第32話:だからって、人を殺して良い訳なんか無いんだよ、お母さん

 同日、1300時。パラティア教国から新たな声明が出された。その声明はTVやラジオ、ネット等で生放送/生配信され、即時世界中に伝わった。情報統制が成されるようないくつかの国や地域においてはあるいは国民・市民がリアルタイムでこの声明に触れることは不可能であったかもしれないが、幸いなことにバーラタ共和国では-『表向き』ではあるかもしれないが-言論と表現の自由が保証されていた。無論、フレミング達もD-12格納庫ハンガーに設置されているモニターでその中継を見ている。そのモニターに映る今日の主役は、少しパラティア訛りの入ったバーラタ語で語り始めた。


「賢明なるバーラタ共和国政府と国民諸君」

 相変わらず居丈高なパラティアの声明である。尤も商売人セールスパーソンよろしく揉み手をしながら慇懃無礼に

「バーラタのみなさん、どうもどうも、ご無沙汰しております~」

 などと言われたら、恐らくは余計に腹が立っていたことであろう。戦争にだってTPOというものはあるのだ。モニターに映し出された50代後半と思われる男性-パラティアの国防大臣らしい-は、少なくともそのことを弁えた人物であると察せられる。無論、だからと言って好感を持てる訳ではあるまいが……


「本日未明、我々は貴空軍に対して第二波攻撃を決行した。そして、先日のそれに勝るとも劣らない多大な戦果を挙げたことは、何より諸君自身が身を以って理解したところであろう」

 パラティアの大臣は『多大な戦果』と表現しているが、4日前の攻撃に比べれば今回の被害は遥かに少なかったバーラタ軍である。敵編隊は二手に分かれ、その主力は北方・東方の基地を、分遣隊はベンガヴァルをそれぞれ指向したが、各基地が被った損害は皆無であった。今回の攻撃では巡航ミサイルが使用されなかったことがその主因であろう。また敵の企図するアウトレンジ攻撃-バーラタ側ミサイルの射程外からの先制攻撃-についても、それと分かっていれば被害を抑えることはある程度は可能なのであった。今回の戦闘は戦術面においてはバーラタの勝利-基地攻撃という敵の企図を防いだ-であり敵の主張は厳密に言えば誇張表現と表現してもなお過言なのではあるが、この宣言には諸外国に向けた政治宣伝の意味もあるのだろう。少なくとも『我が方の勝利だ』などとバーラタ政府が言えるはずもなく、外交とは所詮『言った者勝ち』の世界なのだ。


「何言ってるんだ、今回は俺達の勝ちじゃねぇか!」

 格納庫ハンガー内のどこかからそんな声も挙がるが、

「そうは言っても……」

 応じれば虚しさだけが残ることを知っている赤髪マルーンである。例え勝利を勝ち誇ったところで、同期パイロットを失った寂寥感が埋められるはずもないのだ。パラティアの宣言が続く。


「また我が方の観測によれば、貴国の同盟国たるリベラリオンは、貴国が戦争状態にあると知りながらその盟を守るところを知らぬばかりか、我先にとバーラタの領土外へ逃亡したと見える。オチデントの連中とは全く、晴れの日に傘を貸す商業銀行のようなものではないか。かような連中と盟を約しその責務を負うなど、バーラタ政府ならびに軍首脳の諸君らに、小官は同情を禁じ得ない」


 おやっさんなどが居れば「晴れの日に傘を貸すなんて、パラティアの連中もちったぁ気の利いたことを言いやがる」とでも呟いていたところであろう。そのおやっさんは今頃、病院のベッドで何を思いながらこの中継を見ていることであろうか。敵の理屈にある程度の理解は示しつつ、それでもフレミングは、この戦争の馬鹿馬鹿しさに辟易している。そんな理由のどこに、人が死ぬ必要があると言うのか。


「我々は諸君らと争うことを望んでいる訳ではない。我々は、諸君らの盲を啓くために闘っているのである。オチデントの連中は掌を返すようにいとも簡単に約を違える者どもであることを諸君らも、今やはっきりと理解したのではないだろうか。オチデントの者どもには、義もなければ理もなく、道もなければ情もない。あるのはただ、利のみ。今や諸君らも、我らの言にこそ真があると悟ったのではあるまいか」


「キルヒー、この人、何が言いたいのかなぁ?」

 この宣言は何なのだろう、と訝しむフレミングは、同じようにモニターを凝視している金髪ブロンドの親友の顔を覗き込んだ。キルヒーもやはり、敵の国防大臣の意図が読み込めないような表情をしている。

「さぁ、ワタクシにも分りませんけれど……やはりリベラリオンとの同盟のことを再び……」

「でもさぁ、何で今更そんなことを?」

 親友同士の2人が交わす小声の会話は、この場にいる全員が共有する疑問と同じものであったろう。その解を得るには、敵の声明をもうしばらく聞く必要がある。


「先に我々は宣言した。この戦争の目的は貴国にリベラリオンとの同盟を破棄させることである、と。貴国がその盟を棄てぬ限りにおいて我々は貴国と戦うことも辞さぬ、と。しかしながら我が方の問いかけに対し、貴国はリベラリオンとの同盟を維持するとの結論を下した。ゆえに、甚だ遺憾ではあるが、我々は今回の攻撃を敢行したのである」


「しかし、」

 一呼吸の後、敵の声明が続く。

「諸君らには再び熟慮して欲しいのだ。真にオチデントとの同盟が必要であるのか、と。貴国の有事にあって貴国を守るその姿勢すら見せぬリベラリオンに至誠はあるのか、と。我が国には、貴国がその気になりさえすれば、いつでも終戦に応じる用意がある。無論、終戦に当たって貴国に対し、賠償その他の要求をなすつもりは微塵すらない。ただ、貴国がリベラリオンとの同盟を破棄さえすれば、我がパラティアはそのことをのみ条件として、終戦を受け容れるであろう」


「勝手に始めておいて何が『終戦を受け容れる』だ、偉そうに」

 再び格納庫ハンガー内で声があがる。「その通りだな」と思いながら、それでもフレミングは、少なくとも終戦の条件が提示されたことは一歩前進であると考えている。フレミングにそう考えさせるのは、やはり士官教育の賜物であったろう。戦争とはその他の手段を以ってする政治の延長に過ぎないのであれば、戦闘ではなく政治が戦争を終結させるのであろう。第18落ちこぼれ小隊とは言え赤髪マルーンも、今やその程度の理屈は弁えている一人前の士官なのである。


「そこで小官から諸君らに、ひとつ提案がある」

 どうやら、モニターに映る人物が本題に入るらしい。

「先の我らの提案を受け容れるか否か、諸君らにとっても今や熟慮する時間が必要であろう。先日の攻撃から僅か4日、確かに諸君らが賢明なる判断を下すためには、いささか時が少なかったであろう。その点については我らも、自らの焦慮を少しく反省しているところである。さて、その反省に立った上での小官からの提案であるが、」


 これが大衆演劇であれば「いよっ、待ってました」とばかりに観客から掛け声が入るところであろうが、流石にこの場でそのような声を挙げる者などいなかった。

「我がパラティア教国は貴バーラタ共和国に対し、1週間の休戦を申し入れる。貴国におかれてはその間に関係各国と諸般調整の上、改めて我が終戦の申し出に応じてくれればよい。本日より1週間後、8月21日バーラタ時間の1200時までの間、貴国による戦闘行為が認められない限りにおいては、我がパラティア教国は貴国に対して一切の戦闘行為を行わないと約束しよう。諸君らにはこの間に、我々が申し出るところの終戦条件について、改めて熟慮して欲しいのだ」


 1週間の休戦。その間にリベラリオンとの同盟破棄について再考せよ、と敵の国防大臣は提案する。その間、敵は一切の『戦闘行為』を行わないという。

「『戦闘行為』は『作戦行動』とは違うよね、キルヒー?」

「えぇ、違いますわね。休戦期間中に直接攻撃をしてくるとは思えませんが、次の攻撃の準備期間に充てることは充分考えられますわ」

 赤髪マルーンの友人が発する問に対する金髪ブロンドの返答は、この中継を見ている全ての政府・軍関係者に共有された懸念であったろう。敵が今日の攻撃に巡航ミサイルを使ってこなかった理由は、恐らく第一次攻撃の際に艦載ミサイルを全て射ち尽くしたからであろう。燃料・弾薬及び損耗した航空機の補充には少なく見積もっても1週間はかかる-本国から洋上数千km離れた作戦海域に展開する4個空母機動艦隊への補給なのだ-であろう。敵の狙いは明白であった。

「そんなの、ただの時間稼ぎじゃない?」

 険しい表情を浮かべて主張する友人に、キルヒホッフは黙ってうなずく。


 だが、パラティアの声明はこれで終わりではなかった。

「この休戦提案について、諸君らにも思うところ多かろうとは推察する。しかし小官は、これだけは我が神に誓って申し上げる。今次戦争の目的について、我々はパラティアの利が為にこれを遂行しているに非ず。我々はオリエントの安定と繁栄のためにこれを敢行したのである、と。これを証明せんがために、小官はここに、我がパラティアが招聘した外交・軍事最高顧問を諸君らに紹介したい」


 国防大臣の紹介は、恐らく全バーラタ国民を唖然とさせたことであろう。国防大臣に替わってモニターに映し出されたのは、精悍な顔つきの、しかしながら両の目の奥に潜む野心を隠しきれない、シャトーワインのような深い赤髪を持つ、40代半ばの女性であった。

「バーラタ国民のみなさん、ごきげんよう。前ベンガヴァル市長のガンガーです。ゆえあって今はパラティア教国の外交・軍事最高顧問として、バーラタ国民のみなさんに一言お話しさせて頂きたいと思います」


「お母さん……」

 卒倒しそうになるフレミングの両肩をキルヒホッフが支えた。フレミングには2人の母がいる。実の母親であるガンガー-今、モニターに映し出されている女性-はフレミングの出産後、研究の道キャリアを選んでフレミング家族を捨てたという。そのフレミングを育ててくれたのが、ガンガーの友人でもあったラクシュミーであった。そんな自分の出生の秘密をフレミングが知ったのは高校1年生のときである。ラクシュミーママは以降も変わらぬ愛情を赤髪マルーンに注いでくれているが、ガンガーお母さんはその後市長の座から失脚し、今は他国に亡命したと聞いていた。その亡命先がよもやパラティアであったとは……事情を知る金髪ブロンドの親友が赤髪マルーンに惻隠の情を寄せる。


「今世界は『これからはオリエントの時代だ』などと声高に主張します。しかし、果たしてそれは正しい認識なのでしょうか? みなさん!」

 ガンガー前ベンガヴァル市長が自論の展開を始める。国防大臣の声明に比すれば丁重な口調であるのは政治家であるがゆえであろうか。しかしその言説はむしろ、国防大臣より独りよがりで押しつけがましいものにも聞こえる。

「彼らの言う『オリエントの時代が始まる』などというのは世迷言に過ぎません。何故なら世界の歴史は常に、このオリエントを中心に廻ってきたからです。オリエントの時代とはすなわち、世界の歴史そのものなのです。今日、私は、そのことについてまず、バーラタのみなさんとご理解を共にしたいと思います」


「市長のご主張は、今も変わりませんね」

 5年前のあの日、フレミングは出生の秘密と同時にガンガーお母さんの主義主張も聞いていた。当時その主張は世間に容れられず、結果として市長は失脚する破目になったのである。「奪われる前に奪え」というその思想は、「目には目を」という法治主義を援用したと市長は考えていたようであったが、「それは何かが違う」と、微妙な違和感を感じていたフレミングであった。5年経った今でも相変わらず違和感の原因である『何か』は判然としない。まるで靄に包まれたかのように、その『何か』の所在ばかりか、存在さえも疑わしいのである。「お母さんの主張のどこが気持ち悪いのかな?」と内心では悩みながら、それでも親友の情が分かるフレミングは、ただ言葉としてはこう呟く。

「うん、相変わらず……」


「ですが、みなさん。今日の世界は、まるでオチデントを中心に廻っているようにも思われます。それは何故でしょうか?」

 そう、『オリエントの時代が始まる』とは、換言すれば『今まではオリエントの時代では無かった』ことを意味するのだ。何故そうなのか? 前市長の主張はシンプルである。

「それは、オチデントがオリエントから全てを奪ったからです。オチデントはオリエントの富を奪い、彼らが創った彼らに有利なルールによって我々を縛り、世界を彼らに利するように作り替えたのです。例えばリベラリオンはバーラタと同盟を結んでいますが、それは何故でしょうか? それは、オリエントの地に覇権を唱え、オリエントの富を収奪するためには、オリエントの地に駐兵することが彼らにとって必要不可欠だったからです。ですがリベラリオンはオリエントの地には領土を持たない……だからこそ!」

 一呼吸の間を空けてから、より語気を強めてガンガーが説法する。

「だからこそ、リベラリオンはバーラタとの同盟を必要としたのです。表向きは、バーラタを守るために。そしてその見返りとして、リベラリオンはバーラタに、基地と経費を供出させたのです」


 そう、リベラリオンにとってバーラタとの同盟がもたらす利益は大きいのであろう。すなわちそれは、リベラリオンの富に繋がるのだ。

「しかし、今やオリエントは、オチデントに収奪され続けても猶再び、オチデントを退けること能うだけの力を蓄えました。それを称して彼らは『オリエントの時代』と呼びますが、実態は違うのです、みなさん。世界の実相は正しくは、『オチデントの時代が終わった』と理解するべき状態にあるのです。つまり今や、バーラタにはリベラリオンの基地は要らなければ、これ以上オチデントを利するためにバーラタが犠牲なる必要も無くなったと言えるのです!」


 だからと言って戦争をけしかける必要はあるまい。そう思うバーラタ国民は多かったであろう。この点に対する前市長の主張は果たして、バーラタ国民を納得させ得るものであったか否か。

「さて、今回の戦争に際し、私は外交・軍事最高顧問として、国防大臣に次の制約を課しました。すなわち、今回の作戦行動において、一般市民への被害はこれを最小限に留めること。換言すれば、相手を軍隊に限定して作戦行動を取ること。これは現在のところ正しく守られ、また今後も守られることでしょう。私達の目的は、バーラタ国民の生命と財産と自由に損害を与えることにはありません。私達の目的は、バーラタの地からオチデントの権益を放逐することにあります。これまでもパラティア政府は過去数度に亘ってバーラタに同様の勧告を行って参りましたが、残念ながらそれらは全て受け容れられませんでした。しかるに今次状況を招いたのは偏に、バーラタ政府の無作為が原因とも言えましょう。オチデントの時代が終わり、世界が真の姿に再生する。そのような時代に対処することを必要とされているにも関わらず、バーラタはこれまで、世界の実相を直視することから目を背けてきたのです」


 戦争の原因を相手国政府の責任に転嫁することは古来からの常套手段ではあるが、そうであるがゆえに論理構造としては陳腐な印象も与える。

「バーラタ国民のみなさん、どうかこれを機に、改めてリベラリオンとの同盟について見直して頂きたいのです。現にリベラリオンは、盟約を守ることなく国外退避しました。そのような国家と、今後も同盟を結び続ける必要があるのでしょうか? どうか、ご賢明な判断をして頂くことを心よりお願い申し上げます」


 パラティアの声明放送は終わった。D-12格納庫ハンガーには悄然と立ちすくむ赤髪マルーンの中隊長と、その隊員達が残される。誰もが無言で何かを噛みしめているような表情をしていた。先の宣戦布告と言い今回の声明と言い、あるいはガンガー前ベンガヴァル市長の主張と言い、それぞれに何がしかの真理が含まれていることは、その場の全員が理解している。戦争とは全く度し難いものであろう。異なる主義主張がぶつかり合った結果、話し合い外交決着ケリが着かなければ殴り合い戦争で結論を得る。例え相手の主張に一部の理があると解していても……戦争が政治の延長と呼ばれる所以であろう。であるからこそ前市長は、一般市民には被害が出ないような作戦計画を立てたというが……しかし、それが何の言い訳エクスキューズになろう。


「だからって、人を殺して良い訳なんか無いんだよ、お母さん」

 今回の戦争の直接の原因にガンガーお母さんが当たるわけではあるまい。彼女は恐らくパラティアに利用されているだけなのだ。バーラタに戦争をしかけるに際し、斯様な主義主張を持つバーラタの政治家の存在は、パラティアにとっては全く都合のよいことであったろう。何しろ、男尊女卑の傾向が強いバーラタにあって、ガンガーは史上初の女性市長であったのだ。今でも一部では高い人気を誇る政治家であることに変わりのないガンガー前市長は、バーラタ国民に対する政治宣伝の材料としてはこれに優るものも他には見当たらない存在であろう。それでも……フレミングにとっては、愛すべき肉親が忌むべき戦争の原因に関与していることに変わりはないのであった。

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