第2章:2078年8月10日 水曜日

第12話:でも、うちの機付長も負けてないんでしょ!?

 2078年8月10日水曜日。その日も朝から暑い日であった。標高800mの高原地帯にあるベンガヴァルは低緯度地域にある都市としては比較的過ごしやすい方ではあるが、それでも真夏の日中最高気温は時として人間の体温を軽く超える。

「こんな日に滑走路ダッシュなんてやらされたら、まじ死ぬわぁ~」

 桜色SAKURAが未だ課せられていない懲罰に早くもぼやくと、水色ライトブルーが涼し気に同意する。

「フレミングちゃん、今日は大人しくしていてね」

 赤髪マルーンが抗議しようとする機先を制して、親友のゆるふわ金髪ブロンドまで

「フレミー、よろしくお願いしますね」

 などと言い出す始末に、フレミングが周りを見廻しながら確認する。

「えぇ~、でも私の所為ばかりでもないよね~?」

 一呼吸の間の後、4人の笑声が響く。今日も平和な1日になるはずだった。


******************************


 その時、シャギー赤髪マルーンはぼんやりと窓外を眺めていた。今は誰も飛んでいないようだ……アルジュ組の3号学生は、ロックウェル教官の航空力学の講義を受けている。14時34分、突然けたたましいサイレンの音が航空士官学校ベンガヴァル中に響いたかと思うと、パルティル校長から緊急全校放送が入った。


「発 航空士官学校ベンガヴァル校長 バーラタ共和国航空宇宙軍中将 パルティル」

「全候補学生カデット、教官、および全将兵軍属に告げる」

「本日1430時、パラティア教国は我が国に宣戦布告、同時に艦載機多数の発艦および巡航ミサイル多数の射出が観測された。当該ミサイル群の一部は本校にも指向するものと推測されている。本校へのミサイル弾着予想時刻は1500時頃と見込む」


 突然の緊急放送に室内が騒めく中、ロックウェル教官が一喝する。

「落ち着きなさい!まだ校長閣下の訓令中です」

航空士官学校ベンガヴァル校長バーラタ共和国航空宇宙軍中将の権限により、本日1434時を以って航空士官学校ベンガヴァルに有事体制への移行を発令する」

「3号学生は直ちに搭乗の上、乗機を空中退避。各分隊整備士は分隊長機発進に努めた後、退避壕に避難。1号、2号学生は直ちに退避壕に避難。教官達はこれの迅速なる移動を支援せよ。基地警戒部隊は、対空警戒操典マニュアルに基づき迎撃体制に入れ。営繕部隊ならびに衛生部隊は事後の緊急出動あるを想定の上、予めこれに対応のこと」

「尚、3号学生には無線チャンネル1から24までをディジタル自動応答多チャンネル制御MCA無線として開放する。各分隊整備士は設定変更にとりかかえれ」

「以上、各員の健闘と無事を祈る」


 事態が呑み込めず動きの鈍い級友クラスメートを後目に、真っ先に立ち上がったフレミングが親友の金髪ブロンドを促す。

「行こう!キルヒー」

 同時に立ち上がったのは桜色SAKURAの二つ結びであった。落ちこぼれスケジュールド逆境には強い落ち着きが無いのである。

「うちらも行くっしょ、ケプラー」

 第18落ちこぼれ小隊の4人が一斉に廊下に駆け出すのを見て、他の同期生も我先にと立ち上がる。教室のある4階からロッカールームのある1階まで走り抜け、急いでパイロットスーツに身を包む。こんなところでゆっくり着替えなどしていたら、狭いロッカールームで身動きが取れなくなってしまうであろう。スーツのファスナーを締めきらない前に、4人はヘルメットを小脇に飛び出し、そのまま格納庫ハンガーまで再び走り出す。


******************************


 フレミング達第18小隊の格納庫ハンガーは、校舎棟から最も遠い位置にある。校舎棟はユディシュ組の格納庫ハンガー群-こちらは第1滑走路の北辺にある-とビヒム組-こちらは第2滑走路の西辺にある-に囲まれた区域にあるが、アルジュ組の格納庫ハンガー群はビヒム組から第2滑走路を超えたその先、第2滑走路の東辺にあるのだ。更に第18落ちこぼれ小隊の格納庫はその最北端にある。


 ケプラーとファーレンハイトの愛機が収まるD-11格納庫ハンガーの前で、金髪ブロンド小隊長リーダーが2人にエールを送る。

「ケプラー、ファーレンハイト、ご無事で」

 汗ばんだ額にかかる澄み切った清流のような水色ライトブルーの髪を掻き揚げながら、ケプラーが返答する。

「フレミングちゃんも、キルヒホッフちゃんも……」

「うちらが先で悪いねぇ~、2人とも」

 桜色SAKURAらしい激励に赤髪マルーンらしい愛嬌が返ってくる。

「じゃぁね、ファーレンハイト、ケプラー、また後で!」

 

「おう、お嬢、思ったより早かったじゃねぇか?」

 D-12格納庫ハンガーに飛び込んだフレミングを、いつものおやっさんの野太い声が、いつものおやっさんらしくない優しさで迎える。

「うん、そりゃまぁ、滑走路ダッシュは得意だし!」

「はっはっはっ、そりゃ違いねぇ。日頃の鍛錬の賜物ってか?」

「そうそう、伊達に普段から怒られてる訳じゃないのよ」

 いつもの軽口を言いながらフレミングは息を整える。その様子を確認した後、おやっさんが常にはない重い口調で切り出した。


「で、聞いたな? 校長閣下の放送」

「うん。パラティアがミサイル攻撃を開始したって……でも、何で?」

「お嬢、理由なんざぁ生き残ってから考えりゃいい。今はまず、生き残ることだけ考えろ」

 おやっさんの真剣な物言いに気の引き締まる思いのするフレミングは、ただおやっさんの目だけを見返した。

「それでまず、だ。お嬢は一応分隊長ってことになってるが、それは卒業して少尉任官したら、って前提だ」

「うん」

「で、今は准尉待遇な訳だが、オレも准尉で階級は同じだろ。だから、今は先任であるオレの命令を聞いてもらうぞ……」

 全く異のないフレミングは、おやっさんに問いかける。

「分かった。おやっさん、命令して」


 第1滑走路からは早くもAMF-75Aが離陸していった。恐らくはイッセキの機体だろう。

「しっかし、さすがに優等生は早ぇなぁ~」

 等と呟くおやっさんに、フレミングは内面の焦りを隠さず詰問する。

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないでしょ、おやっさん。私も早く上がらなきゃ」

 鼻の辺りをこすりながら、おやっさんは落ち着き払った調子で赤髪マルーンを諭す。

「まぁまぁ、お嬢。まずは落ち着けって。これは命令だ」

「命令って言われれば仕方ないけど……」

 不承不承の分隊長に、機付長は事情を説明する。

「まずはよく考えてみろ、お嬢。弾着まであと何分残ってる?」

「20分くらい?」

「で、1分に何機が離陸できると思う?」


 航空士官学校ベンガヴァルの滑走路幅は60mあり本来であれば全幅18mのAMF-75Aは2機同時の編隊フォーメーション離陸テイクオフも可能-現に競技会オリンピアの時にフレミングはイッセキと編隊フォーメーション着陸ランディングをしてみせた-であろうが、生憎ひよっこ達には未だその腕前がない。また、前機が離陸決定速度V1を超えた時点で次機に離陸テイクオフ許可クリアランスが出てもよいはずだが、ひよっこ相手の管制官は前機の離陸を確認してからでないと次機に許可を与えていないようだ。つまりはせいぜい1分当り1機というところであろうか。

「ここには滑走路が2本あることを考えても……せいぜい1分に2機くらい?」

「そうだ。で、お嬢の同期は何人いる?」

「72人……ってことは、えぇ~、30人位は離陸しない前に弾着しちゃうじゃん」

「ま、そういうこった」


「じゃぁ、尚更早く上がんなきゃ!」

「だから、まずは落ち着けって。よく考えてみろ。今から行っても、もう遅いだろ? 落ちこぼれスケジュールド小隊ってのは、こういう時は不利だよなぁ~」

 発進の順番まで予定されている訳ではなかろうが、確かに滑走路に繋がる誘導路タクシーは、既に同期のAMF-75Aで大混雑中である。今からフレミング機が出て行っても、恐らく最初の40機には入れまい。

「それに、今上がっていった機体を見てみろ。全く、あそこの機付長は何考えてやがんだ」

 どこの誰とも分からない整備士に毒づくおやっさんに、フレミングはそのまま疑問を投げかける。

「えっ、どういうこと?」

「今の機体、増槽ドロップタンク吊るしてなかったろ……? お嬢、仮に滑走路が被弾したら、復旧までどれくらいかかると思う?」

「3,4時間くらい?」

「まぁ、早けりゃな……アスファルトが乾く時間まで考慮すれば、普通は7,8時間ってとこだろ。ところで、増槽ドロップタンクなしでお嬢はどんくらい飛べる?」

「コンフォーマル一杯で巡航……せいぜい3,4時間かな? あっ、じゃぁガス欠になっちゃうじゃん」

「自分のパイロットに片道切符を持たせるなんざぁ、どんな野郎だ、ったく……」

 フレミングにもおやっさんの言いたいことがだんだんと分かってきた。

「じゃぁ、イッセキの機付長は結構優秀ってことだね?」

 あの短時間できちんとパイロットを空に上げることができたのだから、余程普段からの準備が整えられているのであろう。

「でも、うちの機付長も負けてないんでしょ!?」


「まぁ、秘策はあるがその前に……いいか、お嬢。よく覚えておけ。お嬢の機体には増槽ドロップタンク込みで8時間は飛べるだけの燃料を積んである。だから離陸後、6時間は航空士官学校ベンガヴァル上空で待機しておけ。その間には被害状況やら復旧状況も分かるだろうから、滑走路が復旧するまで燃料が保ちそうならそのまま上空待機。難しそうであれば、他の基地や飛行場への避難を決断しろ」

「それから、仮に各基地飛行場も被害にあって降りられそうになかったら、最後はベンガヴァル北東100kmの地点に移動しろ。高速ハイウェイ287にはあの辺りで、3kmの直線区間がある。お嬢ならそこに降りられるだろう。戦術コンピュータにも座標データは入れてあるから、いざとなったらそいつを参照しろ。そうそう、一応ドラグシュートもつけてあるから、最後はそれな」


 ただ目の前の状況に慌てて上がってみたところで、降りられなければ樹の上でニャーニャー鳴き喚くだけの子猫と変わらない。降りる算段まで既につけてあるおやっさんの対応に、フレミングは内心の焦りが霧消していくのを感じていた。

「あぁ、それから……できるだけ軽くするために全ての武装は外してある。翼端ランチャーは当然のこと、機銃弾すらな。仮に敵機が襲来しても、間違っても戦闘なんかはすんなよ!」

「分かった。でも、そんなに長時間のフライトは初めてなんだけど……その……お手洗い……とかはどうすればいいの?」


 赤髪マルーンには珍しく、照れたような顔つきで小声で訊ねる。21歳の乙女らしい素朴で素直な疑問に、38歳のエンジニアはこともなげに答える。

「そんなの、その場で垂れ流しに決まってんだろ、お嬢。パイロットってのはなぁ、オレ達整備士メカニックにシートの清掃までさせて初めて一人前って呼ばれるようになるんだ。分かったか! ひよっこ!」

「……うん、でも……」

「まぁ、間違ってもトイレが怖くて給水を我慢するなんてことは、するんじゃぁねぇぞ。体内の水分が不足すりゃぁ、手足も痺れてくるし、正確な判断もできなくなるもんだからな」

 しばしの戸惑いの後、フレミングが謝意を口にする。

「ありがとう、おやっさん。お陰で何をしなきゃいけないか、分かってきた……」

「おぅ、あとはお嬢の腕だが、そこんとこはオレぁ何も心配してねぇから、まぁ安心して飛んできな」

「分かった。でも……秘策って?」


 おやっさんは機体の方を振り返ってフレミングに説明する。

「まぁ、アレだ」

 機体には2連装中距離空対空ミサイルAAM2ランチャーが4基吊り下げられていた。

「おやっさん、さっき武装は外したって……」

「あれはな、オレとネルが共同で開発したAMF-75A専用ロケットブースターだ。要は、離陸時の加速を強化する魔法マジック道具アイテムってとこだな。あれがありゃ、出力ミリタリーでも離陸には200mもありゃ充分だろう。尤もGはキツイがぁ、まぁお嬢なら大丈夫だろ!」

 つまりおやっさんとネル隊長は、中距離空対空ミサイルAAM2から信管と弾頭を取り外し、8基のミサイルのロケットエンジンを同調制御して、一時的なAMF-75Aの推進力として利用するような改修を施していたのである。

「でも、滑走路はもう一杯だよ?どこから上がるの?」

「そこだ、そこよ、お嬢」

 おやっさんはそう言って格納庫ハンガー入口の方を指さす。

「えぇっ! もしかして、エプロン??」

「あぁ、だから他の機体が全部出払うのを待ってたんだ」


 おやっさんはとんでも無いことを言いだした。誘導路に並設されている格納庫ハンガー群の前には、エプロンと呼ばれる誘導路への取り付き路がある。無論エプロンも舗装されていて、格納庫ハンガーの並びに従って直線的に敷設されてはいるのだが……

「既に、校長閣下の許可は取ってある」

 とおやっさんはことも無げに言い放った。そう言えばおやっさんは、AMF-75Aの運用についてパルティル校長に何やら技術面から意見具申しているとは聞いていた。この中距離空対空ミサイルAAM2の現地改修ブースターも、そのひとつなのであろうか。

「だから、お嬢は安心して上がりゃぁいい。何ぁに、このブースターを使ったところで、滑走路ダッシュの懲罰は受けねぇだろって」

「いや、だからそうじゃなくって!」

「お嬢。こいつぁ未試験アンテステッド一発勝負ワンメイク試作品プロトタイプだが、やっぱり怖いか?」

「ううん、そんなことは無い。私はおやっさんの腕を信じてるし……それに、前に約束したでしょ? 『私は死なない』って」

 明るく答えるフレミングに、おやっさんが珍しく言い淀む。

「あぁ、そう、そうだったな……」

「それと……すまねぇな、お嬢。第18小隊全員分のブースターは用意できなかった。オレらができたのは、お嬢の分とヒメさんの分だけだ……もっと時間がありゃぁ……」


 恐らく、日頃から情報交換を重ね互いの担当機のセッティングを知り尽くしているおやっさんとネル隊長だからこそ、この短時間でブースターをセットできたのであろう。問題の本質はブースターの用意ではなく機体セッティングにあるのだ。初見のケプラー機とファーレンハイト機で運用可能にするための時間が、今は圧倒的に足りなかった。それに先方の機付長とて、この緊急時に得体のしれない現地改修の試作品プロトタイプを導入している余裕などは無かったであろう。そのことの分かるフレミングは、ただこうとだけ答えた。

「ケプラーもファーレンハイトも大丈夫だよ。落ちこぼれ小隊私達は『退学がドロップアウト イズ予定されているスケジュールド』とは言われても『戦死がKIA イズ予定されているスケジュールド』訳じゃないもん」


 赤髪マルーンの力強い宣言に「退学ドロップアウト イズしちゃまずいだろ」と内心で思いつつ、おやっさんは格納庫ハンガーの向こう側に声をかける。

「おぅ、ネル。そっちの様子はどうだ?」

 ネル隊長が両手で大きな丸印を作るのを確認したおやっさんは再びフレミングに向き直り、最後の命令を与える。

「じゃぁ、お嬢。そろそろ搭乗だ。ブースターの点火時間は約1分。ブースターが停止したらすぐに分離パージしろ。上空に上がったら希薄燃焼リーンバーンモード、航空士官学校ベンガヴァル東方20km高度15,000フィート地点で南北方向に8の字旋回エンドレスエイトだ。これなら敵ミサイルから退避しつつ状況を確認できるだろう。また、オレ達との交信用にチャンネル27を開けておけ。これは校長閣下にも許可を頂いてある第18小隊専用の回線だ。復唱」

「ブースター点火時間は1分、停止後は速やかにパージ。航空士官学校ベンガヴァル東方20km高度15,000、希薄燃焼リーンバーンモードで南北にエンドレスエイト。第18小隊専用交信チャネル27を開放」


 命令を反復確認する赤髪マルーンに機付長が付け加える

「最後に、機体が安定したら主武装マスターアームスイッチをオンにすること、復唱」

「機体安定の後、主武装マスターアームスイッチオン」

 繰り返しながら「武装は全て外したなずのなに、なぜ主武装マスターアームスイッチをオンにしろなんて言うんだろ」と疑問に思ったフレミングではあるが、「きっとおやっさんには何か別の理由があるんでしょ」と思い直し、シャトーワインのような深みのある赤髪マルーンのシャギーを軽く揺らした。

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