第30話:死神なんてそんな迷信……私は絶対に死なないから

 あれは、フレミングが愛機を受領する少し前、昨年の10月のことであった。


「フレミング候補学生、ただいま出頭いたしました」

 校長室のドアをノックするフレミングは、自分が出頭を命じられた理由を訝しんでいた。無論、心当たりが無い訳ではない。というよりはむしろ、心当たりが多すぎてどの理由で呼ばれたのか判然としていなかった、という方が真相に近い。ただ、いずれの理由であったにしても不可解なのは、もし叱責を受けるのであれば、金髪ブロンド水色ライトブルー桜色SAKURAも同時に呼ばれるはずであったことである。そしてきっと

「フレミー、少しは自重してくださいね」

「フレミングちゃん、今度は気を付けようね」

「てか、うちら毎度毎度フレミングのせいでこんな目に」

 など、恐らはく3人3様の批難を一身に浴びていたことであろう。それが今日は、フレミング1人だけが出頭を命じられたのである。「これはいよいよ退学がドロップアウト・イズ決定したディサイデッドかな?」などと内心では不安に思いながら、せめて堂々と出頭してやろうと思っている赤髪マルーンである。


「入れ」

 中から冷厳な校長閣下の返答がある。ドアを開けて入室すると、姿勢を正して敬礼する。自席で答礼した校長閣下は、意外な台詞を口にした。

「よく来た。まぁ、そこに座れ」

 そう言って応接セットのソファを指さすパルティル校長にフレミングが目をまるくしていると、自らも主人用のソファに腰掛けながら校長閣下は再度赤髪マルーン候補学生カデットを促す。

「そう緊張するな。まずはそこに座れ」

「失礼します」

 そう言って浅くソファに腰掛けるフレミングを見たパルティルは、校長としての威厳という仮面を少し外し、候補学生カデットの聞いたこともないような快活な笑声を響かせる。

「はっはっはっ、さてはまた私に怒られるとでも思っているのだろう? しかしな、フレミング……そうであれば小隊4人全員が呼ばれるべきであることは、何より第18落ちこぼれ小隊の貴官であれば、よく承知しているだろう?」

 どう反応してよいか分からないフレミングは、とりあえず校長閣下の目を真っすぐ見つめることだけを決心した。すると、パルティル校長の隣の席に腰掛けたウェーバー教頭が口を開く。

「フレミング候補学生、今日貴官を呼んだのは叱責が目的ではない。だからもう少しリラックスして校長閣下の話を聞きなさい」

 軽く頭を下げて謝意を示す赤髪マルーンを見て、パルティルが本題に入る。


「さて、来月になれば貴官ら2号学生は、乗機を受領する手筈になっている。無論そのことは貴官もよく承知しているな?」

 無言で頷くフレミング。もちろん、その日をどれだけ心待ちにしていることか。何しろ42期生には新型が宛てがわれるとは専らの噂である。どんな機体かしら? そんな期待が表情に出てしまったのであろうか、パルティル校長は少し微笑を見せながら言葉を続ける。

「そう、貴官らお楽しみの愛機だな……そして、機体と一緒に操縦士パイロットには固有の整備分隊が与えられる。そのことも無論承知しているな?」

 バーラタ航空宇宙軍の操縦士指向分隊編成ヒメシステムでは、操縦士には機体と同時に機付長以下、固有の整備分隊が与えられる。現役パイロットとしての寿命は約20年。そのパイロット寿命の続く限り、整備分隊は原則として固定されるのだ。

「さてその整備分隊と機付長であるが、本来であればパイロットが任意にこれを選ぶことは適わない。好むと好まざるとに関わらず、航空士官学校ベンガヴァル2学年時に与えられた分隊が、ある意味ではパイロットの一生を左右する」

 校長閣下の意図が呑み込めずただ無言で聞いているフレミングに、パルティル校長は数枚の資料ペーパーを手渡す。


「さて、まずはそれを読め」

 言われて手渡された資料のページをめくる。その資料には、とある整備士メカニックのプロフィールが記されていた。チャンドール曹長、2039年生まれの38歳。電子制御系を専門とするエンジニアで軍の評価は著しく高い。しかし軍では、彼はある綽名を以って高名であるという。

「死神……」

 思わずつぶやくフレミングの後をパルティルが承ける。

「そう、チャンドール曹長は死神として、現地部隊では有名でな……彼は18年の軍歴において、既に3人のヒメと死別しておる」


 最初の事故は2061年、チャンドールが22歳の時であった。当時担当していた機体のパイロットは、訓練中に僚機と空中接触事故を起こしてしまう。僚機のパイロットは無事緊急脱出装置により生還したが、チャンドールの最初のヒメは乗機とともに墜落死した。事故当時、真っ先に疑われたのは緊急脱出装置の作動不良とその整備担当であったチャンドール二等整備士であった。当然、分隊内では「ヒメを殺した男」として白眼視される結果となる。尤も、その後の軍の調査により、緊急脱出装置は「使えなかった」のではなく「使われなかった」ことが証明された。すなわち緊急事態の発生に動揺したパイロットは、その装置の存在を忘れ去っていたことが原因である-緊急脱出装置のレバーには引かれた形跡が残っていなかった-と説明されたのだ。このことは、機体に残されたデータレコーダやビデオレコーダからも裏付けられチャンドールの冤罪は晴らされたのではあるが、その時には既に、分隊内に彼の居場所はなかった。


 こうして最初の任務地である東方防衛航空軍団を離れたチャンドールは、2069年、今度は西方防衛航空軍団で別の死亡事故の当事者として疑われることになる。チャンドールの新たなヒメが操縦するAMF-60Aは訓練飛行中、突如姿勢を乱したかと思うやきりもみ回転をしながら地上に激突した。当初はフライ・バイ・ワイヤのハーネス誤配線が疑われ、コクピット廻りのアビオニクスを担当していたのがチャンドールであったのだ。この事故も後にパイロットが飛行中に突如平衡感覚を喪失したことが原因であった-制御系は正しくパイロットの操縦した通りに作動していた-と発表されたが、やはりここでもチャンドールが居づらくなったのも事実である。


 その5年後、今度は北方防衛航空軍団で墜落事故が発生する。今度の事故でもやはり、チャンドールが担当していたオートバランス廻りの調整が疑われた。実際のところはパイロットがオートバランサーを任意で解除したことが原因であったのだが、こうしてチャンドールは3人の分隊長を失った結果、航空士官学校ベンガヴァルに転属することになった。以来3年の月日が経つが、チャンドール曹長はただ「校長付き」とだけあり、その任所は不定のままであった。


 尤もチャンドール自身はそれぞれの事故の教訓を踏まえ、上層部には様々な改善提案を行ってきている。例えば、2061年の事故以来バーラタ機では、緊急脱出装置の作動には2通り以上の手順が用意され、システムとパイロット双方にフェイルセーフとフールプループを提供することになった。あるいは2069年の事故の教訓から、パイロットが両手両足を操縦系から離した場合には機体が自律的に水平姿勢を維持する機能が追加され、あるいは特定の高度以下では機動制限装置マヌーヴァリミッタをパイロットの任意では解除できないセーフティーロックが実用化されたりもしている。これら諸々の改善提案とその効果の高さが、現在チャンドールが軍上層部から高く評価されている所以であろう。


「軍上層部からの評価は意外と高いんですね」

 フレミングの独り言に、ウェーバー教頭が解説する。

「そう、彼の改善提案により、その後多くの事故が防止されたとも言える。軍上層部は彼を『天才エンジニア』と認めているのだが……」

 最後は尻すぼみになる教頭の言を校長が引き継ぐ。

「現地部隊の評価はなかなか……まぁ、パイロットは意外と迷信深いというか、何しろ自分の命を預ける相手だから、な」

 彼の技術者エンジニアとしての才能は、しかし現地部隊における彼の評価を改善することを担保しなかった。あるいは、才能とはそういうものであるのかもしれない。天才とはいつの世においても、凡人には理解され得ないのだから。

「それで、死神……?」

 フレミングの疑問をパルティルが肯定する。

「まぁ、そういうことだ」


 そこまで赤髪マルーン候補学生カデットが理解した様子を見て取って、パルティル校長が本題に入る。

「さて本題だが、本来候補学生カデットには機付長以下整備分隊を選択する権限は無い。これは先も言った通りだ」

 頷くフレミングに向かってパルティルが続ける。

「しかし、今回だけは例外を認める。フレミング候補学生、貴官にはこのチャンドール整備曹長を貴官の機付長として採用する意思があるか?」

 軍上層部からは天才と評されるほどの技術者エンジニア。一方、現地部隊からは『死神』と畏怖され敬遠されるほど縁起の悪いアンラッキーマン。その採否を今、自分で選択しろということであろうか? 考え込むフレミングにウェーバー教頭が手を差し伸べる。

「実は、彼が航空士官学校ベンガヴァルに転属してから今年で4年目。毎年同じ質問を一部の候補学生カデットに問うてはいるのだが、みな首を縦に振らなかった。無論、今年もそうだ。従って、仮に貴官が否と答えたとして、貴官の考査には何ら影響はしないことはこれを保証しよう」

 一部の候補学生ということは恐らく成績優秀な学生達であろう。42期であればイッセキや席次2位のラグランジュ、3位のボルタ辺りには話がいったのであろうか。そして全員がそれを否定したからこそ今、フレミングに対しても同じように下問されているのであろう。「死神なんてそんな迷信……私は絶対に死なないから」。そう心に決めたフレミングは、パルティル校長の目を真っすぐに見つめた後、力強い口調で宣言した。

「私はチャンドール准尉を信じます」


 こうしてチャンドール整備准尉がフレミング分隊の機付長に就任することになった。


******************************


 2078年8月14日1110時。キャンディーマルーンのAMF-75Aは無事ベンガヴァルに帰投、16滑走路に着陸ランディングした。D誘導路を通ってD-12格納庫前のエプロンまで自機を誘導させると、牽引車両トーイングカーが入庫させてくれた。機内で自己診断機能セルフチェックを走らせるフレミング。

「この子には、かなり無理させちゃったからなぁ」

 幸いにも異常がないことを確認したフレミングは、「ありがと、お疲れ様」と言ってディスプレイ周りを一撫ですると、エンジンを停止し風防キャノピーを跳ね上げて機体から降りた。


 降機後目視点検を行っていると、フレミング中隊のメンバーが近寄ってくる。

「おかえりなさい、フレミー。よく無事で……」

「フレミングちゃん、心配したよぉ~」

「お疲れ様、フレミーちゃん」

「すげぇな、中隊長。よく帰って来られたなぁ」

「中隊長は立派なエース」

「Ace Of Diamonds!」

「向かい風が吹かなくて良かったわ」

 7人7様の労わりの声に謝しつつ、赤髪マルーンの視線は格納庫ハンガー内を泳ぐ。やがて探し人を見つけることのできなかったフレミングがぽつりと呟く。

「キルヒー、おやっさんは?」


 俯く金髪ブロンドの親友に替わって、フレミングの背後から1人の整備士メカニックが声をかける。

「お嬢、その件は自分から」

 言われて振り向くと、目の前にはシン整備曹長が立っていた。シン曹長はフレミング分隊では次席整備士に当たり、機付長補の職位にある。要するに、おやっさんの補佐-というより、おやさんに替わって分隊をまとめる-という役割である。おやっさんより少し背が高くて、おやっさんより少し痩身、おやっさんより少し年下のシン曹長は、おやっさんと同じ制御系が専門で、おやっさんに心酔しているらしい。


「おやっさんはお嬢達が出撃してからすぐ、2名の整備士メカニックを連れて8連装地対空ミサイルSAMランチャーで出撃しました」

「出撃って、どうやって?」

 フレミングは当然の疑問を口にする。装甲兵員輸送車を改造した8連装地対空ミサイルSAMランチャーなんかで、どうやって短時間のうちにベンガヴァルから西ガウツ山脈まで進出することができたのか? 無論、何故そんなことをしたのか、などとは聞かなかった。そんなことは問うまでもないことである。

「パルティル司令官に掛け合ってコーラルから輸送機を1機調達、空輸挺進エアボーン作戦で現地に急行しました」

 空輸挺進エアボーンなど、よくパルティル司令官も、それからコーラルの司令官も許したものである。そんな疑問が表情に浮かんだのであろうか、シン曹長が説明を続ける。

「おやっさんは司令官に『これは地対空機動挺進構想の概念実証POCである』と言って許可を取り付けたのです」

「地対空機動挺進構想?」

 思わずオウム返しする赤髪マルーンは、すぐに自分の質問が馬鹿げたものであることに気づかされる。

「まぁ、要は耳障りのいい弁明エクスキューズでして……名前は何でもいいんです。自分には『お嬢はどうせ無茶すんに決まってんだから』とだけ……」


 おやっさん出撃の経緯については腑に落ちたが、フレミングが真に聞きたいことはそこではない。シャギーカットの赤髪マルーンを揺らしながら改めておやっさんの消息をシン曹長に訊ねるフレミングの声音からは、内心の焦慮が隠しきれていなかった。

「それで、おやっさんはどこなの? 途中でおやっさんと連絡が取れなくなったんだけど、おやっさん達は無事なの?」

 分隊長の周章を鎮めるかのように、機付長補は敢えてゆっくりとした口調で質問に答える。

「お嬢、落ち着いて。まず、おやっさんは無事です。無論、他の2名も」

 胸を撫でおろすフレミング。一呼吸の間をおいて、シンが続ける。

「ですが、おやっさんは負傷し、後方に搬送されました」

「負傷? 後方搬送って、容体は?」

 フレミングはおやっさんに誓っていた。「私は絶対に死なないから」と。しかし、当のおやっさんはどうか。「お嬢を死なせない」とは言ってくれたが……そんな内心の葛藤を見て取ったのか、シン曹長が補足する。

「お嬢、安心してください。命に別状はないそうです。ですがベンガヴァルでは遠すぎるので……」

 シン曹長が説明し終わらないうちにフレミングが問い直す。

「後方搬送って、場所はどこなの? 私、おやっさんのお見舞いに行かなくちゃ……」


「フレミーちゃん!」

 前後の見境を失いかけるフレミングを蜂蜜色ハニーイエロー聖母マザーが、厳しさを癒しヴォイスのオブラートで包んだ口調で窘める。

「フレミーちゃん、気持ちは分かるけど今はダメよ。フレミーちゃんは中隊長さんなんだから、今は何をしなければならないのか、分かるわよね?」

 金髪ブロンド水色ライトブルーも心配そうな目をしてフレミングを見つめている。そのことに気づいて我を取り戻したフレミングが小隊メンバールームメイトに礼を述べる。

「トリチェリ先輩、ありがとうございます。それに、キルヒーもケプラーも……今は……」

 フレミングは中隊メンバー7人に向き直り、改めて口を開く。

「みんな、心配してくれてありがとう。でも、いつまた敵襲があるかも分からないから、いつでも上がれるように準備しておいて。それから、戦闘後だけに、整備は念入りにね」


 その時、格納庫ハンガー内のスピーカから、フレミング中隊の呼び出しを命じる音声が鳴り響いた。

「発、中部防衛航空軍団司令官パルティル、000Wトリプルゼロウィングフレミング中隊8名に告ぐ。本1200時、第一種礼装にて司令官室へ出頭せよ」

 1200時であれば、シャワーを浴びてから礼装に着替えることもできよう。内心少しほっとしたフレミングをよそに、瞬間湯沸かし器ボイラーがはしゃぎ声を挙げる。

「第一種礼装だってよ、中隊長。アタシら、昇進かなぁ、それとも勲章かぁ?」

 とてもそのような気にはなれないフレミングであった。

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