第5章 隠された真実 ―White Lie―

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「本名は、カタリナ・メイ・アークライト。

 私と同じ内戦を経験して生き延びた、ネブリナの一人です」

 ジェマさんの言葉を、僕は上手く咀嚼できないでいた。

 キャシー先生の本当の名前はキャサリン・ガルシアではなく――カタリナ・メイ・アークライト?

 アスミやジェマさんと同じネブリナで――『セーラー服事件』の、犯人……?

 理解が追いつかず、僕は当惑の眼差しを形成することしかできなかった。

 相も変わらず、アスミに組み伏された状態のまま。

「さすがの拓海様も、驚かれているようですね――それとも、悲しまれているのでしょうか」

 再び、ジェマさんの声。カチッと、ラップトップが閉じられる。

 さすが、なんて期待されるほど僕は無感情ではない。それはジェマさんも分かっているはずだし、あるいは分かっていてあえて、無意味なジョークのつもりで言ったのだろうか。

 とにかく、ジェマさんの言う通りだ。

 僕は酷く驚いているし、悲しんでもいる。いや、もっと複雑な感情がない交ぜになっている気もする。

 だって、あんなにも美人で優しくてフレンドリーで、美人で愛嬌があってスタイルのいいキャシー先生が……まさか、殺人犯だったなんて。気が動転してしまいそうだった。

「外見に関する高評価がほとんどではありませんか。美人って二回も仰いましたし」

 まあ否定はしませんが、と間に挟みつつ、

「殺人犯、と断じてしまうのは少し早計です。今回の少女連続怪死事件の遺体には、まるで殺されたようにナイフが突き刺さってはいましたが、彼女たちの死は間違いなくすべて自殺です。報道規制により公にはなっていませんが、遺体からは総じて大量の睡眠薬が検出されています。また、死体と共に発見された遺書も間違いなく少女たちの直筆であり、遺書の内容も事実と一致しているものばかりでした。誰か別の人間が偽装することは不可能です。少女たちはみな、自ら命を絶つ意思を持ってこの世を去ったと考えられます。ゆえにこのネブリナが少女たちを死に追いやったわけではありません――直接的には」

 含みのある倒置法で、ジェマさんは言った。

 直接的でないとすれば……キャシー先生は、間接的に少女たちを殺したということだろうか?

「間接的にという表現は妥当ですが、殺したというのは適当ではありません。少女たちを殺したのはあくまで少女たち自身であり、言わば絶対的な自殺です。このネブリナはその自殺を促した――より具体的に言えば、自殺する機会を与えたのです」

 自殺する、機会?

「恐らくこのネブリナは、インターネットを通じて少女たちと知り合ったものと思われます。自殺願望のある者が集う掲示板やSNSアカウントなどはネットに溢れていますから、そういう繋がりを作ること自体はさほど難しくありません。ただしネット経由であれば必ず証拠が残るはずなのですが、このネブリナは可能な限り証拠を隠滅していたため、私たちもはっきりとした経路は特定できませんでした。

 なので経緯については憶測ですが、ネブリナは自殺願望がありながら踏み出せないでいる少女たちと連絡を取り、共に自殺することを理由にして会ったのだと考えられます。経路が特定できなかったのは、このネブリナが組織直轄のセンター時代、IT技術において軍事レベルの訓練を受けていたからです。そのため痕跡をたどることは容易ではありませんでした。少女側の痕跡すらすべて隠滅してしまうほどの用意周到ぶりで、中々その尻尾が掴めなかったのです。なので初めはネット経由の痕跡を辿るのではなく、犯行現場を押さえようと捜査していました……アスミにも手伝ってもらいながら」

 アスミにも捜査を?

 でも、アスミはほとんどずっと、この部屋にいたと思うけれど。

「拓海様、今日の朝にご自身が危惧されていたことを覚えていますか? アスミが、夢遊病かもしれないと」

 その言葉で、僕はハッとなった。

 ジェマさんの言わんとしたいことを理解して。

「拓海様もお気づきになったようですね――恐らくご想像の通りです。拓海様はアスミが夢遊病で、夜に外に出ていたのではと危惧されていましたが、それは半分正解で半分間違いだったのです。アスミは夢遊病の症状で外出していたのではなく、捜査をするために自分の意思で部屋を抜け出していたのです。なるべく、拓海様にご迷惑をおかけしないように」

 つまりジェマさんは、アスミが夢遊病ではないという確信があったのか。通りであまり心配していなかったわけだ……もしかするとアスミがよく昼寝をしていたのも、夜中に眠くならないようにするためだったのかもしれない。

 にしても、こんな幼気な少女を夜中に外出させていたなんて。随分と危険なことをさせる組織だ。

 まあ、僕のような大人でも簡単に組み伏せるだけの技を持っているのなら、危ない目に遭っても大丈夫なのかもしれないけれど。ネブリナは生き抜くための色々な訓練を受けているとも言っていたし。

「アスミには主に夜回りをしてもらいましたが、残念ながら犯行現場に出くわすことはありませんでした。私の方も思うように進まず、捜査は暗礁に乗り上げていました。

 転機が訪れたのは、ある不可解な謎が解かれたからでした――その謎とは、犯人と思しきネブリナが少女たちに取り計らった、自殺場所への侵入経路です。報道にもある通り、少女たちの遺体が見つかったのはどれも別々の廃ビルでした。

 つまり少女とネブリナは夜中、それらの廃ビルに侵入していることになりますが、その経路や時間帯が突き止められませんでした。彼女たちが侵入した廃ビルはすべて、廃ビルと言えど警備会社の管理下にあり、監視カメラや防犯アラームが設置されています。また、廃ビル周辺の道路にも防犯カメラがありましたが、そこにも二人の姿は確認できませんでした。彼女たちはどのようにして廃ビル内に入ることができていたのか……」

 そこまで言うと、ジェマさんは一息つくように話すのをやめる。

 監視カメラや防犯アラームを掻い潜り、はたまた道路にある防犯カメラにも映ることなく廃ビルに侵入する方法……もちろん僕に分かることではない。

 というか、アスミに押さえつけられている体勢やキャシー先生に対する複雑な想いのせいで、まともに考えられる思考状態にない。

「まるでまともに考えられる思考状態なら、謎を解き明かすことも難しくないような口ぶりですね」

 苦笑混じりの揚げ足取りを喰らい、訂正。まともな状態でも分からなかったと思います。

「潔いのは美徳ですね――まあカメラやアラームの問題は、種を明かせば単純な方法でした。このネブリナは、あらかじめ警備会社のシステムをクラッキングし、カメラやアラームが正常に機能させないようにしてから廃ビルに侵入していたのです」

 クラッキングで、正常に機能させない?

 そんな漫画か映画みたいなことが本当にできるのか。あのキャシー先生が?

 というかカメラなんて、映らなくなったりしたら警備会社だって不審に思って感づくのでは……。

「確かに、侵入者を探知して鳴るアラームはともかく、カメラが機能していないことに気づかないほど警備会社の監視員も愚かではないでしょう。けれど実際、カメラの映像をモニタリングしていた監視員は気づくことができなかったのです。なぜなら警備会社のモニターでは、誰の姿もない映像が延々と流されていたのですから」

 映像を流されていた……つまり、実際の映像とすり替えられていた、ということだろうか。

「端的に言えばそうです。このネブリナは警備会社のシステムをクラッキングし、廃ビルなどにあるカメラと警備会社のモニターのコネクトを一時的に切断。同時に、警備会社のハードディスクに保管されている録画データを複製してモニターで流し、あたかもそれが今まさにカメラで撮っている映像であるかのように見せかけていたのです。夜中の廃ビルや周辺の道路の映像であれば、どの日を比べてもほとんど差異が分かりません。そもそもクラッキングされていることに気づけない監視員では、映像がすり替えられていることに気づくことは困難だったのでしょう」

 確かに、頻繁に出入りのあるビルの映像ならともかく、夜の廃ビルなんてほぼ変化はない。

 別の日の映像を流されても、今現在撮られている映像と錯覚してもおかしくはないかもしれない。

「事件にネブリナが関与しているのではと考えていた私たちは、警備会社のカメラがクラッキングされていたのではという仮説を早い段階で立てていました。そもそもこの映像をすり替える手法は、私たち組織の潜入捜査などで実際に用いられるものを応用した方法でしたから……しかしその手法を用いたかどうかを調べることも容易ではありませんでした。痕跡が可能な限り消されていましたし、すり替えられる前の本当の映像も残っていなかったからです。

 ですが唯一、突破口がありました。それはすり替えられた映像が、別の日の映像を複製したものである情報が残っていたことです。この事実から、私たちはネブリナの関与を確信しました。そして、各廃ビルに無理なくアクセスできる圏内に住んでいて、かつこのような芸当が可能なネブリナを割り出した結果……」

 キャシー先生を炙り出した、ということなのか。

 僕の言葉に、ジェマさんは頷くように目を伏せ、

「先ほども申し上げましたが、そもそも私とアスミの目的はこのネブリナを探し出すことでした。それがこのような形で実現し、相見えなくてはならなくなったことは……正直、胸が痛みます」

 どこか、寂しげな笑みを浮かべた。

 口ぶりから察するに、本当はこんな形で会うはずではなかったということだろうか。

 しかし――未だに信じられない。

 キャシー先生が元々ネブリナで、警備会社のシステムを軽くクラッキングできるほどの技術を持っていたとして……なぜ、今回のような事件を起こす必要があったのか。動機はなんなのか。

 まさかキャシー先生も自殺志願者だったのか。でもそうすると、少女たちだけが自殺していてなぜキャシー先生は生きているのか説明がつかない。

 それに、少女たちが薬を飲んで自殺したのだとすれば、なぜ遺体にはナイフが突き刺さっていたのか。また、遺体に添えられていたセーラー服などは、一体どんな意味があるのか……。

「動機などについては、まだ断定できるだけの情報が不足していますが……実は本日、私は有益な証言を得るため、このネブリナを家庭教師として雇っている人物と接触しました」

 雇っているって、まさか。

「ええ、拓海様のお察し通り、冠城慶士郎教授です」

 ――『人と会う約束をしているから、これで失礼させてもらう』

 今日、僕のテスト後。

 確かに冠城教授は、人と会う約束があると言っていた。

 でもまさか、その相手がジェマさんだったなんて。

「ネブリナのリハビリセンター時代のことについては、主治医から話をうかがっていましたが、日本に来てからの彼女については新たに調べる必要がありました。このネブリナは冠城教授の娘・冠城佳奈の家庭教師として雇われました。冠城佳奈は虚弱体質で小学校に通えなかったため、このネブリナがホームスクーリングを行っていたようです。それは冠城佳奈が八歳から十二歳の間まで続きましたが……」

 ――『去年の十二月にね、病気で亡くなって……元々、あまり丈夫な子じゃなくて、小学校にもほとんど通えていなかったの』

 キャシー先生の話が脳裏をよぎった。

 ジェマさんは続ける。

「家庭教師をする必要がなくなって以降は、冠城教授のアシスタントとして大学で働くことになったそうです。それは冠城教授によると、冠城佳奈の死に対するショックを少しでも紛らわせてほしくて勧めたと……ネブリナも拒むことはなくて、現在まで特に問題なく続けています。拓海様もご存じの通り……。

 私は、このネブリナの過去を知っています。センター時代のことも、内戦時にどんな経験をしたのかも……だからこそ、彼女がなぜこんな事件を起こしてしまったのか、想像できないわけではないのです。むしろこんなことが起きてしまう前に、私は彼女に会わなければならなかった。彼女を見つけ出さなければならなかった……責任を強く感じています」

 自分を責めるように、ジェマさんは言った。

 先ほどまでの、寂しげな微笑みは影を潜め――あるのは計り知れないほど深い、悲哀の気配。

 なぜジェマさんはこれほどまでに、キャシー先生に対して負い目を感じているのだろう。

 同じ内戦を経験したと話していたけれど、もしかして、友達だったのだろうか。

「友達、ですか……ふふっ。もしそうだったなら、これほど遠回りすることもなかったのでしょうけど」

 後悔を滲ませた声で、ジェマさんは笑った。

「このネブリナのことは、私にとって最後の因縁であり、心残りだったのです。今回の仕事や事件を抜きにしても、私はいずれ、彼女に会わなければならなかった――今夜が、その時だということです」



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