第4章:休戦の末に

第34話:私、もうみんなが死ぬのを見たくないんです

 バーラタ政府がパラティアの休戦提案を受け容れたことは、直ちに全世界に伝わった。これにより、パラティアの言動は改めて国際社会の監視下に置かれることとなった。すなわち、自ら申し出た休戦期間中に先制攻撃を行えば批難の的になることは自明なのである。無論、国際世論がパラティアの行動に制約を加え得るとは限らないが、少なくとも今回の戦争行為に関してパラティアは、パラティアの批判するところの『オチデントの定めたる国際協定ルール』に基づいて-彼らが望むと望まざるとに関わらず-行動していると見える。今のところのパラティアは、開戦前の宣戦布告と言い、一般市民への直接攻撃の回避と言い、戦闘における非人道的な行為の禁止-例えば、緊急脱出したパイロットへの攻撃の禁止等-と言い、戦場における人道的行為-例えば、洋上で救援を待つパイロットを敵味方の区別なく救助する行為やその後の捕虜の扱い等-と言い、国際社会のルールに沿った行動規範を遵守しているようである。従って、休戦提案が一方的に破られる可能性は現時点においては非常に低い、と考えられていた。


 休戦協定から3日目、8月16日1300時。000Wトリプルゼロウィングの3名の中隊長は司令官室への出頭を命じられた。ファラデーとテイラーの両名は航空宇宙軍の制服ゴールドスカーフを着用している。航空宇宙軍の制服は航空士官学校ベンガヴァルのそれと同じく白地のいわゆる水兵服なのであるが、スカーフの色だけが異なっていた。すなわち1号学生はレモンイエロー、2号学生はミントグリーン、3号学生はスカイブルーと学年毎にカラーが定められているのだが、任官後はこれがゴールドになるのである。一方フレミングはこの日、ただ1人パイロットスーツを着用している。

「なんだ、フレミング。休戦期間中にあっても敵襲に備えているのか?」

 ファラデー先輩が感心したように問うと、横からテイラー先輩が茶化す。

「変なところで優等生だしなぁ、自分は? うちらと違って」

 そう言ってケラケラと笑う淡い金髪ブロンドのハネハネショートに、赤髪マルーンが小さな声で答える。

「そんなんじゃないんですけど……その……」


 この3人で司令官室に呼ばれたのは初めてのことであった。まさか、3中隊長で滑走路ダッシュなどを命じられるはずもないし……司令官の用件を訝しむフレミングの憂慮に気づいたものか、ファラデーが優しく諭す。

「フレミングは昔っから校長先生という存在が苦手だったからなぁ……」

 高校時代を懐かしむようにファラデー先輩が続ける。この場合の校長先生は、高校時代の恩師を指すのであろうか、それとも航空士官学校ベンガヴァルの……

「まぁ、そんなに心配するな。フレミングの活躍は司令官閣下だってよくご理解されている。そもそも、いくらフレミングでも、そうそう怒られる理由が思いつくわけでもないんだろう?」

「そうだぜ、フレミング。うちらに任せとけって。それよりこの3人が呼び出されるなんて、もしかしたら新しい作戦でもあるんじゃねぇか?」

 テイラーの指摘にファラデーが突っ込む。

「休戦期間中にか?」

「休戦期間中だからこそ、じゃねぇのか? 今のうちに、何かさぁ……」


 テイラーが言い終わらない前に3人は司令官室に到着した。濃い水色ヘブンリーブルーの中隊長が3人を代表してドアをノックする。

「ファラデー大尉以下3名、入ります」

 ファラデーを先頭に司令官室に入室し敬礼する。パルティル司令官はそれまで閲覧していた書類から目を上げ、自席で答礼する。3人が右手を降ろす様子を見たパルティル司令官が、内心の憂いを隠す様な声音で口を開いた。

「何だ、フレミング。休戦期間中なのにパイロットスーツとは、貴官にも意外と真面目なところがあるではないか?」

「いぇ、司令官閣下。これは……」

「何だ、貴官にしては珍しく言い淀むではないか。何か理由でもあるのか?」

「いぇ、司令官、これは、その……実は、制服はクリーニングに出してしまって……その、礼服と一緒に……」

 卒業式-という名の野戦任官式-と先日の勲章授与、1週間のうちに2度礼装を纏ったフレミングではあるが、本来そのような機会などそうあるものではない。夏場でもあるしクリーニングに出すことにしたフレミングはついでに、このところは着る機会の少なくなった制服も一緒に出すことにした、というのがことの真相であった。

「はっはっはっ、それで着るものが無くてパイロットスーツか? それはそれで貴官らしい……いや正直安心したよ」

 赤髪マルーンの返答を聞いた司令官は、心の底から嬉しそうに、カラカラと笑声を挙げた。

「安心、ですか? 司令官閣下」

 パルティルの真意を図りかねたファラデーが、可愛い後輩に替わってその意を質す。


「あぁ、そうだ。安心したぞ、本当に……」

 一呼吸置いた後、パルティルが続ける。

「そう、本当に安心した。これは私の本心だよ」

 側に控えるウェーバー副司令官が、パルティル司令官の心情を代弁する。

「パルティル司令官は、貴官ら、殊にフレミングには今次状況が多大な精神的影響ダメージを与えているのではないか、と心配していらしたのだよ」

 頷くファラデーを見てパルティルが続ける。

「先日ファラデーから具申のあった訓練計画もそうだが……000Wはこのところ連日に亘って戦闘訓練を続けているのだろう?」

 シミュレータを使えば燃料補給や機体の飛行前後点検などを要せずに訓練が実施できる。すなわち時間効率が高いのではあるが、換言すればそのことは、パイロットに与える負荷が大きいことを意味している。特に中隊長を務める3人の心身に掛かる負担には大きいものがあろう。そのことを憂慮するパルティル司令官である。

「今次状況下にあって貴官らは、為すべきことを自主的に考え、自ら行動に移している。卒業生のそのような姿勢を見ることができることは航空士官学校ベンガヴァル校長としては大変誇らしい。しかし、いざ実戦の際に我が部隊が訓練に疲弊したがゆえにその能力を充分に発揮できないとなれば、中部防衛航空軍団司令官として私は、貴官らにどれだけ詫びても足りぬことであろうことをも知っている。そこで……」


 頷く3人の大尉の目をそれぞれ見ながら、パルティル司令官が命ずる。

「本1400時より明後18日0600時まで、000W所属操縦士パイロットには40時間の休暇を与える。本休暇期間中は営外への外出および宿泊、並びに飲酒も許可するが、乗機及びシミュレータへの搭乗はこれを一切禁止する。尚、これは命令である」

 40時間の休暇と聞いて喜ぶような3人では無かった。赤髪マルーンのひよっこ中隊長が、自身の焦慮を隠さずにまくし立てる。

「お言葉ですが司令官、私達には時間も訓練も足りていません。それなのにシミュレータですら使っていけないと言われたら、私、どうしていいのか……パイロットは、1日乗らなければ戻すのに3日はかかると言われます。40時間も乗らなかったら……おやっさんもいないのに……また……私、もうみんなが死ぬのを見たくないんです」

 肩を震わせ目に大粒の涙を一杯に溜め込んで必死に抗議する赤髪マルーンの心情は理解できる。しかし、理解するからこそここは、無理にでも休暇を取らせなければならないのだ。そうしなければ、実戦の前にフレミングの精神はパンクしてしまうであろう。


「あなたの言いたいことは良くわかります、フレミング。でもね……」

 校長先生の口調に戻ったパルティルが、教え子を優しく諭す。

「今のあなたには、お休みが必要なの。分かるでしょ、フレミング。今もあなたの頭の中は、編隊フォーメーション機動マヌーヴァで一杯のはず。でもね、それでは先にあなたが潰れてしまう。根を詰めすぎては逆効果なのは、あなたにも分かるでしょ?」

 そう言われて尚も「でも……」と呟く教え子に、今度はウェーバー教頭が教頭らしく事例を交えた言辞で校長先生の意を示す。


「フレミング大尉、貴官も聞いたことがあろう。かの天才発明家エディゥソンの『天才とは99%の努力と1%の才能である』という有名な一言を。かの名言はな、『努力すれば天才になれる』と解釈されることも多いが、しかしその実、そのような意で用いられたものではないのだよ、フレミング。あの名言の真意は『天才には1%のひらめきが重要である』、言い換えれば『いかなる努力もひらめきなしには才を発揮しない』ということなのだそうだ。分かるか、その意味が?」

 問われて頷くフレミングを、教頭先生が教え導く。

「どんな世界であれ、成功者は必ずこう言うのだ。考えて考えて考えて、その上でふと頭を空っぽにした時に、天啓のようにひらめくものがあった、と。しかもそれらは大概、机の上や仕事場での出来事ではないそうだ。それは、入浴中であったり、散策中であったり、食事中であったり、就寝中であったり……頭一杯に課題を詰め込んだ後、わざと頭からそれらを排除する。そうすると、ふと見上げた景色、聞こえた音の中に見つけことができるらしいのだ、ひらめきというものは……多くの研究者が音楽や絵画を好むのも、そう考えると、恐らく彼らにとっては自らそうやって頭を空っぽにするためのルーティンなのだろうな」


 考えることはサルにでもできる、と言ったのは誰であったか。そう、考えた上で何かを掴み取るためには、一度その考えを捨てなければならない。それはとても怖いことであるようにフレミングには思われる。今、せっかく考えていることを一度忘れてしまったら、もう二度と取り戻せないのではないだろうか。

「そう、それはとても怖いことかもしれませんね」

 内心の葛藤を察したかのように、パルティル校長がウェーバー教頭の言を継ぐ。

「あなたは多分、今訓練をお休みすることを大変怖がっている。でもね、私から見ると本当はその逆。これ以上自分を追い込むのは逆効果なの。分かるかしら?」


 パルティルがファラデーとテイラーの2人に目を配る。2人の先輩も同じ危惧を共有しているように頷く。

「司令官閣下の仰る通りだ、フレミング。今の我々には休息も必要だ」

「自分、気を張り過ぎだぞ、フレミング。少しはうちらに頼ってみろ」

 2人が交互にフレミングに声をかける様子に少し安心したパルティルの口調が、司令官のそれに戻った。

000Wトリプルゼロウィング所属操縦士パイロットには改めて、明後日0600時までの休暇を命ずる」

 命令を受領した赤髪マルーンの中隊長の敬礼は、どこか弱弱しかった。

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