多いから、人間が勝手に夜は見えないと勘違いしたとの事だ。
「うん、判った、ありがとう。お礼は東京に戻ってからね」
隼人の返事に奥羽さんは飛び立っていった。たったそれだけだったから、奥羽さんは
隼人はさっさと部屋に戻り、一足遅れて僕が戻ると、自分の鞄をガサゴソさせていた。明日着る服の確認と言ったけど、何やら怪しい……
翌朝、『なるべく怪我させないように』と隼人に命じられた朔と満がアライグマを連行してきた。流石のアライグマも二頭の狼に脅されて観念したようだ。大人しく朔に従っている。
そのアライグマに隼人は食事を与えてからボストンバッグに入るよう強要した。
「中に入って、静かにしていれば、悪いようにはしないよ」
アライグマは隼人に従うしかないと悟ったようだ。
そして僕たちは村を後にした。アライグマを入れたボストンバッグを積み込んだのは言うまでもない。だけど奏さんが運転席に乗ってこない。
「この村に通じる道なんかないんだ。だから人間はここに来ないんだよ」
隼人が笑う。
「近くの道まで奏ちゃんが車を担いでいく。人間に見られない保証はない。祈るばかりだね。もし見られたら、見た人は小型のデイダラボッチと勘違いするだろうね」
見送りに出てきた村長が、今日も申し訳なさそうに言った。
「この村に車なんかない。駅で会った時から、ニイさんを化かしていたんだ」
「気にすることはないよ、村長さん」
満がそれに明るく答えた。
「ミチルちゃん、気が向いたら遊びに来てくれよ」
「うぃうぃ、気が向いたらね。いろいろご馳走さま、村長さん、元気でね」
満がボックスワゴンの窓から手を振ると、総出で見送りに出てきた村人が、手を振ったりお辞儀したりした。村長の親や妹もいる。夫婦らしき二人に守られた子どもが5人、尻尾を隠しきれていないのがなんとも可愛い。
「それじゃ、行こうか」
外に立つ奏さんに、隼人が声を掛ける。頷いた奏さんが額の鉢金を外してニョキニョキと大きくなっていく。
「それじゃあね、そん……って、やれやれ」
隼人が苦笑する――タヌキたち、みんな腹を見せひっくり返っていた。
放っておいても勝手に気が付くと、タヌキをそのままに、僕たちは出発した。10分くらい奏さんに担がれて山を降りると、舗装のない道に降ろされた。すぐに奏さんが乗り込んできて、ボックスワゴンは一路東京に向かう。
途中隼人が車を停めさせ、ハヤブサに姿を変えると、アライグマの入ったバッグを鍵爪で
「八咫烏にアライグマの預け先を探させたのさ。殺すわけにも、野に放つ訳にもいかないからね。隼人のヤツ、バッグごと動物園に落とすつもりだろうよ」
と、窓を開けて奏さんがタバコに火を付けた。
戻ってくると隼人は、三列シートの最後部で服を着こみ、更に何やら自分のバッグをガサゴソ探る。
「おぃ、隼人、おまえ!」
「奏ちゃん、運転中は前を見て」
角砂糖を口に放り込みながら、隼人が笑う。どうやら隼人、風呂からあがって真っ先に、キッチンで角砂糖を探して見つけ出し、こっそり失敬してきたようだ。
「隼人だけ
ミチルの苦情に朔がフンと鼻で笑う。
「おまえはいつも腹減りだろうが」
「なにぃ!」
取っ組み合いになりそうな朔と満を奏さんが
「うちの店に寄って行こう。腕によりをかけて、みんなにご馳走を作るよ」
満の顔がパッと輝き、朔がニヤリと微笑んだ。
隼人が角砂糖をガリガリと噛み砕く音が響いて、慌てて僕は隼人の手から角砂糖の袋を取り上げる。奏さんを怒らせたら大変だ。奏さんはニヤリと笑い、グンとアクセルを踏み込んだ。
隼人がそっと僕に耳打ちして寄りかかってくる。ふわっとした感触で僕を
「それは……家に帰ってからね」
誰にも聞かれないように僕は隼人に
隼人が僕になんと耳打ちしたか。それは……隼人と僕、二人きりの秘密だ。
< 完 >
名吉村の神隠し ≪ この探偵は「ち」を愛でる ≫ 寄賀あける @akeru_yoga
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