第36話:シン曹長のことは今日から『こやっさん』って呼んで頂戴!

 休暇が明けた18日0600時。クリーニングから戻ってきた制服にスカイブルーのスカーフ-何故かゴールドスカーフは未だ支給されていなかったのだ-と祈十字章ブレッシング・クロスの略章を着けたフレミングはD-12格納庫ハンガーを訪れた。その姿を真っ先にみつけたシン曹長が駆け寄ってきて声をかける。

「おはようございます、お嬢。休暇はどうでしたか?」

「おはよ、シン曹長。みんなばっかり働かせて私だけお休みもらって、ごめんね。はいこれ、お土産」

 そう言ってフレミングが紙袋を手渡す。昨日みんなで行ったお店で買ってきた焼き菓子の詰め合わせクッキー・アソートであった。『こんな甘ったるいもんより、徹夜明けの整備士メカニックへの差入と言ったらエナジードリンクだろ、普通!』とか何とか、おやっさんだったらきっと怒り出すんだろうな、などと想像するフレミングはつい笑顔になっていたらしい。シン曹長が嬉しそうに返答する。

「お嬢、ありがとうございます。これ、みんなで頂きます」

「うん、それより、シン曹長も体壊さないようにね」

 おやっさんに替わって今はシン曹長が格納庫ハンガーの主になっているらしい。連日連夜ブラック職場の激務に、しかしそんなことは気にもかけない様子でシン曹長が答える。

「自分らは慣れっこですから……それよりもお嬢、今日は珍しいですね、制服なんて」

 このところパイロットスーツを着てばかりであったフレミングが、シン曹長には久しぶりと聞こえる笑声をあげる。

「そうなの、やっとクリーニングから帰ってきたのよ。どうせ休戦期間中なんだし、たまには制服もいいかな、って思って……どう?」

 そう言ってにこやかにその場でターンするヒメを見て、ここのところ張りつめた様子だった赤髪マルーンが元のお嬢に戻ったように感じたシンが調子のいいことを言う。

祈十字章ブレッシング・クロス付の3号学生ブルー・スカーフなんて、ホント見たことありませんよ、お嬢!」

「そうでしょ? えへへ……いいでしょ、これ?」


 ひとしきりはしゃいで見せた後、中隊長の顔に戻った赤髪マルーンが機付長補に問う。

「それでね、シン曹長。相談があるんだけど……」

「何でしょう、お嬢」

 こちらも真顔に戻ったシン曹長が答えるが、シンはこういう時の勘が鋭いと見える。お嬢から何か新しい奇抜なアイディアが指示されるとでも予感したのか、シンの表情から内心の興奮を読み取ることは容易なことであった。彼も根っからの整備士メカニックなのであろう。そんなシンの反応に、フレミングは嬉しそうに続ける。

戦闘コンバット空域エリアの脅威度をメッシュ毎に判定することって、可能?」

 敵戦闘機群の機数や機種・武装、高度や速度・方位角と自中隊のそれとを比較し、メッシュ化された戦闘コンバット空域エリアの脅威度を数段階に分けることは可能であるようにフレミングにも思える。シン曹長が即答した。

「実は、自分も以前からそのようなことを考えていて……2.5km立方程度のメッシュで4段階程度の判定であれば、AMF-75Aの戦術コンピュータであればリアルタイムで判定可能だと思います」


 我が意を得たフレミングは、瞳を輝かせながらまくしたてる。

「そう。そしたらそれを色分けして、全周戦術情報表示装置HMD上に投影することは?」

「それも可能です」

「それを、中隊みんなで共有することも?」

「もちろんです!」

「じゃぁ、空域エリアを『危険』『警戒』『通常』『有利』の4種類で、それぞれ『赤』『橙』『緑』『青』に表示してもらいたいんだけど……」

 さすがに遠慮したフレミングは「どれくらいでできるか?」とは最後まで問うことができなかった。しかし、シンはそれにも即答する。しかも、嬉しそうな表情のままで。

「明日の朝一までには完成できます。実を言うと既に計算式アルゴリズムは完成していて、あとは開発コーディング修正デバッグ評価エヴァリュエーションを残すだけなのですが、おやっさんに意見具申してからお嬢に試験テストをお願いしようと考えていたところなんです。今それが実現できると聞いて自分は、正直嬉しいです」

 おやっさんはシン曹長のことを「技術者エンジニアとしてはまだまだ」なんて言ってたけど、ちゃんと技術者クリエイターしてるじゃない。そう思ったフレミングは、シン曹長を労うような口調で命令する。

「そう、それじゃシン曹長には徹夜続きで悪いけど、明日の朝までにお願いね」

「了解しました」

 シン曹長が右手を額につけて敬礼する。


「それと、もうひとつ……」

「他に何か……?」

 流石に空域エリア脅威度スレット判定エヴァリュエーションプログラムの実装インプルメントだけで手一杯なのであろう。少し不安そうな表情を浮かべるシン曹長にフレミングが畳みかける。

「スロットルやスティック、ラダーの動きと操縦士パイロット視線追跡アイトラッキングから小隊長機の進出予定地点を計算して、その予測プレディクト航路パシュートを小隊各機に表示することはできる?」

 しばし黙考した後、シン曹長が明快に返答する。恐らく、技術的な可能性だけでなく、人繰りと納期まで検討してくれたのであろ。

「それなら、先の開発コーディングを別の者に任せれば……あぁ、計算式アルゴリズムは確立しているので、開発コーディングだけであれば問題ありませんが……そうですね、こっちも明日の朝までには大丈夫だと思います」

「そう、よかった。そしたら、小隊各機には小隊長の、各小隊長には中隊長の予測プレディクト航路パシュートを表示してちょうだい」

「了解しました」

 シン曹長の返答に、フレミングは満足そうに頷く。

「やっぱこういうのは、シン曹長に任せれば大丈夫よね、絶対!」

「ありがとうございます、お嬢。おやっさんが帰ってきたら、2人でびっくりさせましょう!」


 結局フレミングが悩んでいたのはこういうことである。中隊各機に指示を与える際に、中隊長の意図を示すべきであるのか、あるいは各機の具体的な行動を指示すべきなのであるか。無論、両方できることが望ましいに違いない。しかし、戦闘機が最大パワーアフターバーナー領域で空戦コンバットしているのであれば、逐一詳細な指示を出すほどの時間的猶予はほとんどないのが実情である。特に、12機に個別かつ具体的な指示を与えるなど、指示の最中で既に状況が一変しているに違いないのだ。ではどうするか。通常であれば会議ミーティング訓練プラクティスを重ね、事前に様々な状況を想定した上で各操縦士パイロットの頭と体にそれを叩き込むのであるが、不幸なことにフレミング中隊、いや、中部防衛航空軍団にはその時間が無い。それこそがフレミングの焦りの原因であった。


 最初フレミングは、ひとつかふたつの必勝パターン-それであれば各自もすぐに習熟するであろう-を構築することを考えていた。しかしどう考えても、あらゆる状況に対応した必勝パターンなどあるはずがない。条件を複雑にすればするほどパターンも複雑化するのは当然のことであり、だからこそ、状況に応じた複数のパターンが用意されることの方が望ましいのだ。次に考えたのは中隊長の意図だけ簡潔に指示する方法であったが、やがてそれも不可能であると悟る。それこそ熟練パイロット同士の呼吸コンビネーションが求められる類のものであろう。フレミング達ひよっこにそのような相互理解と連携を求めることは、それこそ尚早というものである。


 だからフレミングは周りを頼ることに決めたのだ。具体的にはまず技術者エンジニアに頼ること。愛機に新しい機能を搭載してもらうようお願いしてみよう。幸いこれは、受け容れられた。こうして少なくとも中隊長は、中隊各機と空域エリア脅威度スレットについて情報を共有することができるようになった。同時に隊長機の予測プレディクト航路パシュートもみなで共有する。そうすれば、中隊各機も隊長が何をしようとしているか分かるというものであろう。あとは……フレミング中隊には頼れるお姉ちゃんが3人もいるのだ。「少しくらいお姉ちゃんに甘えてもいいでしょ?」きっと、パパン先輩もガリレイ先輩も、もちろんトリチェリ先輩も許してくれるはずだから……


 あとは訓練よね。


 全てのパターンなんて覚える必要もない。色分けされているのだから危険赤い空域エリアには近づかなければいい。より効率的に有利な青い空域エリアに占位するような機動マヌーヴァだけ常に考えればよいのだ。それを中隊長たるフレミングが率先すれば、きっとみんなついてきてくれるはず。本当に大切で価値があるのは、その最もシンプルな空戦コンバット原則プリンシプルである。つまり、先に敵のエネルギーを奪え。それさえみんなで共有しいていれば大丈夫。


「あぁ、それからみんなに伝えておくわ」

 そう言って赤髪マルーンの中隊長は、格納庫ハンガー内の整備士メカニック達を呼び集める。

「えっと、シン曹長のことは今日から『こやっさん』って呼んで頂戴! これはお願いね。今はおやっさんがいないけど、みんなこやっさんの言うこと聞いて、頑張ってね!」

 機付長補とは言え、機付長以外の者が部隊内で共通の呼び名を付けてもらうことは稀である。それもヒメ直々に……いずこともなく拍手が湧きあがる。感極まった様子のこやっさんが、改めてお嬢に礼を言う。

「お嬢、ありがとうございます。『こやっさん』として、これからもよろしくお願いします」

 その宣言を聞いたネル隊長が激励の言葉を加える。

「いつか『おやっさん』って呼ばれるように頑張ってくださいね、きっとチャンドールもそれを待ってますから」

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