第33話:曰く『人類史上初の核戦争を起こした人物は誰か』、とな

 8月14日1330時。バーラタ政府は今次戦争が始まって以来3度目となる最高戦争指導会議を開催した。無論、主たる議題は当面の課題、すなわちパラティアが提案してきた『1週間の休戦』提案を受け容れるか否か。


 会頭カーヴァイン大統領から形式的な開会宣言と訓示が示された後、ダモダルダス首相が議長の任につく。

「さて、本題である休戦提案の容否について議論する前に、その前提条件としていくつか、国内外の状況について認識を共有したい」

 会議室を見渡すカーヴァイン大統領に、一同が均しく頷く。先陣を切って口を開いたのはベルトゥリ財務大臣であった。彼が指名もされない前から発言を希望することは異例のことであり、余程この場において主張したいことがあるのであろう。

「まず最初に、我が国のマクロ経済について貴兄らと理解を共にしたいと考えますが……」

 自国の経済を無視して戦争指導を遂行しようとする馬鹿者は、幸いなことにこの場にはいないようであった。ベルトゥリ大臣が続ける。

「貴兄らもご承知の通り、開戦から4日、我が国の株価は25%ほどの暴落、そう、これは暴落と表現して差し支えないほどの下落を続けております。また為替レートですが、主要外国通貨に対して軒並み1割から2割程度の通貨安となっており、長期金利についても上昇傾向にあります。すなわち我が国のマクロ指標は、株安、通貨安、債権安のトリプル安の状態であり、今のままの状況が続けばこれが更に下落することが予想されます。尚、財務省では、外国機関投資家による本邦市場からの回避リスクオフが主因と分析しており、この傾向は、我が国がパラティアに対して明確な勝利を得ない限り続くと予想されている一方、仮にリベラリオンとの同盟を破棄した場合には、更に状況が悪化するものと予測しております」


「そんなことは今更言われんでも分かっておる!」

 ラージャ三軍統帥本部長が声を荒げるが、その態度は軍部の焦りを自白する以外の効果を示さなかった。この場にいる、少なくとも政府側出席者はみな、彼の部下ではないのだ。ラージャ三軍統帥本部長の怒気に対し涼しい微笑を見せたまま、ベルトゥリ大臣が続ける。

「尚、現在のところは、これは外交・軍事最高顧問殿による訓令のお陰とでも言いましょうか、国民の生命・財産における直接の被害は発生していないため、今のところ物価や雇用・各種生産指標への影響は軽微で、市民経済に大きな変化は見られません。ですが……」


 ベルトゥリ財務大臣からの視線を受けたハーギュ商工大臣が、経済状況の説明を引き継ぐ。

「各位も承知する通り我が国の資源は外国からの輸入に依存しておる。このまま通貨安が続けば早晩、原価高によるコストプッシュ物価高インフレが引き起こされよう。特にエネルギーについては……原油は西オリエント産への依存率が高く、その影響は顕著に現れよう……」

 ハーギュ大臣の語尾に苦々しさが含まれるのには理由がある。もともとバーラタ共和国では、国内で産出される石炭を安価なエネルギー源として経済成長を続けてきたのである。しかしながら主にオチデント諸国の干渉-いわゆる環境負荷の低減要求-を受け容れ続けた結果、段階的に石炭の利用を停止し、代替的に海外産の原油にシフトしてきたのであった。ところが今次戦争の勃発により、安定的な原油の供給が期待しにくい状況となった。何しろヴェスターバーラトオーシャンの制海権はパラティアに握られているのである。ハーギュの内心の苛立ちは、今次戦争の遠因であるオチデントと、シーレーン防衛を放棄したバーラト海軍の双方に等量づつ向けられている。


 ハーギュ大臣の、幾分敵意の込められた視線を受けたラウム海軍軍令部長は、その表情を他者に読み取らせまいとするように若干俯き加減の姿勢を取ったまま沈黙を堅持した。その後モーテー・ギー外務大臣からはグレートエイトアイルズへの和平仲介要請について、ベルトゥリ財務大臣からは週明けにも議会へ提出予定の戦時臨時予算案について、ハーギュ商工大臣からはメーカーによる戦闘機増産体制の進捗状況について、キッシー防衛大臣からは航空宇宙軍の損耗状況について、それぞれ報告があった。が、いずれも芳しい状況でないことは、報告によるまでもない。


「さて、」

 一通りの政府側報告が終わった時点でダモダルダス首相が議事を次の議題へ移す。

「パラティアから申し入れのあった休戦提案について、貴兄らの意見を聞きたい。三軍統帥本部長、これについて軍部はどのように考えるか?」

 指名され改めて威儀を整えたラージャ三軍統帥本部長が口を開く。

「軍部としては敵の申し出を奇貨として、我が軍の再編成が為にこれを利するのが得策と考えます」

 ラージャ本部長が視線をクリシュ航空宇宙軍参謀総長に移すと、クリシュ参謀総長が俯き加減に本部長の発言を引き継ぐ。

「先にキッシー大臣からもご指摘のありました通り、我が航空宇宙軍の損耗は甚だしく、反撃を試みるにも今少しの時を必要とするのが実情にて……」


「しかしそれでは敵の思うつぼではあるまいか。休戦提案は敵の時間稼ぎであることは明白。この際はむしろ、敵の準備が整わぬ前にこちらから攻撃するのが得策なのではあるまいか?」

 ハーギュ大臣の指摘に対し、クリシュ参謀総長が繰り返す。

「大臣のご指摘はご尤もなれど、如何せん、こちらの戦力も……」

 無論、ハーギュ大臣も引かない。ダルス陸軍参謀総長とラウム海軍軍令部長に交互に視線を配りながら、ハーギュが続ける。

「参謀総長の仰ることは判るが、しかし戦力は航空宇宙軍だけがこれを保有するのではなかろう?」

「それは先日も協議したばかりであろう? 我が海軍が今次戦争に参加するは我が国の利に非ず。そのことが、ハーギュ大臣にはご理解されていないと見える」

 ラウム軍令部長がいささかの嫌味を込めて言い返す。先日来この2人の間には剣呑な雰囲気が漂っているようであった。それに比すればダルス参謀総長の言は穏やかであったが、その内容がゼロ回答であることは軍令部長と同じであった。

「まぁまぁ、軍令部長。大臣の仰ることも解りますが、何しろ陸軍には、洋上にある敵艦を攻撃する能力についてはこれを保有しませんゆえ……」


「されば、敢えて申し上げるが、核の使用、あるいは少なくともその可能性を示唆するのはどうであろうか? 核兵器とは、このような場合の抑止を想定した軍備なのであろう?」

 『核兵器』という言葉に、流石にその場にいる全員が戦慄する。パラティアが航空宇宙軍だけを対手として戦闘行為を行っているのは、この戦争を局地戦争に留めるためのジェスチャーでもあるのだ。核保有国たるパラティアとバーラタが全面戦争状態に移行すれば、それは人類史上最初の熱核戦争-あるいは人類史上最後の戦争-になるかもしれないのである。ラウム海軍軍令部長が海軍の戦闘参加を頑なに拒否するのは、何も海軍の利益のためばかりではない。

「ハーギュ君」

 ダモダルダス首相が厳かに発言する。

「君の言う通り、確かに我が国には核を戦争に利用する用意がある。しかし私には、後世の高校生が歴史の試験で私の名前を問われる、という不名誉に甘んじるつもりはない。曰く『人類史上初の核戦争を起こした人物は誰か』、とな」


「核の不使用方針については理解しました、首相閣下。しかし、それでは……」

 尚も食い下がるハーギュの言をベルトゥリ財務大臣が代弁する。

「左様、1週間の後にはまた、ミサイル弾薬を一杯に補充した敵軍が、第三次攻撃をしかけてきましょう。その方が我が国にとっては被害が大きくなるのではありませぬか?」

「その点については航空宇宙軍に考えがある。クリシュ参謀総長」

 ラージャ三軍統帥本部長がクリシュ航空宇宙軍参謀総長に発言を促す。

「実は現地部隊からは、航空機搭載用空対空ミサイルAAM地対空ミサイルSAM改修プランが提案されております。既に過去2度の戦闘において当該試製プロトタイプ発射装置ランチャーの試験運用に成功しており、その有用性も証明済であります。この改修には特別の技術や装備も必要なく、また、既に現地部隊に多数配備されている空対空ミサイルAAMを流用するため、新たな配備計画も必要としません。1週間もあればこれを各基地にて展開することも可能である、と我が軍では考えております」


「更に申し上げれば……」

 キッシー防衛大臣が遠慮がちに、ハーギュ大臣の方を向きながら口を開く。

「いずれにせよ現時点で我が方に反撃の手段が無いのであれば、例え敵の時間稼ぎであることが明白であろうとも、今は休戦提案に応じておいて、その時間を我々も戦備充実のために利用するのがよろしいのではないか、と考えます。幸い、航空宇宙軍にあっては敵襲への対策は万全であると言い、またガンガー前ベンガヴァル市長の言を信じれば、バーラタ国民への直接の戦闘行動は制約されると言うのですから……どうでしょうか、ハーギュ大臣」

 この上更に内閣不一致に陥るなど好ましい状況ではなかろう。内閣の同僚たるキッシー防衛大臣にそうまで言われては、ハーギュもこれ以上の反論はできなかった。


「結論は出たようだな」

 カーヴァイン大統領の表情を伺いながら、ダモダルダス首相が発言する。

「甚だ遺憾ではあるが断腸の想いにて、我がバーラタ共和国はパラティア教国の休戦提案を受け容れることとする。受け容れの表明は、そう……敵も国防大臣が提案してきたことゆえ、そのカウンターパートである防衛大臣から行うのがよかろう。尚、本会議の議事録は即日公開するように」

 政府のトップであると同時に軍部の最高司令官でもあるダモダルダス首相は、政府・軍部双方の顔を立てる形で結論づけた。


 カーヴァイン大統領が会議の閉会を宣言する。バーラタは議事録を公開することで、最高戦争指導会議では核の使用までをも検討したことを公表する形となった。「核は互いに使わない」。先にバーラタがそう宣言することで、パラティアにも核の使用を思い留まらせる効果が期待できよう。そうであれば、将来バーラタが陸海軍も含めた全面反攻を行う場合でも、核戦争の可能性を危惧する必要は無くなる。これは全く、ハーギュ大臣の予期せぬ功績であった。


 こうしてバーラタは1週間の休戦を受け容れることとした。

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