第5章:戦争の行方

第45話:じゃぁみんな、コレで終わりにするよ

 バーラタ共和国三軍統帥本部は、『クリシュナのスダルシャナ円盤チャクラ』のXデーを8月26日未明と定めた。当日の天候は晴れとの予報である。000Wトリプルゼロウィングのひよっこどもにそれなりの配慮をしたものか、三軍統帥本部は荒天日ではなく好天日をXデーに選択してくれた。尤も、好天とはいえ夜間の出撃であり、相応の危険が予想される。フレミング達のシミュレータ訓練メニューには夜間離陸と夜間進軍が追加されたが、夜間の洋上低空飛行は更に難易度が向上していた。24、25両日の間に000Wトリプルゼロウィング49名は、任務を遂行するに足るだけの実力を身に付けなければならない。練度不十分であれば進軍途中で海面に激突するか、あるいは敵に発見されて迎撃、いずれの場合も生還は期しがたいであろう。無論、統帥本部も彼女達を鉄砲玉として見做している訳ではない。彼女達には任務遂行の上での生還が義務付けられているからこそ、本作戦には『円盤チャクラ』の名が与えられたのである。バーラタ時間0400時にベンガヴァルを離陸、3時間の飛行の末に現地時間0530時、朝日を背に敵艦隊に突入する予定の000Wである。


 Xデー前日、司令官室に出頭した赤髪マルーンの中隊長はパルティル司令官から辞令を渡された。フレミングは野戦任官により大佐に昇進、000Wトリプルゼロウィング群司令-軍では大佐を以って任ずることとなっている-に就任することになったのである。つい2週間前までは准尉待遇の落ちこぼれスケジュールド候補学生カデットであった-その証拠に、赤髪マルーンには今だにブルースカーフが良く似合う-者が、たった2週間のうちに6つもその階級を進めてしまうとは……臨時とは言え、戦争というものの本質が垣間見える瞬間である。


「フレミング、貴女に群司令の辞令を交付することに躊躇いがないでもありませんが……」

 フレミングを応接セットに促しながら、パルティルは柔和な口調で語りかけた。従卒から供された紅茶を一口すすると、パルティルが促す。

「フレミングも、冷めないうちに……」

 この部屋でパルティル閣下から頂いたものと言えば、大目玉と滑走路ダッシュ、最近では何やら辞令やら勲章やらももらったけれど、これは一体どうしたものかしら……? 戸惑うフレミングに、パルティル司令官の隣に座ったウェーバー副司令官が、自らも紅茶を口に含みながら解説役を買って出てくれた。


「貴官は群司令に任命された。今や貴官も、我が中部防衛航空軍団の幹部の一人なのだよ、フレミング。いいか? ここで貴官には特別に、航空士官学校ベンガヴァルなぞでは到底教えてはもらえない、軍団幹部に期待される重要な任務について教示してやろう。それは……な」

 自身がその航空士官学校ベンガヴァルの教頭先生であったことを忘れたかのように、最後の方は小声になったウェーバーが身を乗り出して囁いた。

「それは?」

 つい身を乗り出して聞くフレミングに、ウェーバー副司令官は笑声を以って応えた。

「それはな、司令官閣下の紅茶時間ティータイムにお付き合いすることなのだよ」


 珍しく冗句を言うウェーバーに戸惑うフレミングの様子を満足そうに眺めながら、パルティルが口を開いた。

「我が国はこのような、芳醇な茶葉を豊富に産する肥沃な大地に恵まれておる。願わくば、子々孫々の代まで伝えたいものだ。そうは思わないか、フレミング?」

「はい」

 と答えて紅茶に口をつけたフレミングは、後席に座るマルコーニ先輩を思い出す。それはマルコーニのポニーテールのように、淡く上品な色合いと香りであった。

「とっておきだぞ」

 軽く片目を瞑るパルティル司令官の嬉しそうな顔を、フレミングは始めて見る気がした。


「さて、貴官に群司令の責を与えることは私としても忸怩たるものを感じざるを得ないが、今回の作戦の要は貴官の駆るAMF-75E電子戦専用機であることは論をまたず、また、実質的に戦場の全てを貴官が支配する以上、貴官に群司令の任を托すの他に法もあるまい」

 司令官が何故自分を群司令に任命したのか、その理由は分かったが、そうであればマルコーニ先輩なのではないか、との疑念も頭を過ぎる。そのようなフレミングの思考を察したのか、ウェーバー副司令官が横から口を挟んだ。

「群司令は操縦士パイロットがこれを務めるのが習わしでな、後席の情報インフォメーション士官オフィサーの職責にはないのだよ、これは……まぁ、貴官も知る通り、軍隊というのはそういうところだ。無論、閣下は貴官の操縦技術はもとより、何より戦域全体を見て決断を下せる能力を高く評価しておられることも、敢えて付言しておくが……」


 パルティル司令官はウェーバー副司令官に軽く目礼した後、フレミングに問う。

「そこで、貴官に改めて問う。000W群司令の任、引き受けてもらえるだろうか?」

 先に辞令を渡しておいて今更……ではあるが、これは司令官なりのけじめなのだろう。いや、あるいは校長先生としての優しさ? いずれにせよ、ただ辞令を交付するのではなく、こうして司令官の真意思いやりを聞かせてくれたことが、フレミングには純粋に嬉しかった。これもあるいは校長先生の誘導シナリオ? とも思わないでもないが、しかし、その場で起立し、右手の指を揃えて伸ばし、掌を司令官閣下に向けながら宣誓する。

「閣下、ありがとうございます。小官は小官の責を全う致します」

 赤髪マルーンの敬礼に笑顔で答礼すると、パルティル司令官は手ぶりで着席を促し、口ではこう言った。

「さぁ、冷めないうちに、大佐」


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「いよいよ明日、ですわね」

 2段ベッドの下段から、金髪ブロンドの親友の呟きが聞こえてくる。

「うん……」

 赤髪マルーンの曖昧な返答にキルヒホッフが問う。

「フレミー、緊張してますの?」

「緊張というか……」

 フレミングは知っていた。今回の作戦では、たとえ成功しても失敗しても、自分の指揮により多くの人間が死ぬことを。自分の指揮ぶりが良ければ多くの敵を殺し、自分の指揮ぶりが悪ければ多くの味方が死ぬ。違いはただそれだけで、いずれにせよ自分が多くの人を殺すのである。これまでの戦いは敵から仕掛けてきたものであったから、フレミングはただ、自分と友人達が生き残るために必死であったに過ぎない。それでも多くの友人が死に、おやっさんを負傷させ、自分自身までが死ぬところであった。しかし、今度はこちらから……


「フレミーちゃんは、優しい子だから……」

 フレミングの内心の葛藤を悟ったものか、蜂蜜色ハニーイエロー金髪ブロンド常套句決め台詞を口にする。赤髪マルーンの心情は203号室の小隊メンバールームメイト全員に均しく共有されている。

「でもね、私はファーレンハイトちゃんの仇を討ちたい!」

 珍しく水色ライトブルーが気勢を上げるが、それは彼女が同室の群司令を元気づけるための心遣いであるということを解らぬ者は、この部屋の住人には誰1人としていない。

「そうですわね。亡くなった他の多くの方のためにも、早くこの戦争を終わらせなければ……」

 戦争を終わらせるための戦闘とは奇妙なものではあるが、しかし戦争とはそういう類のものなのであろう。政治の延長に過ぎない戦争という代物の度し難いところである。


 みんなの優しさが分かる赤髪マルーンは、敢えて話題を変えることでこれに応えた。

「そう言えば、マルコーニ先輩は今頃、何を考えているんだろぅ?」

 ベンガヴァルの寮舎レジデンスは2段ベッドが2台の4人部屋であった。これは通常の小隊編成が4人構成であることに由来するのだが、フレミング小隊だけは今、5人でこれを組んでいる。203号室4人部屋にどうやって仮寝台エクストラベッドを入れるものか、逡巡する4人組ロリポップの苦悩を余所に紅茶色ダージリンは、しかしいとも容易くこう言い放ったのである。

「自分は1人部屋。情報インフォメーション士官オフィサーは機密厳守」

 それを聞いた赤髪マルーンは小声で金髪ブロンドに訊ねた。

「マルコーニ先輩って、寝言言うタイプだったっけ?」


 翌朝の起床時刻は0200時。『人を殺す』という事実は敢えて考えないことにして、フレミングは目を閉じた。


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 Xデー当日。予報通り天候は晴れ。「天気晴朗なれども浪高し」とは誰の言葉であったか。幸いにも浪は穏やかで、『進撃日和』という言葉があれば、まさに今日がその日であったろう。


 尤も、恐らくは敵もこの数日のこちらの動きを観測していたものと見える。近日中に大規模反撃があるものと予測し、既にこれの警戒に当たっているようであった。こちらからも、敵艦隊上空に艦載型警戒機や直掩機が多数上がっていることが観測されている。そういうわけで『奇襲日和』という訳にはいかないXデーである。


 いくらアクティブステルスがあろうとも、敵艦載機-先の戦闘における撃墜数から残存600程度と推定されていた-を相手に000WのAMF-75新型シリーズ48機ではあまりに分が悪すぎる。バーラタ三軍統帥本部はここで、陸海航空宇宙三軍共同による全軍反転攻勢を決断した。陸海空総勢800機超の全力投入で敵艦載機群を誘因する。無論、これは陽動である。敵艦載機群を敵艦隊東北方に引きずり出し、その隙に000Wが南東方面から大規模対艦隊攻撃をしかける手筈である。0200時、000Wの出撃より一足早く、陸軍機、海軍機が次々に各基地、空母から離陸、発艦していった。


 海軍第1航空艦隊第203飛行隊に所属するガウリ中尉なぞ、出撃に当たり意気揚々と軽口を叩いていたらしい。

「『ロリポップ中隊』と言ったか? あのカラフルな可愛い子ちゃん達?」

 航空宇宙軍広報部の担当者は相当な腕利きらしい。ロリポップ中隊を宣材に、今や軍民挙げての支援を取り付けることに成功していたのである。

「いや、あれは本当は『グラマラス中隊』とか言うらしいぞ?」

 同僚のチェトリ中尉が挙げるフレミング中隊の別称を聞いたガウリ中尉は、更に意気盛んにこう言ったという。

「ロリでグラマラスってか? 超ギャップ萌えじゃねぇか、そんなの。オレ達が護衛エスコートしなくて、どうする?」

 今や赤髪マルーンの中隊長とその中隊は、国民の偶像アイドルであり、守られるべき存在なのだ。ロリポップ中隊は三軍共同の象徴シンボルであり、同時に本作戦の要でもあった。


 000Wも出撃準備に入る。アクティブステルスで北西方面へ3,000km進出の後、全264発の対艦ミサイルを発射。フレミング群司令の直率するロリポップ小隊はその弾着まで現場待機の上ミサイルの誘導に務める一方、残りの44機は即時反転帰投を予定していた。出撃に際しファラデー先輩は中佐に叙され、飛行群副司令として対艦ミサイル装備部隊-3個中隊+2個小隊-の帰路を統率することになっている。またテイラー先輩、マクスウェル先輩もそれぞれ少佐に昇進の上、引き続き各中隊長の任に就く。更にはパパン先輩も少佐に昇進し、対艦ミサイル発射後には臨時中隊長としてフレミング中隊2個小隊を統率することになった。


 D-12格納庫ハンガーに設えられた中隊司令部はその規模が拡大され、群司令部(仮)となっていた。今その群司令部に、48人の操縦士パイロットと1人の情報インフォメーション士官オフィサー、それに48人の機付長が揃っている。

「じゃぁみんな、コレで終わりにするよ」

 赤髪マルーンの群司令の決意表明に各様の了解を示した後、操縦士パイロット達がそれぞれの愛機に散っていく。シミュレータ訓練通り、菱型ダイヤモンド三角デルタ菱型ダイヤモンドでの進軍を予定している000Wの、その編隊の先頭にはロリポップマルーンのAMF-75Eが位置する。指揮官先頭の伝統に倣ったAMF-75E指揮官機の、その機首右側にはロリポップキャンディーをモチーフにした図案が5列2段に描かれている。

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