26





 一週間ほど、私はLDE内にある病棟で治療のための時間を過ごした。ほとんどずっとベッドに横たわっていて、偏頭痛や嘔吐感、倦怠感などの苦しみと闘った。アマンダは薬物依存によって生じる禁断症状Cold turkeyだと説明した。

「ここに運び込まれてくる子のほとんどはあなたのように苦しんでいるわ。多くはマリファナやコカインだけど、銃弾に込められた火薬を摂取している子も少なくないわ。戦場で負けないための、一種のまじない・・・・とも聞くけど……どちらにしても、最低な行いね。あなたたちのような年端もいかない子供に、ドラッグなんて」

 アマンダの嘆きに、私は同意しなかった。むしろ強く否定した。

 あなたは銃を持ったことがないから、敵に向かって行ったことがないからそんなことが言えるんだ。ドラッグの一つもなかったら、私たちのような子供は戦場で役に立たない。立ち向かうためにドラッグは必要だったのだ――私はそう反論した。

 するとアマンダは、酷く悲しそうな顔をして、

「それは、前提が間違っているわ。本来、あなたたちのような子供が銃を持つ必要はないの。……いいえ、本当は世界の誰も、持たなくたっていいはずなのよ。世界中のすべての人たちがお互いを愛し合えるなら、戦争を起こすこともないんだから」

 どうしようもないほどの綺麗事だった。偏頭痛がいっそうズキズキと響いた。

 なんておめでたい人なのだろう。彼女はこの安全で清潔な場所で、続々と運び込まれてくる不幸を不幸だと憐れんでいればいいだけなのだから。それだけで、自分の言うなにもかもが正しいと勘違いしていられるのだから。

「そうね。あなたの言う通り、私にできることはここで治療をするだけ。戦場まで赴くことは絶対にない。そんな私をあなたが毛嫌いすることは仕方のないことかもしれない」

 けれどね、とアマンダは言葉を継ぎ、

「私たちセンターの職員は、たとえあなたたちから銃口を向けられたとしても、自分たちではなくあなたたちの身を案じるわ。それは仕事だからじゃない。あなたたち一人一人が、これからの世界を作っていく希望だからよ」

 訴えるように話す彼女の言葉には、どれも安い値札がかかっているみたいだった。あるいは綺麗で高級過ぎて、今の私には手が届かない代物に思えたのかもしれない。とにかく、私は純白の白衣を着た医師の言葉の一切を嫌悪した。

 だが、施される治療には、決して抗わなかった。私はもう生きる希望など持っていなかったが、今のままでは自分で死ぬこともままならなかった。私は自分の体と精神を回復させる必要があった――たとえそれが、自らを殺めるためだとしても。

 矛盾した葛藤と過ごして、ドラッグの禁断症状にも慣れた頃、私は遂に病棟を出ることになった。

 だがそれは、LDEからの完全な解放ではなかった。むしろそれからが、このリハビリセンターの主目的とも言える日々となった。

 私は敷地内にある貸家の一部屋をあてがわれ、そこで生活するように言われた。決められた時間になったらセンターに出向き、ほかのみんなと一緒に勉強したり、食事を取ったりするとも教えられた。それから週に一度、医師からのカウンセリングを受けるようにと言われた。その医師とは当然、アマンダのことだった。

「こんにちは、カタリナ。調子はどうかしら」

 小綺麗な白衣をまとったアマンダからの質問に、私はただの一度も真面目に答えなかった。頑なに口を閉ざしたり、適当なことを答えたりした。カウンセリングなんてバカらしくて仕方がなかった。

「ほかの子たちとは仲よくできている? ここは喧嘩沙汰も多いから注意した方がいいわ。特に、反乱軍だったことは言わない方がいい。それでこないだも、政府軍で使われていた子たちと小競り合いが起きていたから」

 センターにいる子の中には、少年兵時代の洗脳が未だ解けず、勇敢な兵士だったことへのプライドを捨て切れずにいる子もいた。そういう子たちは、話している相手が敵の軍にいたと知るとすぐに口論を起こし、殴り合いにまで発展していることもあった。

 私は民族語があまり分からなかったから、ほかの子たちとは距離を置いていた。ゆえに無用な言い争いを起こすこともなかった。いや、たとえ言葉が通じたとしても、自ら進んで誰かと話そうとはしなかったと思う。禁断症状のせいで常に苛々していたからだ。こんな状態ではきっとすぐに諍いを起こしてしまう。でも今の私に銃はない。銃さえあれば誰だって殺せる自信があったけれど、今の私では誰も殺せない。誰にも勝つ自信がない。だから無用な争いごとは避けたかった。

 そんな胸のうちは、もちろんアマンダには明かさなかった。私は黙ったまま俯いていた。

 やがてアマンダは、言い聞かせるような口調で言う。

「だけどね、カタリナ。喧嘩を起こすことはよくないことだけれど、たまにはほかの子と話した方がいいわ。ここにはあなたと同じような境遇の子ばかりだから、きっと心の救いになるはずよ……こんなことを言ったらカウンセラー失格かもしれないけれど、私の言葉なんかよりも、あなたが必要としている言葉を与えてくれる存在だって、必ずいるはずだから」

 私が何度あしらおうとしても、アマンダが私への態度を変えることはなかった。彼女は医者というよりも、学校の先生のように振る舞うことが多かった。それがいっそう、私の苛々を助長させた。

 ――『ねえ、カタリナ。今日も一人でいるの?』

 不意に、孤独だった学校時代と、いつかのジュリエッタの言葉が脳裏をよぎった。私は追われるようにカウンセリングルームから逃げ出した。アマンダは追ってこなかった。私は廊下を走って、気づいた時には屋上へ向かうための階段をのぼっていた。

 立てつけの悪いドアをこじ開けると、瞳を突き刺すような日差しと真っ青な空が私を出迎えた。屋上には誰もいなかった。

 端まで歩いていくと、センターの敷地を囲う鉄柵の向こう、その先に広がる賑やかな街並みを望むことができた。売店Kioskがいくつも並んでいて、幾台ものトラックが行き交っている。私が住んでいた街よりも開発が進んでいるのは間違いなかった。私はより遠くの地平線を見つめたが、私がいたはずの戦場がどこなのか見つけることはできなかった。頭痛はやむことなく頭の奥でズキズキと響いていた。

「おい、飛び降りる気か?」

 少ししゃがれた男の声が降ってきた。

 屋上には誰もいないと思っていた私は、その声を聞いてすぐに振り返った。声の主は塔屋の上に座っていて、からかうような目で私を見下ろしていた。

 黒人の青年で、私よりはいくつか年上だろうと思った。それは見た目の印象でもそうだし、英語で話しかけてきていることからも察することができた。

「白人は、ここじゃめずらしいな。しかも随分と立派なとこのお嬢さんに見える」

 青年は値踏みするように言った。彼の皮肉染みた言葉は、頭痛に苛立つ私の感情をいっそう逆撫でるものだった。

 私は強い口調で、そんなところでなにをしているのか問いただした。

「気になるか? なら、上がって見にくればいい。ハシゴが怖くなけりゃな」

 飄々と答える青年の態度に、私はキッと目つきを鋭くした。

 ハシゴはドアのすぐ横に設置されていたが、怖れるほど危険そうなものでもない。つまりこれは挑発の類いだ。彼から見て『随分と立派なとこのお嬢さん』である私を嘲って言っているのだ。

 挑発に乗るのは癪だったが、私は素直にハシゴをのぼって青年のもとへ向かった。それ以外に彼のからかうような眼差しを出し抜く手段が思いつかなかったからだ。私は彼が思うより速い速度を心がけてハシゴをのぼった。

 私は彼に文句を言ってやるつもりだった。けれどその憤りは、のぼった先にいた彼の姿を見て呆気なく失われた。

「おう、どうした? 一発殴ってやろうって顔で来たかと思えば、口をぽかんとさせて」

 飄々とした笑みで私を出迎える青年。

 靴を脱いで胡座していた彼の前には、解体された銃のパーツが隊を成すように規則正しく並んでいた。一目でカラシニコフだと分かった。

「へえ、バラバラになった状態でよく気づいたな。お前もこいつの愛用者だったのか?」

 私はなにも答えなかった。より正確に言えば、久しぶりに銃を見たことで体のあちこちが疼いて、それらを抑え込むのに必死で答えられないでいた。

「こいつは純正じゃなくノリンコだがな。いわゆるコピー品だ。でも一度も壊れたことがないし、純正のガリルよりよっぽど使い勝手がいい」

 青年が得意げに語り始めた頃、私はようやく全身の疼きに打ち克った。屋上に注がれる太陽がじりじりと私の肌を焼き、歯並びの悪い青年の笑顔を照らしていた。

 私は訊ねた。なぜノリンコを持っているのか。どこで手に入れたのか。

「随分と興味津々だな。そんなに銃が恋しかったのか? ……まあいいや。こいつは街に出かけた時に手に入れたもんだ。裏通りに行きゃ非合法な売人はいくらでもいる。ついでにガックも手に入る」

 青年は銃弾の一つを分解する。中から零れ落ちてきたのは火薬とは思えない白い粉末で、すぐにドラッグの類いだと分かった。

「ご名答、こいつはコカインの一種だ。俺が取り引きしている売人の間じゃガックって呼ばれてる。銃とドラッグは切っても切り離せない。銃がある場所には必ずドラッグがあるもんさ。両方手に入れるのは難しくない。センターに持ち込むのは苦労したけどな」

 そもそも、なぜ街に繰り出すことができるのか。センターの外へ出ることは制限されているはずだ。どうやって外出許可を得たというのか。

「実はな、外出許可は下りるんだよ。だが誰でもってわけじゃない。きちんとカウンセリングを受けて、心と体のケアってものが順調な奴だけがその資格を得られるんだ。カウンセリングを突っぱねてる間は外に出られない。もしかしたら一生、な。

 俺も初めはカウンセリングなんてバカバカしかった。マリファナの禁断症状でいつも頭がおかしくなりそうだったし、センターの奴らとも喧嘩ばっかりしていた。なぶり殺してやりたかったがその前に職員から止められちまう。鬱憤ばかりが溜まる最悪の毎日だった……だけど俺も、賢い年上の奴に教わったのさ。大人しく従っていれば徐々に自由も回復するし、銃やドラッグもこの通り手に入れられる。それに、戦場に戻れる日も来るってな」

 私は耳を疑った。

 戦場に戻れる? ――一体どういうことなのか。

 このセンターは、戦争孤児たちを支援するための施設ではないのか。

「表向きはそうさ。ケアが順調に進んだ奴は男ならニエブラ、女ならネブリナと呼ばれるようになって、本格的な社会復帰に向けた養成施設に移ることになる。そこではこの辺の職業学校とは比べものにならないほど様々な分野を学べるらしい。そこで自分が学びたいことを好きなだけ学び、あとはセンターが働き口を見つけて斡旋してくれるって構造だ。中々素敵なもんだろ? 定期的なケアや身体検査は継続されるみたいだが、それを差し引いたって結構な好待遇だ。一端の幸福は得られるように準備されている。

 で、この流れの中でどうやったら戦場に戻れるのかって話だけどな……そもそもこのセンターは戦争孤児が集められている。しかし疑問なのはどうやって集めているのかだ。お前は自分がどうやってここに連れてこられたか覚えているか?」

 私自身は覚えていないが、アマンダから聞いた話によれば、私はあのラルフという傭兵にショック弾を受け、気絶したところを救出されたことになっている。

「なるほど、そういう成り行きか。反乱軍と政府軍で偉く違うもんだな」

 青年は独り言を呟くように言ったのち、

「俺の時は政府軍のアジトにセンターの人間がやってきて、話し合った末に俺たちのような子供だけが明け渡された形だった。それがどういう話し合いだったのかは分からないが、とにかく重要なのは、このセンターの人間も戦争孤児や子供の兵士を救出するために戦場へ赴くことがあるってことだ。単に交渉をするだけの人間じゃなく、そのラルフとかいう傭兵のような戦闘ができる人材もいる……じゃあその人材はどこから得ているか、想像できるか?

 まあ、いくらかは国連軍からの派遣もあっただろう。だが戦闘員ともなると危険が伴うし、銃の扱いや戦場の地理に長けてなきゃならない。今回の内戦はもう十年近く続いている。それだけ長い戦いを乗り切るためには持続的な兵力供給が必要になってくる……ここまで話せば、俺の言った戦場に戻れるってことの意味がなんとなく掴めてきただろ?」

 青年はニヤリと口角を上げる。

「ここでケアを受けて、ニエブラやネブリナになった人間の働き口――その斡旋先に、このセンターの兵士になる道があるってわけだ」

 彼の両目には、戦火への執念が煌々と燃え上がっているように見えた。

「少年兵だった俺たちなら銃の扱いにも慣れてるし、戦場がどんなところかも理解している。敵を臆することもない。自分のような子供を救いたいから入隊したいという大義名分も作りやすい。なあ、うってつけだと思わないか? だからそうなるためには、今は大人しくしておくのがいいってわけさ。

 とは言え、それまでに銃の扱いを忘れてちゃ話にならないかな。銃撃はともかく分解と組み立て作業くらいは復習しておこうと思って仕入れたのがこのノリンコだ。ガックはおまけだったが正直こいつもありがたい。ドラッグが切れると苛々して誰かをぶん殴っちまいそうになるからな。カウンセラーどものケアよりよっぽど効果的で頼りになるんだ」

 布の上に落ちた白い粉末を丁寧に薬莢へ戻し始める青年。

 その光景は酷く甘美なものに映り、全身に堪えがたい疼きが生まれた。喉の渇きとも違う、空腹とも違う心の枯渇が私の目を眩ませた。前触れもなく胸が高鳴り、それはもう我慢の効かない欲求であると理解せざるをえなかった。

 私はぺたんと青年の前に座り込み、しどろもどろな声で、自分も戦場に戻りたいと打ち明けた。震える手が自然と青年の手――青年が手にしているガック入りの弾丸に伸びていた。

「へへ、随分と甘ったれた目になっちまったな。でもその方が可愛いらしいぜ?」

 青年はまた並びの悪い歯を見せて笑い、私の手に銃弾を握らせる。

「俺はレオナルドだ。センターの奴らからはレオンって呼ばれてる。それかディカプリオでもいいぜ?」

 面白くないジョークに構っていられるほど、今の私に余裕はなかった。

 私はカタリナよ、とだけ答えて、レオンのかすかにあばらが浮き出ている胸元にしがみついた。



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