19





「本当は、宇佐見君以外にもいたんだがな」

 冠城教授が嘆くように呟く。僕は苦笑を返すほかなかった。

 補習の確認テスト終了後、教授はその場で採点を始めてくれた。というのも、今日は僕一人しかテストを受けなかったからだ。補習期間中に日に日に減っていき、ここ一週間は僕しか顔を見せていなかった。

「ほかの者は、単位をドブに捨てたようだ。せっかく挽回の機会を与えたというのに。彼らは誤った選択したと思わないかい?」

 教授からそう訊かれ、僕は曖昧に頷き返すほかなかった。

 そもそもこの補習は、絶対に出なければならないものでもない。途中から来なくなった人たちだって、後期以降はなんとかやりくりするのだろう。

「やりくり、か。単位の取得を小遣い計算かなにかと勘違いしていそうな表現だね」

 まあ、多くの学生は必要単位数さえ稼げれば問題ないと考えていそうな気はする。ちなみに僕もそうだ。特に外国語の単位なんてとにかく取ればいいとさえ思っている。

「その素直さは買いたいが、私以外の教員に明かすのは控えた方がいいだろう」

 採点し終えた冠城教授は、決して高くはない点数の横に『OK』の二文字を書き入れてくれた。

「さて、なにか質問はあるかい。特になければこれで補習はお終いだが」

 質問。

 そういえば、今日はキャシー先生が来なかった。用事かなにかだろうか。

「補習内容に関する質問を求めたつもりだったのだが」

 渋い面持ちになる教授。

 どうやら僕の質問は的外れだったらしい。

「彼女はお休みだよ。今日はこれだけの予定だったからね」

 トントン、と答案を指先で叩く仕草。

 キャシー先生は補習の間も休まず来てくれていた。それは出席する学生が僕一人になっても変わらなかった。

 正直なところ、彼女との会話を楽しみに出席していたと言っても過言ではない。今日も会えるのを楽しみにしていたのだけど。

「講義には出なかったが、学内のどこかにはいるだろう。もしかすると図書館で新聞でも読んでいるかもしれない」

 僕のよこしまな心情を察したのか、教授は興味深い情報を提供してくれた。

 同時に、今日の僕のスケジュールに図書館へ寄ることが追加された。この暑い中わざわざ大学まで赴いたのだ。キャシー先生に会わずして帰るなんてバカげているとしか言いようがない。

 それにしても、新聞か。僕は最近読んでいない。

 実家にいた頃はジェマさんが『たまには読んだ方がいいですよ』とうるさかったから目を通していたけれど、一人暮らしを始めてからは取り寄せたいと考えたこともなかった。業者からの勧誘はしょっちゅう来るけど。

「新聞くらいは読んだ方がいい。どうしてかなんて、そんなことは就職活動を始めれば身に染みて感じるようになるだろうから説明は省くが……とりあえず今は、興味のある報道について目を通すだけでも多少は得があるだろう」

 興味のある報道。

 僕の場合なら、この界隈で起こっている『セーラー服事件』のことについてとなるだろうか。一応、テレビのニュースで情報は追っているけれど。

 今のところ、確認されている遺体は四体。その全員が胸元をナイフで刺され、遺書を携帯した状態で発見されている。また、制服に関する衣類もやはり一緒に見つかっている。

 制服は巷でも有名な某私立中学のものらしいが、被害者とはなんの関連性もないという。その私学に通っている子や進学予定の子がいるわけでもない。しかも制服は現行のものではなくやや古い年代のもので、誰が使用していたか調べられそうな痕跡もすべて失われた状態で発見されているらしい。もし犯人が捨てているのだとすれば用意周到ではあるが、そもそも証拠になりそうなものを現場に残していること自体がまったく意味不明である。警察にバレたいのかバレたくないのかよく分からない。

 遺書については全員、被害者の直筆であることは間違いないようだった。内容も一部報道されていたが、学校でいじめに遭い苦しんでいた子、親戚からの性的虐待に堪えきれなくなった子、余命を宣告されて将来に希望を持てなくなった子など、自殺したい理由も様々だった。

 少女たちには繋がりがない。共通点は死の状況のみ。真夜中に死亡して朝方に見つかるというケースも共通している点と言えるだろうか。

 ――不意に、アスミのことが脳裏をよぎる。

 真夜中に起きて、ベッドを抜け出していたアスミ。

 本人は覚えていないから、ジェマさんは夢遊病ではないかと言っていたけれど……本当に、ただそれだけで納得してよいことなのだろうか。

 あの事件は、アスミが僕の部屋に来た翌日から始まっている。それから今度は、アスミが夜な夜な起きていた翌朝に四人目の被害者……。

 もしやこれまでも、アスミは夜中にひっそり起きて、外へ出ていたのではないか?

 そして、なんらかの形であの事件に関わっているのでは――。

 いや、さすがに考え過ぎか。

 大体、アスミだってまだ子供なのだから。できの悪いサスペンスじゃあるまいし、こんなバカげた容疑をかけるには彼女はまだ幼過ぎる。

「さっきからなにをぶつぶつ呟いているんだい? 用がないのならもう帰って構わないよ」

 冠城教授の声で僕は我に返った。

 いけない。考え事をしていたからとは言え、教授と二人きりの空間に長居してしまうなんて。キャシー先生に会える時間が減ってしまう。

 僕は軽く会釈をしてから、教室を出ようとした。

 が、もう一つだけ。

 冠城教授に訊きたかったことを思い出し、僕はきびすを返した。

 ――どうして教授は、僕にあんなことを訊いたのか。

「あんなこと? なんのことだい」

 二週間前、僕に補習へ出るよう告げたあの日。

 教授は僕に訊ねた――知り合いに少女はいるかと。

 それと、夜は物騒だから、外出は控えるようにとも言っていた。

 その翌朝、怪死事件の最初の遺体が発見された。

 まるで、事件が起きることを予期していたみたいじゃないか。夜に外出を控えることはともかく、知り合いに少女がいるかなんて確認までした辺りが余計にそれらしいというか……。

「その事件とは、巷で起こっている『セーラー服事件』のことかい?」

 教授からの確認に、僕はそうですと頷く。

「だとすれば宇佐見君、少し勘繰り過ぎだ。君の知り合いに少女がいるかという問いと、夜の外出は控えるようにという忠告が重なったのは、単なる偶然に過ぎない」

 それなら一体、どんな偶然だというのか。

「ここで話すようなことではない。とても個人的なことだからね」

 お茶を濁すように言うと、冠城教授は教材一式を持って腰を上げ、

「人と会う約束をしているから、これで失礼させてもらう」

 僕に教室の鍵を手渡すと、慌ただしくドアの向こうへと去っていった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る