第2章 世界の果てへ ―Take Me Faraway―
11
――
そう呼ばれるよりも以前、私には
故郷は、年中間断なく猛暑の村。
季節という概念はほとんどなく、感じられる気候の変化は湿度の違いくらいだった。
私は故郷が好きだった。
いくつかの人種が共住するめずらしい村で、でもみんな仲がよくて、豊かではなくとも平等に暮らしていた。黒人の父と白人の母を持つ私は、村の平和を象徴する存在だと言われることもあった。
私の父は音楽を嗜んでいて、たまに学校のピアノを借りて演奏してくれた。父が特に好んで弾いたのは、決まってベートーヴェンの月光だった。
「ジュリエッタ、君の目はママによく似て、澄んでいる。ルツェルン湖の波に揺らめく光のようにね」
それが父の口癖。
周囲から笑われるくらい子煩悩な人だったけれど、私にとっては誇れる父だった。ジュリエッタという名前も父が付けたもので、GではなくJで始まるところが重要だと話していた。どう重要なのかはよく分からなかったけど、父があんまり楽しげに語るものだから、私もジュリエッタという名前は気に入っていたと思う。
「ジュリエッタ、また英語で満点だったそうね。将来は学者か、小説家かしら」
母はいつも、穏やかな笑みが印象的な人だった。
冗談混じりに褒めたあとは大抵、
「でも芸術に走るのはダメよ? 変わり者は、一人で充分だもの」
そう、父を見ながら軽やかに笑う。
それはきっと、幸せと呼ぶにはささやかなもの。
けれど私にとっては、どれだけお金を積まれても代え難い、大切な時間だった。
二人も、きっとそう感じていたと思う。
両親を失ったのは、内戦に巻き込まれたのと同じ頃で、私は十二歳だった。
その日、私はいつものように友人たちと登校した。けれど学校は開いていなかった。
街の方が反乱軍に襲撃されたことを受け、当分お休みにするとのことだった。
私の国では当時、失政に痺れを切らした反政府勢力が武装蜂起し、各地で虐殺や略奪を起こしていた。
私たちは下校を余儀なくされた。この時はまだ恐ろしいほど楽観的だった。戦争を教科書や物語の中で知らなかったからだ。自分たちが巻き込まれることなど想像できずにいた。
村のすぐ近くまで帰ってすぐ、私たちは同じように異変に気づいた。
普段は草のにおいに満ちた砂利道に、かすかに、焼け焦げた肉のような、
その日、私たちは七人で行動していた。
男の子が四人と、女の子が三人。
歳もばらけていて、一番上は十四歳、下は九歳の子もいた。
「間違いない。血のにおいだ」
冷静に呟いたのは、一番年上の男の子だった。もう幼くはない何人かは、彼の言葉の真意を理解していた。
私もその一人だったが、信じたくはなかった。
気づけば、手先が見たことないくらい震えていて、不快な鼓動が胸のうちで高まって、頬を玉の汗が伝っていた。
私たちは砂利道を外れて草むらを這い、ひっそりと村の様子をうかがった。
村の大人が処刑されていた。
不格好な軍服に身を固めた、屈強な男たちによって、射殺されていた。
別の村人は取り押さえられ、両腕を切り落とされていた。なぜそうされているのかは誰にも想像がつかなかった。
村人たちの命乞いは瞬く間に痛苦の悲鳴に変わり、それを掻き消すように、兵士たちの下卑た笑い声が村に木霊する。
最も驚いたのは、銃や鉈を使って処刑しているのが大人だけでなく、私たちと同じくらいの子供もいたこと。
褪せた朱色のシャツに紺のジーンズ、チェック柄のバンダナを頭に巻き、下品に笑う大人たちとは対照的な、身も凍るような鋭い眼光を放ちながら武器を構えた少年兵たち。
中でも特に小さく見えた兵士は、マネキンを武装させたみたいに、終始変わらない無表情を浮かべていた。
「カラシニコフだ。たぶん、反乱軍」
再び、一番年上の男の子が神妙に言った。
私にはもう、そんな事実を確認する余裕はなかった。
泣きたい衝動を必死に堪え、嗚咽も噛み殺して、身を潜めることに徹した。
誰も逃げようとしなかった。けれど助けに行くこともしなかった。
反乱軍がどの辺りまで占拠しているか分からない現状、彼らが村を立ち去るまで待った方が安全でないかと判断し、私たちはしばらく身動きを取らなかった。
発砲音が響く度、叫喚が耳をつんざく度、私は濡れた頬を何度も拭って正気を保とうとした。
そんな傍観の終幕は、実に呆気ない出来事によってもたらされる。
散乱する死人の群れにまた、切り取られた誰かの四肢が投げ捨てられ、次の標的が用意された時。
「ママ……!」
女の子の一人が思わず叫ぶ。
同時に、兵士が私たちのいる茂みに視線を向けた。
「逃げろ――!」
年長の男の子が告げる。
張り詰めた糸が切れたように、私たちはその場から駆け出した。
下品な怒号が村から一斉に立ち上がる。自動小銃の射撃音が凄まじい勢いで迫ってきて、的を絞らせないよう私たちは散り散りに走った。
女の子の一人が足を撃たれ、それに気づいて足を止めてしまった男の子も銃弾を受けて倒れるのが見えた。
伏した男の子を後目に、私はたった一人、斜面になっている密林の中を下った。兵士たちから姿をくらませるためだった。
段々と銃声が遠ざかるのが分かって、私は泥まみれになった白いワンピースの裾を手で少しだけ裂いて、また走り始めた。
さまよう脆弱な足音は、日常が崩れ落ちていく音そのものだった。
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