第3章:第二次攻撃

第23話:ゴマだってロトだって猫だって……

 朝、ふと目を覚ましたキルヒホッフが枕元の時計を見やる。午前6時を少し回ったところであった。「あと30分もしない内に起床ラッパに起こされるのでしょうね」などと微睡みの中で思案していると、中部防衛航空軍団ベンガヴァル基地全域に緊急を告げるサイレンの音が響き渡った。慌てて飛び起きたキルヒホッフは、2段ベッドの上段で寝ている赤髪マルーンの親友を気に掛ける。何しろフレミングは寝坊の常習犯であり、お陰で第18小隊は何度も滑走路ダッシュをやらされる破目になったものだった。ハシゴに足をかけ上段を覗き込むと、そこには既にパジャマを脱ぎ始めている中隊長の姿があった。

「おはよう、キルヒー。急いで支度しなくちゃね」

 言うや否やベッドから飛び降りると、フレミングはパイロットスーツを着込み始める。このところ、このような事態を想定して常にパイロットスーツを着用あるいは手元に用意している操縦士パイロット達である。既に他の小隊メンバールームメイトも起き出して着替えを始めていた。着替え終わった4人はそれぞれヘルメットを片手に寮舎レジデンス203号室を飛び出してD-12格納庫ハンガーに向かう。情報収集インフォメーション作戦確認ブリーフィングは機上で行うことになりそうだ。


「お嬢、ちゃんと眠れたか?」

 4人のパイロットが格納庫ハンガーに飛び込むと、奥から野太い声が響いてきた。

「うん、ありがとう、おやっさん。みんなも」

 先の奇襲攻撃以来、いつあるかも知れぬ緊急発進に備えて分隊整備士メカニック達は交代で直に当たっている。AMF-75Aもホットスタンバイの状態を維持しており、これらの監視監督のために、おやっさんもこのところはずっと格納庫で寝泊りしているらしい。そのことに心を痛めたフレミングは「じゃぁ、私も格納庫ココで寝泊りする」と申し出たところ、「機体整備コレはオレらの仕事で、操縦士パイロットは寝るのが仕事だ」と言われて格納庫ハンガーを追い出されてしまった。今こうして緊急サイレンの発報から直ちに離陸準備に入れるのも、彼ら整備士メカニック達の不断の整備サポートのお陰なのだ。そのことの分かるフレミングは、クルーひとりひとりに直接礼を述べたい気分なのではあるが、今はそのようなことの叶う時宜ではない。

「おぅ。お嬢も早くコクピットに上がれ。ブリーフィングはそこでやるぞ」

 発進前外観目視検査の手順は省略オミットし、手早くヘルメットを被ると、コクピット左側に降ろされたタラップを駆け上る。シートに着座してハーネスを締めたフレミングがコクピットのモニター類を素早く確認すると、おやっさんもタラップを上ってきて顔をコクピット内に突っ込んでくる。


 AMF-75Aのコクピットはいわゆる画面構成型グラス操縦席コクピットである。かつての航空機に汎用されたアナログ式計器類は全て取り除かれ、その代わりにタッチパネル式液晶表示ディスプレイが2段3面に配置されている。上段はアスペクト比1:2の12インチ液晶パネルであり、主に航法表示装置ND(Navigation Display)として利用される。この画面は衛星支援地図表示SAPMシステム(Satellite Assist Position Mapping)と連動しており、地図上に自機や敵機の現在位置と方位、速度を表示するものである。丁度自動車におけるカーナビゲーションシステムと同様のものであるが、目標の何も無い海上を何百マイルも飛行する任務ミッションも想定されているバーラタ航空宇宙軍にあっては、特に重要な表示情報のひとつである。


 下段にはアスペクト比1:1の7.5インチディスプレイが2面横並びに配されている。左側の液晶パネルはレーダー武装表示装置RAD(Rader / Arm Display)であり、文字通りレーダー画像と武装情報を切替表示する。レーダー表示範囲の設定や武装選択はタッチパネル操作あるいは音声入力ヴォイスコマンドにより行うことが可能である。一方の右側液晶パネルは統合機体情報表示装置IAID(Integrated Aircraft Information Display)となっている。これは油圧、燃料、回転数、油温・水温・吸排気温度等のエンジン関連の情報や、気温、対気速度等の環境情報の他、機体各所に異常が生じた場合にはその発生個所と想定される原因、自己修復可能な場合にはその解決案等を表示する。


 これら3面のディスプレイは、パイロットの操作により任意の画面に任意の情報を表示することも可能となっており、仮に1ないし2面のディスプレイが機能不全に陥っても対応可能な安全保障フェイルセーフ設計となっている。また、従来はヘッドアップディスプレイHUDに表示されていた高度、方位、ピッチ角、ロール角、敵機シンボル、照準環等の情報は全周戦術情報表示装置HMDに表示されるため、AMF-75AにヘッドアップディスプレイHUDは存在しない。


 フレミングはまずレーダー武装表示装置RADの表示を『武装』に切り替えて武装状況を確認する。増槽ドロップタンク1、二連装中距離空対空ミサイルAAM2ランチャー6、三連装短距離空対空ミサイルAAM1ランチャー2、翼端二連装短距離空対空ミサイルAAM1ランチャー2が既にセットされているようだ。司令部は大規模な対空迎撃阻止作戦を想定しているのであろうか。AMF-75Aは胴体下に1箇所、翼下に左右合計8箇所の武装懸架装置ハードポイントを備える他、翼端にも左右合計2箇所のランチャーを用意している。ステルス性能を重視して武装を胴体内部ウェポンベイに収納する機体では、これほどの量は搭載できないであろう。ステルスを捨て大翼面積に拘った結果勝ち取った、AMF-75A新型長所ストロングポイントである。

「今日のはブースターじゃないよね?」

 先日の上空退避時には中距離空対空ミサイルAAM2を改修したブースターを懸架していたフレミング機である。

「あぁ……それに実弾だ」

 演習用の模擬弾ではなく実弾である、という当たり前の事実に、改めて戦慄を覚えるフレミングである。そうと知ってかおやっさんが、威勢よく操縦士パイロットの肩を叩く。

「まぁ、せいぜいド派手にぶっ放してこい!」


 次に統合機体情報表示装置IAIDに目を移したフレミングは手早くタッチパネルを操作して機体の自己診断機能セルフチェックを走らせる。無論おやっさんが既にチェックを済ませてくれているはずであり何も心配はしていないフレミングではあるが、

「ごめんね、おやっさん。信じてない訳じゃないけど……」

 しかし自分の命を預ける機体の最終チェックを自分自身で行うことは操縦士パイロットの習性でもあり責務でもある。いざ不具合が発生した時に「おやっさんがチェックしたと思ったのに」などと毒突いても仕方ないであろう。何よりフレミングはおやっさんに誓ったのである。「絶対に死なないから」と。

「当たり前ぇだ、お嬢。最後は自分の責任なんだから、な」


 一通りのチェックを終える頃、格納庫内のスピーカからパルティル中部防衛航空軍団司令官の声が聞こえてきた。

「発、パルティル司令官。第00防衛航空軍クリシュナ隷下各分隊に告げる。本日8月14日0600時、ヴェスターバーラトオーシャンに展開中の敵空母機動艦隊から艦載機多数の発艦を確認。その数およそ600。現在のところ侵攻目標は首都防衛航空軍団ファーリダーバト基地および東方防衛航空軍団バーダリープトラ基地ならびにコルカッタ基地と推定されている」


「数600とは、敵さんもケチったもんだ」

 おやっさんのぼやきにフレミングも内心で同意する。4日前の攻撃は艦載機800に巡航ミサイル多数によるものだったと聞いていた。今回はそれに比べて小規模の攻撃なのだろうか。あるいは巡航ミサイルは使われていないのであろうか。フレミングの疑問に応えるかのように、パルティル司令官が続ける。

「尚、今のところ巡航ミサイルの発射は確認されていない。替わって艦載機による対地攻撃を企図しているものと推測される。観測されている敵機は全てSS-20。このうちの一部が対地攻撃装備であるものと思われるが、現時点でその数は不祥」


 彼らの言葉で『剣』を意味する『シャムシール』からその制式番号が付けられたというSS-20は、パラティア国産の多目的戦闘機SSシリーズの第2世代に当たる現用機である。多目的戦闘機であるとはすなわち同じSS-20が対空任務にも対地任務にも就くことができるということを意味している。600機が発艦したと言う敵機の一部はバーラタの迎撃機を、残りの敵機は航空宇宙軍基地をそれぞれ攻撃目標としていることであろう。尤もレーダー観測網では、敵機の機種を判別することは可能でも、敵機群における対空装備機と対地装備機の割合までは察知しかねるのである。


「開いてみなきゃ分かんねぇ、ってか? 参謀本部の連中も、ったくどんな仕事してんだか……所詮は陸軍アーミー統制コントロールってことか、これも?」

 情報部辺りで敵の戦術について研究でも進めていれば、600の内訳をそれなりに予測するくらいはできるはずである。その程度の予測すらできないとは。陸軍アーミーの背番号を付けた参謀本部将校達は、敵空軍の研究よりも自陸軍のエアカバーに研究の重点を置いているのではないか、という疑念を隠しきれないおやっさんである。尤も、当てずっぽうに適当な予測を出されて困るのは、実際に会敵するパイロット達であるのだ。そうとも思える赤髪マルーンの分隊長は、冗談めかして機付長に言い返す。

「でもさ、おやっさん。結局のところ開いてみなきゃ分からないのは、みんな同じじゃない? ゴマだってロトだって猫だって……」

「おっ、お嬢にしてはちったぁ気の利いたこと言うじゃねぇか。触れてから初めて結果が定まるってか? まぁ確かに、作戦なんて所詮はギャンブル、今ここでぼやいてたって仕方ねぇしな……」

 敵数が前回より減ったとは言え、機数600とは大規模な迎撃戦になりそうである。初陣のひよっこパイロットのくせに意外と落ち着いている様子のフレミングに安堵でもしたのであろうか、口元が綻ぶチャンドール准尉である。


「また、現時点で当基地への出撃命令は下されていない」

 パルティル司令官の発令は続いていた。

「よって、パイロットには一時休憩を許可する。但し格納庫ハンガーに留まり、いつでも出撃できる準備だけは怠らないこと。以上」

 とりあえず、フレミング達は狭いコクピットからは一時的に解放されることになった。とは言え、格納庫ハンガー待機ではあるが……


 機体を降りたフレミングは、同じく地上に戻った小隊メンバーと再会する。

「キルヒー、SS-20ってどんなんだっけ?」

「フレミーは本当に頼もしいというか……」

 あっけらかんとした表情で聞く親友は、恐らく小隊メンバーの緊張を和らげようとしてわざとこんなことを聞いているのだろう。そう想うキルヒホッフが改めてSS-20の特徴について語り始める。

「そうですわね……SS-20はやはり航続距離と射程距離が長いことが最大の特徴ですわ」

 SS-20の特徴は何と言ってもその航続距離と搭載ミサイルの射程距離の長さであろう。増槽ドロップタンクを3つ懸架すれば2,000kmの戦闘行動半径を誇り、射程240kmのTir11中距離対空ミサイルには既に苦杯を舐めさせられたバーラタ軍である。あるいはこの機体は、こちらも射程200km超と言われるTir51対地対艦ミサイルを4本装備すれば対地、対艦任務においても絶大な火力を発揮することが可能だとされている。


 ゆるふわ金髪ブロンドの解説を受けて慈愛溢れる蜂蜜色ハニーイエローが口添えする。

「そうそう、キルヒーちゃんの言う通りよ。ホント困っちゃうのよねぇ~あんなに遠くから射たれたら……」

 唯一、SS-20との会敵経験のあるトリチェリの言には、経験者にしか語れないであろう真実の重みが含まれていた。

「えぇ~、そんなの、どうしたらいいんですか、トリチェリ先輩ぁぃ?」

 くしゃくしゃに顔を歪めて今にも泣きそうな水色ライトブルーの後輩に、聖母マザーが優しく応える。

「ケプラーちゃん、そんなに心配しなくても、きっと大丈夫よ。そうねぇ~、私達の機体の特徴はなぁに?」

 トリチェリが赤髪マルーン金髪ブロンドを交互に見つめる。

「機動性!」

搭載重量ペイロードの大きさですわ」

 2人の回答に満足げな笑みを浮かべたトリチェリ先輩は、今度はケプラーを見ながらゆっくりと話す。

「機動性の高いAMF-75Aこの子たちなら敵ミサイルを回避するのだってAMF-60A旧型よりずっと上手だし、AMF-75Aこの子たちは敵より沢山のミサイルを運べるんだから、敵機を攻撃する前に敵のミサイルを先に迎撃したって、お釣りが来ちゃうわよ、きっと。それに、ね……」

 蜂蜜色ハニーイエロー水色ライトブルーをぎゅっと抱きしめながら、小声でささやく。

「それに、ケプラーちゃんのことは、ファーレンハイトちゃんがいつも見守ってくれてるんだから……でしょ?」


 敵は前回と同じくアウトレンジ攻撃を行ってくるであろう。トリチェリの言う通り、こちらの中距離空対空ミサイルの目標を敵戦闘機ではなく敵ミサイルに指向すれば、こちらの損害は少なくなるのが道理である。但し、こちらも中距離空対空ミサイルを少なからず消失するため、中距離からの敵戦闘機撃墜は望み薄である。互いに中距離ミサイルを射ち尽くした時点で敵が退いてくれれば、まずは当面の勝利と言えよう。一方、それでも敵機が侵攻を続ける場合には、有視界近接戦闘-格闘戦ドッグファイト-にもつれ込むことになろう。その辺りについて、参謀本部ではどのように考えているのであろうか。

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