第二章 第一話:居場所

 遠いところで誰かの声が聞こえた。闇に抱かれる感覚が心地よく、どうしても反応してやる気になれなかった。今度は肩を叩かれた。段々と力が強くなる。体が揺れるほど何度もしつこく叩かれ、ついに頭を叩かれると、耐えられなくなったトレイシーは起き上がって犯人を睨みつける。

「何度も叩いてんじゃねーよ!うざいんだよ!」

 肩に置かれた手を弾きながら怒鳴った。そこには額に皺を寄せた知らない年増の女がいた。女が甲高い声で怒鳴る。

「何を言ってるの!もう起床時間はとっくに過ぎてるよ!まったく、新入りだからって甘えてんじゃないよ!さあ、さっさと起きな!」

 女はトレイシーの下に敷かれていたベッドシーツをはぎ取り、トレイシーを床に転がした。トレイシーは女に殴りかかろうとして、自分の拳が目に入った。何度も殴ったことがよく分かる、分厚い拳。途端に浴びせられた罵声が、白昼夢のようにフラッシュバックする。トレイシーが頭を抱えてしまったのに気付いて、女が困惑していた。

「え、どうしたの?頭でも打った?大丈夫?痛い目に合わせる気はなかったの。血とか出てない?」

 女が焦ったようにまくしたてる。不快な音にいら立ち、うっぷん晴らしに次こそ殴ろうと拳を握った時、部屋の外からお気楽な声が聞こえた。

「あれ、起きてるじゃん、少年。それにレイラさんもこの部屋にいるし。あっもしかして掃除しに来ちゃった?」

 髭を蓄えた背の低い男がそこにいた。がたいが良く、肩幅はかなり広い。見た目とは裏腹に、調子はずれな間抜けな声だった。

「あれ、クインさん。なんでわざわざ新入りの部屋なんかに。この新入りが寝坊したから?」

「もー、名字で呼ばないでって何回も言ってるでしょ。あのねレイラさん、こいつは”まだ”新入りじゃないの。」

 クインと呼ばれた男はトレイシーに一瞬だけ目配せし、女の手を引いて部屋の外に連れて行った。なにやらコソコソと話しているが、声が大きいせいで全て筒抜けだった。

「あいつは屠殺者に襲撃された村の生き残りなんだよ。しかも一人だけの生き残り。いまナーバスだから、あんまり刺激しないでやってくれよ。」

 トレイシーは思い出した。炎に包まれた村と血に塗れた肉。形の崩れたリタの屋敷と、ぐちゃぐちゃに崩れた母の体。辛うじて分かった母の服を形見として腕に巻きつけて戦い、そのあとどうなったか覚えていなかった。部屋の片隅にはあの時に巻いた布片が、洗濯されて転がっていた。どうやったのか、血や肉はきれいに取られていた。トレイシーは手に巻き付ける。

「それならなんでこんなところで寝てるのさ。まだ子供なんだから、どっかの祭司にでも預ければいいのに。」

「それがそういうわけにもいかないんだよね。あいつには才能がある。国的にも、俺たち的にもここにいてもらわないと困っちゃうんだ。」

「ありゃそうなの。まあいいわ。また今度ここに来るわ。」

 スリッパをぱたぱたと鳴らしながら、年増女が歩く音が聞こえた。音が遠ざかると、男がゆっくりと部屋に入り、様子を窺うようにトレイシーを見た。トレイシーは男を睨みつける。

「村に生き残りは?」

 トレイシーは分かり切ったことを聞いた。男は少し迷ってから口を動かす。こちらに気を遣うように声のトーンを落としたが、どこか演技のように見えた。

「あー、今は別の話をしようよ。俺はレイモンド・クイン。レイモンドと呼んでくれ。」

「……あんた声がでかいんだよ。全部聞こえた。村に生き残りは俺以外にいなくて、俺は一人なんだろ。」

 レイモンドはわざとらしく目を開いて、おどけるような口調になった。

「えー聞こえてたのか。君、人が悪いねー。そうなんだよ。君の村に生き残りはいなかった。全部ぐちゃぐちゃで人数も分からないし、ミンチにされたせいでひとりひとり弔ってやることもできない。でもそんな地獄絵図のなか、君は生き延びた。」

「俺に才能があるから?」

 間髪入れずにトレイシーは言った。レイモンドが歪むような笑みを浮かべた。

「そう。君には特別な力がある。君、村の人間に嫌われてたろ。」

「——その話に何の関係があるんだよ。」

 トレイシーは自分の声が聞いたことないほど低いことに驚いた。レイモンドの顔が少し引きつるのが見えた。しかしその顔はすぐに調子を取り戻した。

「力のある人間は他人からの理解を得られにくい。ああいうところではそれが顕著さ。君の境遇はここでは特別悲惨なわけじゃない。安心していい。仲間はたくさんいるよ。ここは君のように才能のある人間が集まっている組織だ。君にはここで活躍してもらいたい。というか、国の政策で君に選択権はないんだけどね。」

 トレイシーの表情は曇るばかりだった。

「俺は仲間とか友達とかはいらない。才能があるんだろ?なら俺はそれだけでいい。」

「孤高の戦士?一匹狼?かっこいいね。」

「そんなんじゃない。」

「ま、なんでもいいよ。死にかければ仲間の尊さも分かる。……でも死んだら困るから、死なないでね。」

「仲間はいらない。あんたらの組織に入ってやるつもりもない。俺はやることがあるんだ。」

「それはなにかな?」

 トレイシーはなにも答えなかった。不思議そうな表情をレイモンドがしていたが、トレイシーはなおも無言を貫いた。

「まあいいさ。君は俺たちの組織に入る。これは決定事項だ。逃げても追手が君を追いかける。君は君の力を使って、ここで存分に活躍してくれよ。活躍を楽しみにしているよ。もうすでに手続きも済んでるから、今日はここの紹介をするよ。」

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カムザネ 北里有李 @Kitasato_Yuri

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