第48話:これからは『オリエントの時代』だもんね!

 『クリシュナのスダルシャナ円盤チャクラ』作戦は成功裡に終わった。第1目標である敵空母は8隻中撃沈6、大破1、小破1の完勝であった。陽動に吊られた敵艦載機のごく一部は小破した空母に着艦できたが、その多くは不時着水を余儀なくされたという。また、第2目標である補給艦は8隻全て撃沈、油槽船は3隻撃沈、1隻大破であり、敵水上戦力の継戦能力はほぼゼロに等しくなったであろう。第3目標である8隻のミサイル巡洋艦は2隻撃沈、2隻大破と、他の戦果に比べると少し寂しいようではあるが、それでもその半数を戦闘不能状態にしたのであるからパラティア海軍の脅威はほぼ消失したと言っても差し支えなかろう。いずれにせよ戦闘は終わった。ここからは外交の時間ターンである。


 バーラタ側の和平条件は至ってシンプルであった。それはリベラリオンとの同盟継続を認めた上での終戦協定締結である。バーラタ共和国の北方で一部国境を接するサイノ帝国の、年々増しつつあるその軍事的圧力との均衡を保つためには、バーラタにとってリベラリオンとの同盟継続は不可欠である。少なくともそれは、現在のバーラタ政府および軍部の統一見解であった。しかしそのシンプルな和平条件こそが、今回の戦争の引き金でもある。パラティアはバーラタにリベラリオンとの同盟破棄を求めているのであり、パラティアとしては同盟破棄なくして和平成立はあり得ないであろう。


 この一見相いれない、当事者二国間だけでは解決できないゼロサムゲーム-だからこそパラティアは、最終手段として戦争を選択したのである-をプラスサムにルールチェンジするためには、第3国の存在が鍵を握る。2国間の直線的関係を、第3国を介入させることで三角形に変化させる。そうなれば、互いの要求の、その角度を少しづつずらすだけで3者が3者とも全て利を得る関係を構築することが可能になるのだ。そしてバーラタはその第3国に、オリエント最東端の島国、グレートエイトアイルズを選択した。


 今次開戦当初より既に、モーテー・ギー大臣率いるバーラタ外務当局はグレートエイトアイルズとの接触を開始していた。果たして一戦の後にバーラタが明確な戦術的勝利を挙げたことにより、グレートエイトアイルズもその動きを始めたようである。何しろその消費エネルギーの多くを西オリエントの産油国に頼っているグレートエイトアイルズである。ヴェスターバーラトオーシャンの平和が回復されることは、彼らの国益にも適うことであるのだ。


 グレートエイトアイルズは歴史的に、リベラリオンとパラティアの双方と友誼を結ぶ、世界的には稀有な存在であった。そのグレートエイトアイルズの仲介であればパラティアとしても無碍に断ることもできまい。そこでパラティアは、バーラタとリベラリオンとの同盟継続を認める交換条件として、バーラタとの軍事同盟締結を持ち掛けてきたのである。仮に将来パラティアとリベラリオンが戦争状態に入った場合、パラティアとバーラタが同盟関係にあれば、少なくともバーラタがリベラリオンの前線基地化することくらいは防げるであろう。少なくともそうリベラリオンに思わせることができれば、パラティアに対するリベラリオンの軍事的脅威は低下することになる。


 無論このパラティアの交換条件は、バーラタとしては簡単に呑めるものではない。オリエントの大国とオチデントの大国と、その板挟みになって苦しむのはバーラタなのである。かと言って、二者択一などできはしない。パラティアとの同盟関係がリベラリオンに替わるサイノ帝国への抑止力パワーになる、などと考えるほどの能天気者は、少なくともバーラタの政軍高官にはいないのだ。尤も今回の事態は、そのリベラリオンと言えども有事に頼れるとは限らないことを露呈させてしまったのではあるが、いずれにせよ最悪なのは、西の大国パラティアと北の大国サイノが手を結ぶことであろう……


 そこで対案としてグレートエイトアイルズが提案した-裏ではバーラタ外務当局の働きかけがあったことは言うまでもない-内容が、次の2点であった。すなわち、パラティア-バーラタ両国間の相互不可侵条約締結とグレートエイトアイルズを含めた3国間の自由貿易協定締結であった。


 相互不可侵条約の最大の目的が2度と両国間で戦端を開かないことにあることは言うまでもない。しかしこの条約にはパラティア側の要求によりバーラタ側が渋々受け容れた-体を取ることができたのも、グレートエイトアイルズという仲介者がいるからできる寝技である-ある条文が挿入されていた。


第18条:第3国等への軍事的便宜供与の禁止

本条約締結国のどちらか一方あるいは双方が第3者たる、国あるいは地域または勢力(以下これらを指して国等と言う)と戦争または紛争状態にある際、相手方はその当該第3国等およびその同盟諸国等に対しては、いかなる軍事的便宜もこれを供与してはならない。

2.前項に言う軍事的便宜とは、戦場における直接の武力使用や兵站支援のみならず、領土、領海、領空(以下これらを指して領土等と言う)の通過許可および領土等内における基地の提供、ならびに領土等内において当該第3国等が武器弾薬燃料の補給、負傷兵の救護、その他一切の後方支援を含む、およそ戦争状態を支援しあるいは継続させるための活動の一切を行うことに対し許可を与えることを言う。


 すなわちこの条文に従えば、仮にパラティアとリベラリオンが戦争状態に入った時、リベラリオンはバーラタにある基地を利用できないばかりか、バーラタの領土・領海・領空を通過することも許されなくなるのである。尤もこの条文は、バーラタとリベラリオンが既に締結している安全保障条約中の条文「リベラリオンがバーラタ国内にある施設および区域を使用することを許される」とは相互に矛盾する関係にはある。無論そのことをバーラタ政府は充分に承知してはいるが、対パラティア戦争にあってバーラタに駐留させていた空軍をバーラタ防衛のために出動させなかった事実は重いであろう。少なくとも、未来のバーラタ外交がリベラリオン相手に毅然とした態度を取り続ける限りは、この第18条の存在それ自体が、リベラリオンの対パラティア戦争を抑止し得るであろう。


 こうしてパラティアは、その戦争目的であるバーラタ-リベラリオンの同盟破棄を達することなく、しかしその実を手中にすることには成功した。またバーラタとしても、仮にサイノ帝国との緊張状態が高まったとしても、リベラリオンとの同盟という抑止力を放棄することなく、サイノ-パラティア連合という悪夢を未然に回避することが可能になった。この条文は双務的であり、そのことはつまり、バーラタとしても実を手に入れたことを意味するのである。


 しかし、この和平交渉の最大の眼目は、バーラタ、パラティアにグレートエイトアイルズを加えた、3国間の自由貿易協定の締結であった。これは相互に最恵国待遇を与えると同時に、域内関税撤廃、相互ビザ免除、相互投資促進協定等を含めた広範な経済協力を定義する、あるいは1世紀昔であれば経済ブロック化とさえ呼べるような、いわば経済同盟であった。今世紀中には世界最大の人口を擁すると見込まれるバーラタの労働市場と消費人口は、そのままこの協定の経済規模を表している。また、オリエントとオチデントを東西そして南北に結ぶ結節点たる位置にあるパラティアの、その地政学的に重要な地理上の特性のみならず、長い交易の歴史が支える信頼のネットワークの存在は、この経済同盟の将来の成功を約束するであろう。そしてグレートエイトアイルズの、かつての輝きを失いつつあるとは言え今だに世界最高峰の技術力は、新たな市場を得て再び輝きを取り戻すことであろう。無論その輝きは、パラティアとバーラタに共に降り注ぐことになるのだ。


 そして何より、西オリエントの大国パラティア、南オリエントの大国バーラタ、東オリエントの大国グレートエイトアイルズが手を結ぶという、この事実は大きな衝撃をもって世界に受け止められた。「オリエントの時代」なる言葉を否定したのはガンガー前ベンガヴァル市長-フレミングの実の母-であったが、この経済同盟は正しく「オリエントの時代」を象徴するものになろう。同時に、この諸条約が中立国たる東南オリエントの経済都市国家シンハで締結されたことも重要な意味を持つ。古来よりシンハ、バーラタ、パラティアそしてアフリカを東西に結ぶ海上交易ルートは、人類発展史の、いわば生き証人なのである。そう、この経済同盟は世界の貿易ルールに新秩序をもたらす画期となるものなのだ。


 尤も、この3カ国間条約で最も利を得たのはあるいは、グレートエイトアイルズであったかもしれない。リベラリオンの覇権が揺らぐ中、かの国内ではこの数十年、自国防衛のあり方を見直す議論が沸いては鎮まる歴史を繰り返している。ここで東南西オリエントが同盟-現時点では経済面に過ぎないが-を締結することは、彼らの仮想敵国に対する大きな抑止力になるであろう。場合によってはサイノ帝国は、三方面作戦を強いられることになるのであるから。そう、古のソンムーが言うとおり「戦わずして勝つ」のが上策なのである。


 そうは言ってもこの、人種も歴史も文化も宗教も異なる3国が手を結ぶことができた背景には、やはり敬虔な宗教心という要素が大きく寄与したことは間違いない。無論、この3国はそれぞれ異なる神を信じる国民による構成体なのではあるが、互いにどこか相手の宗教を認める風がある。逆の言い方をすれば、人工的に宗教を捨てた者に対する不信感の裏返し、とでも言えようか。『自分よりも優れた存在がこの世にはある』という敬虔な心を持ち続ける限り、人は尊大にならずに済むであろう。いくら科学が進歩しても人間には限界がある。そう思えた時にはじめて、人は周りを許し、周りに感謝できるようになるのだ。長い歴史と宗教がある3国だからこそ、主義主張立場の違いを乗り越えて手を取り合うことができた。それは決して、利害関係だけによるものではなかったのである。


******************************


「お母さん、帰ってくるんだってね……」

 赤髪マルーン金髪ブロンドの親友に問う。

「えぇ、ワタクシもそのように聞いていますわ、フレミー」

「それで、市長はどうなっちゃうのぉ~?」

 水色ライトブルーの疑問はバーラタ市民に共通するものであった。かつてベンガヴァル市長であったガンガーは、その「オリエント至上主義」とでも言うべき主張により失脚し、後にパラティアに亡命して今回の戦争の遠因を作ったという。そのガンガーは今回の3カ国条約の締結に際し、パラティア政府からバーラタ政府に引き渡されることになったと聞く。

「フレミーちゃん、心配しなくても大丈夫。バーラタには国家反逆罪や内乱罪、民衆扇動罪のような罪を規定する法はないわ。もちろん、国際法にも。個人の思想信条の自由や表現の自由を、この国の憲法は保証しているの。例え前市長であっても、個人の立場で戦争を主張したことが罪に問われることは、少なくともこの国ではあり得ないわ」

 蜂蜜色ハニーイエローのお悩み相談所は、天使の歌声で赤髪マルーンの不安を癒してくれた。


「でもお母さん、これからどうするんだろ……?」

「そうですわね……」

 しばらく思案顔を浮かべていたゆるふわ金髪ブロンドの、その表情がぱっと明るく輝いた。

「きっと3カ国経済同盟の事務方を総覧するようなお立場になって、今度はアフリカを目指されるのではないかしら? いずれにしても市長には、外からバーラタをご指導なさるのがお似合いだと思いますわ」

 あぁ、それならガンガーお母さんにはお似合いだな、と思ったフレミングに、ようやく少し笑顔が戻ったようであった。

「そっかぁ、外からバーラタを見るのも大切だよねぇ~?」

「えぇ、きっと……」

「これからは『オリエントの時代』だもんね!」

 フレミングは、敢えて実の母親が否定した概念を肯定する。それは母に対する決別の台詞ではない。むしろ母を理解し、同じ目線に立つことを宣う、それは赤髪マルーンの決意であった。


 その後、バーラタから国外退避していたリベラリオン軍が駐バーラタ基地に戻ってきた。しかし、今や開戦以前と同じ姿ではない。無論、駐留兵力も兵種も以前と同様なのではあるが……リベラリオンの覇権は既に揺らいでいる。

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