《遠く眩しい日々》

 カメルアの王立学院は国家に尽くす事を目的とする若者なら、才能さえあれば、身分を厭わず入学できる。


 ……というのは建前であって、やはり貴族の出の生徒は優遇されるし、平民出自の生徒はそれなりの待遇を受けるのは、いつの世でもどこでも同様である。


 が、カメルアの場合、一番力があり恐れられていた出自の者は、実は貴族でも平民でも、ましてや王族ですらなかったのを、生徒たちは暗に知っていた。


 それは「王立慈悲院」出自の生徒たちである。

 慈悲院。

 世で言う孤児院である。


 だが「王立慈悲院」はカメルアの孤児院のに立つ孤児院である。

 カメルア中の孤児たちから、才気あふれる子どもたちだけが集められ、英才教育を施されるとともに、国への忠誠心を徹底的にたたき込まれる施設。

 それがいわゆる慈悲院であったのである。


 そして、慈悲院の生徒たちが恐れられていたのは、その才能と優秀さだけではなく、王室への忠誠を怠る生徒がいないか、常に徒党を組んで学友たちを見張っていた、という現実ゆえであった。


 集団となった彼らはめざとく、忠誠心の薄そうな生徒を見つけては、教師に報告し、また、自ら「制裁」と名付けた私刑リンチを目当ての生徒にふるうこともあった。よって彼らは、若者の学院生活における、陰の実力者であり、権力者であった。


 だが、ザルツは慈悲院出身ながら、そのなかでは相当浮いていた。

 彼もたしかに、その出自らしく忠誠心厚い少年であったが、ただ、集団に属するのを好まず、親しい友人は、貧乏貴族出身の、何故か気のあった級友セダイくらいのものであり、徒党を組む友人たちとは一線を画していた。

 セダイはそんなザルツのを好んで、何時も共にいたものの、反面、そんなザルツが徒党の標的にならないか、ひそかに、危ぶんでいてもいた。



「ザルツ、大丈夫か?」


「いいんだ、俺は。気ままにしていたいんだ。あまり群れるのは……慈悲院にいた頃から性に合わなくてな」


「ならよいが。まあ、お前は剣の腕も立つし、喧嘩も上々だ。なにかあってもお前なら平気と俺は思ってはいるが」


「まあな。でも剣の腕はお前には負けるがな。学年一の剣の使い手だというのに、セダイ、お前は本当に医官課程を進むのか?」


「ああ、俺は人を殺めるより、助ける方が、好きだ。それにその方が女にも、だしな」


 ザルツは思わず友の言葉に苦笑した。

 といっても、セダイは格別に女好きというわけではない。彼のその台詞は、貧乏な実家からの「王都で少しでも上級貴族の娘を捕まえてこい」という懇願を背負っての学院入学、というやむにやまれぬ事情があってのものである。そして勿論ザルツもそのことは承知していた。


 ……春から、武官課程と医官課程に授業は分かれる。

 なので、ザルツとセダイは、共に同じ学舎に居られるのも、あと僅かと知っていた。

 だからこそ、カメルアの厳しい冬の季節、寮の暖炉の前でかじかむ手を温めながら、ふたりにとって、そんな軽口を叩く瞬間は貴重かつ格別のものだった。



 そんな冬の終わり、ちょっとした波乱が王立学院で起こった。


 学院にて、各学年の成績が発表がなされたのであったが、ザルツとセダイの四つ年上であった最上級生の武官課程における首席が平民出身者であったのだ。

 その名はアーノルド。数年に一度の天才と呼ばれた頭脳と剣の腕の持ち主として知られる青年である。だが、彼は平民も平民、その最底辺に位置する農民の生まれであったことが、学院に動揺を与えた。これは王室始まって以来の事件であったからだ。

 

 学院に不穏な空気が走る。


 その空気に一番敏感に反応したのが、慈悲院出身者であった。彼らは王室の尊厳が損なわれることを危惧し、詮議の結果、アーノルドを学院の裏に呼び出した挙句、首席を辞退するように迫ったのだ。


 が、呼び出されたアーノルドの返事は、ただ一言、素っ気ないものであった。


「断る」


 ……途端に乱闘が起こった。が、アーノルドの強さは首席だけあって、尋常なものではなく、ひとり、ふたりと次々に慈悲院出身者をにして、悠然とその場から逃げ出した。


 だが、なんとかアーノルドに叩きのめされずにすんだ生徒は激怒して、その後を追いかけはじめた。

 逃げるアーノルド。追う生徒たち。

 そして、いつしかその追跡劇の舞台は、学院の裏庭から、その続きにある城内に移っていた。


「まずいな」


 アーノルドは独り言つ。

 農民出身の彼は、城内の地理に詳しくない。対して、追っ手は、城内で育った生徒たちである。この地の利の差はアーノルドに痛手である。このままでは、城内の隅に追い込まれて、反撃されてしまう。

 そうなったら、いかにアーノルドといえども、多勢に無勢。ひとたまりもない。


 そのとき。


「アーノルド先輩、この茂みに!」


 その声の方を見やれば、脇の庭園の茂みの中から手招きする少年がいる。


「お前は……。たしか慈悲院出身の?」


「そうです、俺はザルツといいます。大丈夫、たしかに俺は慈悲院出身ですが、奴らの仲間じゃない」


「それは助かる」


 アーノルドは茂みの中のザルツの脇に滑り込んだ。途端に追っ手の生徒たちがばたばたと目前を走っていく。やがてその怒号と足音が遠ざかる。

 それを確かめると素早くアーノルドは茂みから出、ザルツに一礼しつつ尋ねた。


「礼を言うぞ、ザルツ。だが何で、俺を助けた?」


「……何で、といわれても、俺はやり方は好きじゃないし、それに先輩のことは、すごい、と前から思っていたので……」


「そうか。お前は純真な奴だな。だがな……。春からは武官課程に進むのか?」


「……はい」


「だったら、肝に銘じとけよ。お前だったら優秀な武官になるだろうがな、軍人はその純粋さが、命取りになることもある」


 アーノルドはそれだけ言うと、茂みの中のザルツを残し、学院の方向に身を翻していった。




「お前は、馬鹿だなあ」


 寮に帰ってきたザルツから、その一部始終を聞いたセダイは開口一番言った。


「俺は、馬鹿なことをしたか?」


「いやな、たしかにお前は正しいことをしたさ。だが、俺は、先輩と同意見だ。なあ、ザルツ。お前、今日のことで奴らに目を付けられて、いつか痛い目にあったらどうするんだ、ってことだよ」


「お前は心配性だな、セダイ」


「……まあ、今日のところは無事でよかった。暫く気をつけろよ」


「大丈夫だ、もう少しで春休みだし。慈悲院に帰らず、俺はここで休みを過ごす。それでやりすごせるさ」


「ならいいが。……でもお前、いいのか? 院に帰らないってことは、お前自慢のあのにも会えないってことだろ?」


「あ、あ……アーリーか? ……そうだな、それをすっかり忘れてた」


 途端に、しゅん、と下を向いたザルツの顔は、その名を口にされて、いささか、赤い。それを見て、セダイはザルツをからかわずにいられなかった。


「ああ、お前やっぱり馬鹿だな! 想い人のことも忘れて。今度いつ会えるか分からないってのに」


「うるさい! アーリーはそんなんじゃない」


「いや、だが、いいもんだね、想い人がいるって。ああ、早く俺も、そういう女を見つけて故郷に錦を飾りたいよ」


「……うるさい!」



 それは遠い眩しい日々。

 ふたりはそれから長い月日のあと、少年時代を愛しく思い出す。


 それぞれの感慨のなか、溢れんばかりの郷愁と、ある種の痛みを胸に抱いて。


                    《遠く眩しい日々》了

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