風紀委員長 蜂須賀翔吾 その③

 風紀委員は校舎の誰も使わなくなった視聴覚室を根城にしていた。校舎の奥まったところにある一室に、風紀委員長の蜂須賀翔吾は一人で立っていた。

 蜂須賀翔吾は深く腰を落として微動だにせず立っている。中国拳法の馬歩の姿勢だ。見た目と違いかなりの負荷があり、一分間立っているだけでもかなり難しい。

 この馬歩を蜂須賀翔吾は30分以上続けていた。そこへ扉が開く。

「いきなり入って大丈夫なのかよ。」

「平気よ、たぶん。鬼がいるわけじゃないし。」

 男女の声が聞こえる。蜂須賀翔吾はそれを無視して馬歩を続けた。

「いきなりすいません。失礼します。」

「あの、蜂須賀翔吾さんですか。」

 妙に息の合った二人だ。と、蜂須賀翔吾は思った。それに男女二人組で自分に尋ねてくる人も珍しい。たいていは男で組んでやってくる。それも怒声を上げて入ってくるものだ。

「俺に何か用事か?」

 蜂須賀翔吾は馬歩をやめて彼らに尋ねた。

「実は第二文芸部の人間でして。あの単刀直入に聞きます。蜂須賀さんが第二文芸部を潰そうとしているのは本当なんですか?」

「誰が言っているんだ、そんなデマを。」

「渡部先生ですよ。僕が直接本人から聞きました。」

「あの人も何を考えているのかわからないな。」

「まったくです。」

 話している男、三野瀬大地は心底共感したような表情を見せた。こいつが渡部先生の言う三野瀬大地か。何か格闘技をやっているようには見えない。覇気もない。喧嘩の経験すらほとんどないだろう。蜂須賀翔吾はそう考えていた。

「第二文芸部を潰すつもりはもちろんない。ただ、三野瀬大地。お前には少し興味がある。」

「なんですと!?」

「お前は渡部先生の弟子なんだろ?本人がそう言っていたぞ。ならば多少はできるのだろう。だから、興味がある。」

「それは誤解です。渡部先生の狂言ですよ。もと文芸部だからそう言ったんですよ。本を読むためならば人すら殺す、あんな変人と並べられるような人間ではありません。」

「試せばわかることだ。」

 蜂須賀翔吾はそう告げると構えをとって三野瀬大地に向き合った。糸で頭を釣ったように背筋を伸ばし軽く膝を曲げて左手を前に掲げている。無極勢という構えだ。

 三野瀬大地は明らかに混乱している表情をしている。蜂須賀翔吾は彼が覚悟を決めるまで待つ。

「誤解だと言ったでしょう。見ての通り、僕は文系で運動なんてからっきしですよ。基本、ヘタレ男なんです。」

「言葉はいらない。俺はそんなに頭はよくない。いつも拳で語り合ってきた。」

「そんなこと、僕には関係ないでしょ。」

 三野瀬大地の言う通りなのだろう。蜂須賀翔吾もそう感じていた。しかし、あの渡部先生が弟子だと公言したのだ。己を倒したあの先生が。それが気になり構えを解くことはしなかった。

「大地、逃げないの?」

 隣の女が余計なことを言う。

「逃げ出したら第二文芸部は潰す。」

 蜂須賀翔吾は宣言した。

「僕は別に潰してもらっても良いんですが。」

「え!?駄目だよ。がんばれ、大地。」

「おまえが潰しても良いってさっき言ったじゃないか。」

 二人が言い合いを始めた。三野瀬大地は一向に攻めてくる気配を見せない。

「来ないならこっちから行くぞ。」

「ちょっと待って。わかったから。もう少し待って。」

 三野瀬大地はそういうと隣の女に向き合った。

「病院とか保健室への連絡は頼む。」

「任せといて。」

 三野瀬大地は女に告げると蜂須賀翔吾に向かって歩き出した。

 普通に歩いてくる。間合いをはかるつもりもないのだろう。できるとも思えない。蜂須賀翔吾は間合いに入った瞬間にいつもの中段突きを放つつもりでいた。

 三野瀬大地は間合いに入っても関係なく歩いて近づいてきた。歩いて振り上げた手をそのまま伸ばして蜂須賀翔吾の右肩をついてきた。

 蜂須賀翔吾は三野瀬大地が間合いに入った瞬間に殴ろうとした。しかし、三野瀬大地の手の方が早く自分の肩を押された。それだけではない。拳を放とうとした勢いが行き場を失い、態勢を崩し片膝をついてしまった。その隙に三野瀬大地は距離を置いた。

「何をしたんだ?」

「空手だよ。見様見真似というか見たこともないけど。」

「空手をやってる奴を相手にしたことがあるがこんなことは経験がない。」

「僕もできるとは思わなかった。ハッタリだよ。百回やってもたぶん一度も成功しない。それがたまたま今できたんだ。」

「信じられないな。」

 蜂須賀翔吾は三野瀬大地を観察した。やはり彼の言う通り、最初の印象と違いはない。たぶん続ければ自分が勝つのだろう。

「すごいね、大地。まさかだよ。こんなことができるなんて。」

「偶然だよ。今も言ったけど。」

 三野瀬大地はそう言いながら肩で息をしていた。彼にとってはギリギリのやり取りだったのだろう。言葉に嘘はなさそうだ。

「それで、第二文芸部はどうなるんですか?」

 女が聞いてきた。

「始めから言ったように第二文芸部を潰すつもりはない。」

「それじゃもう用事はないです。お騒がせしました。失礼します。」

 三野瀬大地はそう言って視聴覚室を後にしようとした。それを蜂須賀翔吾は止めた。

「待て。お前と同じようなことができる人間を知っている。柔道部の武田惣角だ。俺はあいつに勝ってみたい。もう少し話をしないか。」

「そうは言っても僕は格闘技はからっきしですし。」

「その言葉は信じられん。」

 襟を掴まれた三野瀬大地は逃げられなかった。蜂須賀翔吾の気がすむまで三野瀬大地は帰ることができなかった。

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