最終話:私は私にできることをやらなくちゃ!

 2079年1月1日。航空士官学校ベンガヴァル42期候補学生カデット達は正式にバーラタ空軍少尉として任官された。彼女達の着用する制服の肩には小さな星が一つ加えられ、胸元には金色のゴールドスカーフが結ばれることになったのである。そして、平時に戻ったバーラタ軍では、生き残った者達がそれぞれの希望-に沿わなかった者もいるが-に基づき、それぞれの進路に別れていった。


 フレミングの選択した進路は、彼女の踊るダンシング赤髪マルーンを惜しむ一部の者を失望させ、彼女を落ちこぼれスケジュールド撃墜王エースと揶揄する者を驚かせることには成功したであろう。何故なら彼女はロリポップマルーンの愛機を降りたのである。あれほど操縦の才能がありながら、それでも今のフレミングには、他にやるべきことがあるように思われた。

「外からバーラタを見るのも大切だよね」

 実の母親ガンガーの教えに従うことを、育ての母親ラクシュミーは快く了承してくれた。


 おやっさんは4人目のヒメを失うことになったが、むしろその表情は晴れ晴れとしていた。

「今度はまぁ、また会えるしな」

 そう言ったチャンドール准尉は技術本部への異動を希望し、今は技術大尉の位を得ている。AMF-75新型シリーズは今後のバーラタの主力戦闘機である。先の戦争で多くの機体を失ったバーラタ軍では、AMF-75新型の配備率が急速に高まることは必定である。その新型を第一線で整備し、あるいは現地改修してきたチャンドール大尉の技術力エンジニアリングに、技術本部では期待すること大であったろう。異能の整備士メカニックの転出を惜しむパラティア司令が本人にその理由を問うたところ、その返事は単純かつ明瞭なものであったという。

「まぁ、お嬢以上のヒメなんざぁ、いやしませんから」

 彼を『死神』と忌避する操縦士パイロットは、今後二度と現れないであろう。


 こやっさんはベンガヴァルに留まることにした。以前の彼の上司がそうであったように、今の彼の身分は『司令付』である。シン曹長のチャンドールに優るとも劣らぬ腕を候補学生未来のエースのために活かすことを打診したウェーバー校長は、しかし彼の即答に深く納得した。

「まぁ、お嬢の任期は2年、どうせすぐ空に戻ってきますよ」

 こやっさんも近頃は大分おやっさんに近づいてきたようである。


 キルヒホッフは再開された航空士官学校ベンガヴァルに空戦技術関連の教官として配属になった。鷲を模した航空士官学校ベンガヴァル校章マークを2つ機首左側に描き、機首右側には合計6個のロリポップキャンディーをあしらったアンティークゴールドのAMF-75Aは、後輩達からも尊崇の念を集めている。そのゆるふわ金髪ブロンドが後輩の指導を志した理由については、本人は何も語っていないのではあるが、今のところ一番人気のある説は

第18落ちこぼれ小隊と203号室の伝説を後輩達に広めるため」

 というものであった。何よりキルヒホッフ本人が候補学生後輩達に対して

「ワタクシ達の時代、第18小隊は『『奇術のトリッキー女王クィーン小隊』と呼ばれていたものですわ」

 などと言うものであるから、その説は正しいものであるように思われた。尤も、第18小隊を『『奇術のトリッキー女王クィーン小隊』-それは金髪ブロンドの密かなお気に入りであったらしい-などと呼ぶ者はついぞ現れなかったが、いつしか『エースのフォーカードフォー・オブ・エース小隊』なる言葉が代わりに広まっていた。何しろロリポップ小隊の、その派手なパーソナルカラーと機首の撃墜マークを知らぬ者は、ここにはいないのである。少なくとも43期生以降、第18小隊を『落ちこぼれスケジュールド』と呼ぶ者がいなくなったことは、キルヒホッフの密かな功績であったろう。


 ネル隊長は姫様と共に航空士官学校ベンガヴァルに残ることになった。無論、姫様も毎日空を飛んでいるのである。そもそも空戦指導教官が飛べないのでは話にならないし、飛ぶためには整備士メカニックが必要であることは言うまでもない。そして……ネルクマール准尉は、彼が忠誠を誓う姫様がベンガヴァルに残る、しかし誰にも言わないもうひとつの、その本当の理由を知っていた。今ベンガヴァルは『独立』防衛航空軍となった。その含意は、近い将来ここが戦略単位としての機能を失い、代わりに各種試験機関テストベッドとなることであると推察される。チャンドール大尉の技術本部と、姫様の実家ドラヴィタ重工が組めば、元々は先進Advanced多目的MultiRole戦闘機Fighterとして開発されたAMF-75新型シリーズには、更なる発展拡張が見込まれるであろう。丁度彼らが、ロリポップファイヤーやアクティブステルスを開発してきたように……当然、その運用試験には専任のテストパイロットが必要であるが、踊るダンシング赤髪マルーン落ちこぼれスケジュールド撃墜王エースであればそれに最適任であろう。

「姫様はその時のために、ご親友のお還りになるべき場所を守り続けるお考えなのだろう」

 そう察するネル隊長には、共にその役目を引き受けることがとても光栄なことのように思えた。

「またチャンドールと仕事することになるのは、大変そうではありますがね……」


 ケプラーは2週間の休暇をとって、バーダリープトラに旅をしてきた。無論、桜色SAKURAのおばあちゃんを訪問するためである。おばあちゃんにお詫びとお礼とお願いをしたケプラーは、二晩をかけて桜色SAKURAの想い出を語り合った。

「ファーレンハイトちゃんはねぇ、第17防衛航空軍に配属されたい、って言ってたの。バーダリープトラ駐留だし、部隊の愛称もガンガー河の神様だから、って」

「そうかい……あの子がねぇ……」

 そう言ったおばあちゃんの瞳は潤んだようであったが、それは果たして悲しみの故であったのか。悲劇とは喜劇であるべきであり、悲劇の連続たる人生とはしかし、喜劇として幕を降ろすべき演目なのだ。遺された髪の毛だけとは言え今、桜色の友人は故郷に還ってきた。そのことを、きっとおばあちゃんは喜んでくれているのだろう。

 出立の朝ケプラーは、ファーレンハイトが生前に使っていたというカチューシャをおばあちゃんから贈られた。パール塗装された細見の台座に細かいラインストーンが無数に散りばめられたカチューシャの、その眩い煌めは華やかな桜色SAKURAの二つ結びにはよく映えたことであろう。それは元は、ファーレンハイトが幼い時に死別したという母親の形見だったものらしい。

「ケプラーが大切にしてくれるんなら、うちも嬉しいっしょ」

 そんな声が聞こえた気がした水色ライトブルーには、しかしあるひとつの懸念があった。

「私がカチューシャこれをもらったって知ったら、イッセキちゃん怒るかな?」

 休暇が明けると第00独立防衛航空軍クリシュナに原隊復帰した水色ライトブルーは、今は小隊長の任を預かり、ゆるふわ金髪ブロンドとの2人部屋生活である。


 そのイッセキはバーラタ軍発の女性空母乗りを目指して、海軍機部隊を志願した。ケプラーがファーレンハイトのカチューシャを譲られたと聞いた時は少し羨ましくも思ったが、

「私には、子供の頃にあの桜色本人からもらったこれがありますから」

 と言って、ファーレンハイトの二つ結びとお揃いのゴムバンドを箱から取り出しては、懐かしくそれを眺めた。クルーカットにした今となっては使いようのないものではあるが、それだけに、それは想い出として大切にしまっておけるものでもあるのだ。

「ファーレンハイトさんには負けませんから」

 天に対して誓う以上に聖なる決意はないであろう。女性差別の風が今だに残るバーラタにあって、女性の身でありながら空母乗りを目指すことがどれほど困難な道であるか。それは言うまでもないことではあるが、「華の42期」とも「天才ジーニアス42フォーティートゥー」とも、あるいは「眩いダズリング暗黒ダークネス」とも称される42期の首席として、その道の先頭を歩むことは自分の使命であるように、桃色のクルーカットには思われた。


 トリチェリ先輩は現役パイロットを引退すると、航空士官学校の寮母さんマザーに転進した。ただでさえ少ない実戦経験を持つ優秀なパイロット-蜂蜜色ハニーイエローのAMF-75Aの機首右側には4個のロリポップキャンディーが描かれているのだ-の現役引退表明にはパルティル司令をはじめ多くの幹部から遺留があったが、本人の決意は猶固かった。かつて水色ライトブルー赤髪マルーンがそうであったように、悩める候補学生カデット達には癒しヴォイスの聖母マザーが必要なのだ。これからも、後輩達の頼れるお悩み相談所は変わらぬ賑わいを見せることであろう。また、トリチェリ本人は周囲に語ってはいないが、新任教師となった金髪ブロンドを支えるつもりも大きかったようである。ただ、三軍航空統合を経た将来は男子学生の入寮も見込まれるのであるが、一部からはそっち方面で不安視されてもいるトリチェリである。巨乳寮母マザーはいつまで聖母ザ・バージンでいられるのか?


 そして……


 フレミングは駐在武官としてパラティア教国に赴任することになった。通常、大使以下各文官武官を相互に交換する際には国際儀礼プロトコールに従うものであり、駐在武官には現役の大佐ないし中佐クラスの者が派遣されることが通例であった。その意味で、航空士官学校ベンガヴァルを卒業したてのひよっこ少尉が駐在武官として赴任することなどは、あるいは相手国に対しては礼を失するものであったかもしれない。しかしこの際、フレミング空軍少尉の派遣はパラティア教国から盛大な歓迎を受けたのであった。彼女は先のパラティア外交・軍事最高顧問の実の娘であり、そして何より、かの有名なロリポップ飛行群の群司令であったのだから。戦時中には野戦任官とはいえ大佐まで昇進した実績もあり、位階の面でもそれなりの建前は保てる。要するにパラティア教国はフレミングに、駐在武官としての資格を有効かつ友好的に認めたのであった。


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「何でわざわざAMF-75Aコイツはお嬢を乗せてんだ?」

 赴任先-それは、つい4カ月前には殺し合いをした相手国である-に到着したフレミングは、かつておやっさんから投げかけられた問いを改めて思い出していた。

「戦争ってのは人間がするもんだからさ」

 おやっさんはそんなことを言っていたが、あの時は単に「私がAMF-75Aこの子に乗ってる」としか考えていなかった。あれから沢山のことがあって、多くの友人を亡くし、多くの敵の命を奪って……今なら、少しだけ、分かるような気がする赤髪マルーンである。

AMF-75Aこの子無人機ドローンじゃない! 誰でもない、私が飛ばしているの! 自動機動オートマヌーヴァでもなければ、機動制限装置マヌーヴァリミッタだって要らない!」

 あの時にはつい感情的に口を突いて出た言葉であったが、それはある一面の真理を映し出してもいたのだ。


 確かに現代の技術では、戦争を自動化・無人化することは可能であろう。そうであったならフレミングは、ファーレンハイトやロシュ、その他多くの友人を失うことはなかったのだ。しかし……

「それじゃぁまるで、中世の戦争だわ」

 中世封建領主達は富や領土や名誉、あるいは女性すらをも対象とする賭博ギャンブル遊戯ゲームにおいて、チェスやカード、時には決闘によりその決着をつけたという。そんな彼ら中世貴族にとって戦争とは、数ある手段ゲームのうちのひとつでしかなかったのである。正しく「戦争とはその他の手段を以ってする政治の延長」に過ぎない。更には、その戦争ですらたいていは傭兵を使って行うものであった。つまりは中世貴族達にとってチェスと戦争の違いとは、駒の素材の違い-大理石マーブル血肉フレッシュか-でしかないのだ。いずれにせよ、戦争が遊戯ゲームであることに替わりはない。


 しかし、国民国家、民主国家の戦争は違う。国民が戦争を始め、国民が戦争に参加し、国民が戦争を終わらせる、それが民主国家の戦争であり、従って、戦争には人間が参加しなければならないのである。チェスやカードで決着が付く戦争、すなわち血の流れない無人化された戦争ゲームは、民主国家の戦争たり得ないであろう。


「何より私達、ロリポップ中隊がその証拠だわ」

 フレミングはそう思う。ロリポップ中隊を守るために陸海軍は作戦に協力してくれた。そしてそれは多くの国民の支持があったればこそである。一方でその国民は、一戦の後の更なる反撃を望まなかった。多くの場合大衆は熱しやすく、戦勝ムードは次の積極作戦を誘因するものである。特に敗戦の後の反撃であれば尚更であったろう。にも関わらず今回バーラタ国民が冷静に和平を支持したことにも、ヒメシステムは有効であったのだ。バーラタは既に多くのパイロットアイドルを失ったのである。これ以上、ヒメ達を犠牲にはできない。赤髪マルーンの猿ダンスは今や、バーラタ国民の、平和の祈りの象徴であった。


「でも、誰も死なない戦争じゃ、国民は自国の負けを認められないものね?」

 このフレミングの自問は辛辣である。果たして、兵の一人、市民の一人も死なない戦争で、国民は自国の敗戦を受け容れることができるであろうか? 領土を奪われ賠償金を支払う決断ができるであろうか? 恐らく答は否。

「だって、『我が国はまだ負けていない』って言うに違いないわ」


 人は言う。「戦争は悪だ」と。しかし、そう簡単に評価してしまっていいものだろうか? 「死者のいない敗戦を受け容れることはできるか?」との問いに「YES」と応えられない人間には、恐らく戦争を批判する資格はないのであろう。そもそも、他の手段がないからこそ、それに替わって採用された手段に他ならないのである。戦争とは。不幸なことではあるけれど、人が死ぬからこそ戦争であり、人が死ぬからこそ戦争は悪であり、人が死ぬからこそ、勝敗がつくのであろう。それは同語反復トートロジーのようであって、そうではない。

「たくさんの犠牲があって、敵も沢山殺して、そうやって初めて戦争を終わらせられるんだから……」

 多くの友人を失い、多くの敵を殺した操縦士パイロットだからこそ口にすることのできる、それは一面の真理であろう。


「ファーレンハイトはその犠牲に……」

 死ぬことを命じられた兵士とは、勝利のための希望ではなく、終戦のための人身御供なのであろうか? 国民に、自国の負けを認めさせるための生贄なのであろうか、軍人とは? その自らの問いは、そう問う度にフレミングの心臓を握りしめ、肺を圧迫するようである。そんなことのためにファーレンハイトが犠牲になる必要なんて……しかし、その顔からは血の気が引き、唇は青紫色に変色し、眼差しは虚ろになりながら、それでも『否』とは言い切れないフレミングである。

「そうじゃないけど……でも……」

 フレミングは今次戦争を通して多くのことを学びもした。戦争を避けることも始めることも、戦うことも休むことも、続けることも終わらせることも、全ての決断は人間のものである。人はその選択を、常に問われ続けているのだ。

「戦争って、人の行いそのものだから……」

 だからAMF-75A/Eあの子達は私を乗せてくれる。戦争が人のものであることを、人に忘れさせないために。


「だからこそ、私は今、パラティアにいる」

 自分が多くの人を殺したその国に。二度と戦争を起こさないために。それこそが、生きているフレミングに今できることなのだ。ファーレンハイトや、その他多くの亡くなった人のために……


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「武官、そろそろ時間です」

「今行きます!」

 駐パラティア教国一等書記官から声を掛けられたフレミングが、張りのある声で返事をする。今日は新任駐在武官のお披露目がここ、バーラタ大使館で開催される予定である。主催は無論バーラタ大使館。パラティアの政府軍部高官は元より、各国の大使・公使以下駐在外交官・武官が出席するパーティーの、本日の主役は赤髪マルーンの少尉であった。フレミングの纏う白地に金糸の刺繍が施された第一種礼装の胸元には、至誠十字章フェイスフル・クロス祈十字章ブレッシング・クロスの徽章が輝いている。小さな星がひとつしかついていない肩章だけでは、これだけ盛大なパーティーの主役になることなどあり得ないであろう。


「自分で選んだことではあるけれど……やっぱりこういうのは慣れないなぁ」

 フレミングは小声で呟く。こういう時、あの人達ならどうするんだろう。2人の母親を思い比べながら自問してみる。ガンガーお母さんならきっと、伸ばした背筋と凛とした表情で、本日の主役が自分であることをアピールしていることだろう。あるいはラクシュミーママならきっと、にこやかな笑顔を振り向きながら周囲への気配りを忘れず、常に控えめな態度に終始するんだろうなぁ。そのどちらにも、まだまだ成れない自分を知っている。

「でも」

 フレミングは、そのシャトーワインのような深みのあるシャギーカットの赤髪マルーンを軽く躍らせながら前を見据える。

「私は私にできることをやらなくちゃ!」

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フレミングの法則 ~ 踊る赤髪の落ちこぼれ撃墜王 Dancing Maroon of the Scheduled Ace ~ 勅使河原 俊盛 @TokenTeshigawara

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