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補習の日程などを知るため大学のホームページをチェックしてみたが、どこにも見当たらなかった。
冠城教授の『詳しくは掲示板を見るように』とはこういうことなのだろう。みんなが暑い中わざわざ大学まで来させて確認させることも処罰の一環みたいだ。おかげで僕も夏休み初日から大学へ赴く羽目になった。
例の少女についてはどうしようか悩んだ結果、お留守番してもらうことにした。気持ちよさそうに寝ていたから起こすのもはばかられる。僕にとっても子連れで大学へ行くのはハードルが高い。
外は日差しが強く、歩いているだけでも額に汗が滲んだ。こんな猛暑の中、生地の厚いメイド服や黒いジャージ服を着て歩いてきた彼女たちが信じられない。しかもほとんど汗をかいていなかったし。汗腺がないのかもしれない。
学内にはまばらながらも人影があったが、部活動生が多いようだった。僕はまっすぐ学科の掲示板へ向かった。
補習の詳細はすぐに見つけることができた。内容を見ると、特に成績が悪く後期に不安のある者を対象とした補習らしかった。前期に関しては落単したわけではないらしい。
日程や内容が書かれた紙の横には対象者の一覧表があり、僕の学生番号は表の一番上に記されていた。番号順だからだとは思うけど、なんとなくバカの筆頭みたく感じられていい気がしなかった。僕は日程などが記載された紙の方だけをスマホで撮影し掲示板をあとにした。
本当にこれだけで帰るのも癪だったのでカフェテリアに寄ることにした。屋内はクーラーが効いていて涼しかった。
カフェテリアはほとんど空席だったが、テーブルを利用している者もちらほら見かけた。その中に見知った二人組を見つけた僕は、自販機でアイスコーヒーを買ってから彼らのもとに向かった。
「あら、宇佐見君。ハロォ。電話ぶりね」
二人組のうち、白人女性の方が僕に話しかけてくる。先ほど僕に電話してきたキャシー先生だ。僕はこんにちは、と挨拶した。
アスミとはまた違った印象を受ける金髪が特徴的で、瞳の色と同じ青色のフレームをした眼鏡もよく似合っている。タイトなTシャツとジーンズで際立つボディラインは今日も美しかった。
「…………」
それと、二人組のうちのもう一人。
僕に目を向けることもなく、仏頂面のまま缶コーヒーをすすっている男性が冠城教授である。
精悍な、しかし気苦労な色をした白髪混じりのオールバックが目を引く男性で、歳はたぶん四十前半くらいだと思う。僕は適当に会釈して挨拶を済ませた。
すると、冠城教授は缶コーヒーを置き、
「内容の確認はできたかい?」
と、低い声で訊ねてくる。僕は、おかげさまで、と皮肉っぽく答えた。
「そうか」
冠城教授はまた缶コーヒーを手に取ったが、口に運びはせずなにか物思いに耽っているようだった。この人はいつも端的だ。それから考え事をしていることが多くて、なにを考えてるのかよく分からない。
「宇佐見君も座ったら?」
そうキャシー先生が僕にうながし、「いいでしょう?」と冠城教授に確認を取っている。
教授は返事をせず、頷くこともしなかった。キャシー先生が「いいみたいよ」と言ったので、僕は彼女の隣の席に座った。
僕は缶コーヒーを開けて一口飲み、どうして僕が補習の対象になったのかを二人に訊いてみた。
「それはね、慶士郎さんのご厚意よ」
答えてくれたのはやはりキャシー先生だった。
「補習は必ず受ける必要はないの。ただ今後のことを考えると、一年生の前期でこれだけ苦労しているのはちょっとね。だから宇佐見君は受けた方がいいと思う」
僕はそんなに酷い成績だったのか。
「あら、自覚がなかったの?」
軽やかに笑うキャシー先生。
自覚がないのかと問われると、どうだろう。ペーパーテストの結果はいつもよくなかったが、授業には積極的に参加していた。キャシー先生への挨拶は欠かさなかったし、授業中は常に英語で話しかけていた。キャシー先生が来てくれる日は必ず出席していたし、出席点も悪くないはずだ。授業に対する熱意は高かったと思うのだけど。
「確かによく話しかけてくれていたけど、ただ知っている英単語を並べていただけだったわよね……?」
キャシー先生は微苦笑を浮かべて言った。
彼女の言うことは事実だったので、否定のしようがなかった。
「それと残念だけど、出席点というものはないのよ。慶士郎さんの授業は基本的に試験の結果がすべてだから。もちろん五回以上休んだら落単扱いになるけど……というか宇佐見君、私が来ない日は出席していないの?」
当たり前だ。キャシー先生がいないのなら出てもしょうがない。
「それはネイティブスピーカーがいないからってこと? なんだかそういう感じにも思えないけど……」
意外と察しの悪いキャシー先生だった。あるいははぐらかされているだけなのかもしれない。
それからは主に、キャシー先生と二人で歓談した。冠城教授はずっと考え事していて、僕がいる間は一言も喋らなかった。
僕は缶コーヒーを飲み終えたあと、補習にはキャシー先生も来るのかどうか確認を取った。
「ええ、急用が入らない限りはね。慶士郎さんが忙しい時は、私だけの時もあるかもしれないわ」
僕は必ず補習に出ようと思った。
しばらくして、冠城教授が「そろそろ戻ろう」と言って腰を上げた。それに合わせてキャシー先生も立ち上がる。
「宇佐見、君の知り合いに少女はいるか?」
教授は去り際、そんなことを訊いてきた。僕は返答に窮した。なぜ教授がそんなことを訊いてくるのか分からなかった。
「いるのか、いないのか?」
改めて二択で問われ、僕は分からないまま考えさせられた。
少女、と言われて、僕の部屋で眠っているあの少女の顔が思い浮かんだ。
教授はジッと僕を見つめていた。僕は曖昧に頷いた。
ちゃんと返事ができなかったのは、今日出会ったばかりのあの少女を、知り合いと呼んでいいのか分からなかったからだ。
「そうか」
教授はわずかに目を伏せた。
「最近、この辺の夜は物騒だ。外出は控えるようにした方がいい」
物騒? そんな話は聞いたことがない。
という僕の疑問に教授は答えてくれず、
「それと、補習には必ず出るように」
そう取って付けたように言って、カフェテリアを去っていった。
僕はキャシー先生に向ける。彼女は歩いていく教授の後ろ姿を見つめていたが、やがて僕の視線に気づくと「
二人を見送ったあと、僕はしばらくカフェテリアにいた。冠城教授の言っていたことが気になり、スマホでこの界隈のことを調べたりもしたが、物騒と言うほどの事故も事件も起こっていなかった。強いて言えば、色々あって解体工事が中断されている廃ビルがあって、その辺りが不良の溜まり場になっているから注意しろというものくらいだった。そんなところ、誰が好きこのんで行くものか。
僕は席を立ち、空になったコーヒーの缶を捨てに行った。
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