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 アマンダの話によれば、『LLUVIA DE ESPERANZA』――通称LDEは、戦争孤児などの支援を目的とした非政府組織だという。

 表向きはこのリハビリセンターの運営を主たる活動内容としているが、実際にはもう一つ、別の顔を持っている。それは戦争孤児や少年兵たちの保護活動だという。紛争の早期終結のために組織された国連軍と手を組み、不幸にして紛争に巻き込まれた子供を救出している。

 つまり私は、その任務を負ったLDEの部隊によって救出され、このリハビリセンターに運ばれた。あのラルフ中尉という男も、本当は傭兵ではなくLDEの人間だったわけだ。

「ええ、ラルフね……彼、亡くなったわ。反乱軍の小隊を殲滅して、あなたのような子供たちを救出したすぐあとにね」

 アマンダは物悲しそうな声で言った。

 その事実について、私が殊更に思うことはなにもなかった。

 ――それよりも、ジュリエッタは。

 彼女は、どうなったのか。私の記憶には、彼女を殺せた感覚は残っていない。だとすればあの子も、このリハビリセンターにいるのだろうか。

「ジュリエッタ……私の記憶では、そんな名前の子はいなかったと思うわ。ただここには、心神を喪失して名前が思い出せなくなった子もいるし、マラリアにかかったり妊娠したりして、一時的にセンターを離れている子もいるから……その、ジュリエッタという子は、あなたのお友達?」

 私はアマンダを睨みつけた。あなたには関係ないでしょう、と突き放した。

 やはりアマンダは、驚きも憤りもしなかった。「ごめんなさいね、立ち入ったことだったわ」と微笑みかけてくるだけだった。

 私はいっそう苛立ち、左腕に繋がっていた輸液のチューブを引き剥がした。やけに粘着力の強いテープのせいで肌がひりひりした。

「ちょっと、なにを――」

 看護師の女性が目を剥き、慌てて私の傍まで近寄ってくる。

 私は気に留めず、彼女たちがいる方とは逆側からベッドを下りた。そのまま立ち去るはずだったが、両足に上手く力が入らず歩けなかった。酷い目眩にも襲われ、立っているだけで精いっぱいだった。

「どこへ行く気?」

 アマンダが私の前まで回り込んでくる。

 私はとっさに、自分の背中に手を回した。しかしなにも掴めなかった。私のカラシニコフは、もうどこにもない。

「意識がはっきりしているのはいいことだけど、歩き回るにはまだ早い段階よ。今だって立っているのがやっとのはず。あなたはベッドに戻るべきなの。あなたは利口そうだから、それくらい分かるでしょう?」

 手を差し伸べてくるアマンダ。

 私は、触るなと声を上げて彼女の手を振り払ったが、その瞬間に激しく視界が揺れ、その場にへたり込んだ。吐き気にも襲われ、上体を維持することすら困難になった。

「ベッドに戻りましょう、カタリナ。ここにはもう、あなたの命を脅かすものはなにもないのだから」

 私の肩に手が添えられた感触があった。

 苦しみを堪えながら私は顔を上げた。酷く冷静に私を見下ろすアマンダの姿があった。彼女の眼差しはまったくと言っていいほど、私を怖れていなかった。

「あなたはもう兵士じゃない。ただの子供に戻ることができるの。その意味は分かるわよね?」

 アマンダの言葉からは、こちらの不安を少しでも取り除きたいという気遣いが感じられた。空腹の子供に甘いお菓子を与えるような、慈悲深い優しさがあった。

 けれど私は――快く思うことができなかった。

 今更、ただの子供に戻って、どうしろと言うのか。

 銃を取り上げられ、満足に歩けもしない体になって、こんな状態で、なにに縋って生きていけばいいのか。

 そもそも私は、あの戦場でなにを求めていたのだろう。どうして早く死んでしまわなかったのだろう。なにを思って銃を握っていたのだろう――。

 答えの分からない自問に苛まれる中、私はまたアマンダや看護師たちによってベッドに寝かされていた。右腕には再び輸液のためのチューブが繋がれようとしていた。





「リーナ、本当にすまない……こんな国に君を連れてくるべきではなかった。すべて僕の責任だ」

 気がつくと、目の前にはパパの姿があった。私の両肩を抱き、申し訳なさそうな瞳で私を見つめている。

 ――どうして、パパが?

 パパは死んだ。ママと一緒に死んでしまったはずだ。

 ああ、そうか。なんてことはない。

 これはきっと夢だ。記憶が整理される過程で脳が見せる、ただの幻覚。

 その証拠に、この会話には覚えがある。

「もう、どうしてこんなことになったの。ほんと、信じられない」

 今度は、ママの姿が目の前に浮かんだ。パパの隣に立っていて、表情にははっきりとした苛立ちが滲んでいた。

 これはたぶん、この国へ来て間もない頃の記憶。

「また僕への嫌味か? 今更なにを言っても覆らないものは覆らないんだ」

「そんなこと分かってるわよ! だけどあなたのせいなのも覆らない事実でしょう?」

「おい、リーナの前だぞ……もうよさないか、こんな話」

 この国に来ることが決まってから、二人は仲が悪くなった。

 私はそれが気に入らなかった。私だって引っ越すのは辛かったけれど、パパやママがいてくれるなら場所なんて関係ないと思っていた。だけど二人は、そうじゃないみたいで、笑顔の消えた二人と一緒にいることは苦痛になっていた。

「リーナ、ほかの子たちとは言葉が通じなくて辛いだろう。パパも頑張って、早く前の国に戻れるようにするから……だから学校では、友達は作らなくていいからね」

 私はパパの言う通りにした。前の国に戻れることになって、二人がまた仲直りしてくれるのなら、私はどんなことでも受け入れるつもりだった。

 だから学校では誰とも話さず、孤独でいることを心がけた。

 同級生は黒人ばかりだったので、白人の私はめずらしがられた。転入して間もない頃はみんなからよく話しかけられたが、ほとんどの子がまともに英語を話せなかった。公用語が英語というのは大人の間だけらしい。子供のほとんどは民族語しか満足に話せないようだった。

 どの道、私は誰とも友達になれないのだ。パパと約束するまでもなかった。

 私は不機嫌なふりをして、話しかけてきた子たちすべてを無視した。

 少しずつ、私に構おうとする子は少なくなっていった。私は安堵しながらも、言いようもない寂しさを覚え始めていた。

 前の国の学校では、教室で独りぼっちになることなんてなかった。友達は多い方だった。だから、話しかけてくる子を拒絶するなんて、本当はしたくなかった。

 でも、パパは『できるだけ早く、この国を出られるようにする』と言っていた。

 パパは約束を破ったことなんてない。だからきっと、すぐに転校することになる。それで友達なんか作ったって別れる時が辛くなるだけ……この寂しさも、今だけの辛抱だ。

 そうして私は、同級生たちを拒絶し続けた。誰とも話すことなく、ただ時が早く流れることを願っていた。

 果たして、私は孤独になり、私に話しかけてくる子もいなくなる――はずだった。

「ねえ、カタリナ。今日も一人でいるの?」

 ただ、一人だけ。

 ジュリエッタだけは、私に話しかけてくれていた。とても綺麗な英語で、初めて聞いた時はとても驚いた。ほかの子よりも肌が薄いから、親のどちらかが白人なのだろうとすぐに想像がついた。

「一緒に遊びましょうよ。私、あなたと友達になりたいわ」

 屈託のない笑みと聞き取りやすい英語が、この時だけは私の心に安堵を与えた。

 彼女も私と同じような境遇なのだろうか。民族語が話せず孤立し、寂しさを募らせながら教室にいる……だからこんなにも、私と仲よくしたがっているのだろうか。

 ――そんな私の憶測は、すぐに見当違いであると思い知らされた。

「言葉なら、私が伝えてあげるから。一人より、みんなといる方が楽しいよ」

 ジュリエッタは、私と同じ境遇ではなかった。彼女は民族語も話すことができ、教室内でも人気のある子だった。

 言わばジュリエッタは、同情心で私に接してきている。孤立している私を憐れんでいる。それは私にとって身に覚えのない経験で、決して快く思えるものではなかった。私は英語で話しかけてくるジュリエッタさえも無視し続けた。

 しかし明確に拒みもしなかった。もう話しかけてこないでと、そんな風に言うこともなかった。

 それは心のどこかで、本当は期待していたからかもしれない――ジュリエッタが、私の友達になってくれることを。無理やりにでも私の手を引いて、みんなの輪に迎えてくれることを。

 けれど、そんな日は訪れなかった。

 やがてジュリエッタも、私を気にかけないようになった。私と目が合っても、彼女は申し訳なさそうに目を逸らして、ほかのみんなのもとへ歩いていくのだった。そうして私の孤独はより明白なものとなった。

 私は、どうよしようもないことだと自分に言い聞かせた。パパの転勤が早く決まることを願い続けた。

 しかし一ヶ月、二ヶ月と過ぎても、私たちはこの国にいた。更に半年が経っても、パパからよいニュースを聞くことはなかった。

 それどころか、パパはあまり家に帰らないようになった。帰ってきても私やママが寝静まった頃で、顔を見ない日が少しずつ増えていった。

 初めは、仕事が忙しくなったのだと思っていた。だけど本当は違っていた。

 ある日の深夜、私は偶然、パパとママが口論しているのを目の当たりにした。口論というよりは、ママが一方的にパパを罵っているみたいだった。いつものママからは信じられないほど汚い英語ばかりだった。

 パパはソファに座り込み、疲れ果てた顔で床に視線を落としていた。時折目を泳がせていたが、ただの一度もママを見ようとしていなかった。

 私は部屋のベッドへと戻った。枕を抱き、声を上げて泣いたが、誰も部屋に入ってこなかった。月明かりと二人ぼっちで過ごした私は、朝を迎える時には独りになっていた。涙は頬の上で跡もなく渇いていた。

 内戦の足音が私の街にまで聞こえてきたのは、それから数ヶ月が過ぎた頃だった――……。



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