第二十三話 睦み合ってみよ
昼だというのに薄暗い闇の感触。
微かに聞える水がしたたる音。そして腐臭。
……五感がそれらを感じ取り、意識を回復させたとき、カーサは自分が死んだのだと思った。だが、みぞおちの痺れる鈍痛がそうではないと告げてくる。そこでカーサは全てを思い出し跳ね起きた。そこは牢の中であった、が、意外なことに、手足は自由に動かせる。
そして暗闇に目が慣れてくる頃、カーサは自分の前にひとりの男が倒れており、それが、あれほどまでに想い、恋い焦がれたザルツだと気づいたとき、カーサは驚きとも喜びともつかぬ声を思わず上げた。
「ザルツ!」
だがザルツは返事をしない。瞳をこらしてみれば、衣服は所々裂け、その体は傷だらけであった。それは、長い間に渡る拷問によるものだとカーサは一目で悟った。
固く目は瞑られ、腫れ上がった唇からは苦しげな息が漏れてくる。あの精悍なザルツの変わり果てたその姿に、カーサは思わず悲鳴を上げ、再びその名を叫んだ。
「……ザルツ! しっかりして、ザルツ!」
……私のせいで、こんな目に。
カーサの瞳からじわり涙があふれた。
彼女はその体を起こし、ぎゅっとザルツを抱きしめた。
ザルツが低く呻く。その声から、息遣いから、肌のぬくもりから、ザルツが生きていることに安堵はあったが、痛々しいその姿での再会は、カーサには覚悟していた以上の衝撃であった。カーサは泣き叫んだ。
「ザルツ、ごめんなさい……、私の、私のせいで……!」
その時、ふたりきりかと思っていた仄暗い空間から、ひとりの男の声がした。
「
「誰?!」
カーサは驚きと恐怖のあまり、ザルツを抱き起こしたまま、体を後ずさりさせた。ひやり、冷たい石の壁に背中が触れる。
すると、目の前の見知らぬ豪奢な服を着た男は、薄く笑い、舌なめずりをしながらカーサを見つめ、言った。
「余はお前に息子を殺された者だ……」
「それでは……、あなたは国王陛下」
カーサは、ぞくり、とした。なぜ一国の王が、このような暗く、薄汚い牢に、供も連れずに自分たちと対峙しているのか。
ともあれ、カーサは震えつつも国王にこう言わずにはいられなかった。
「陛下、どうかザルツを自由にしてください。陛下が私たちを夫婦としたなら、私は妻の名において、夫、ザルツの解放を要求します……! それさえ叶えば、私の身はどうなってもかまいません!」
それを聞いて、サレス二世は、けらけらと声高く笑った。
そして、次に高く舌打ちしながら、甲高く叫んだ。
「まったく、お前たちには苛々させられるな……! ここぞ、とばかりに、余には持たざるものを見せつけおって!」
その苛立ちこそは、ザルツなら理解できたであろう、愛されざるものの嫉妬であった。だが、カーサは、その言葉の意味を知るよしもない。
「まあいい、カーサとやら、ならば、この場で、余に、お前たちが夫婦だと証明してみよ」
「え……?」
「察しが悪いな。つまりは余の目の前で、今、睦み合ってみよ、と申しておるのだ」
カーサはその悪趣味極まりない要求に、背筋に猛烈な悪寒が走るのを感じ、思わずこう呟かずに居られなかった。
「狂っているわ……」
「王とは、時に狂いでもしないとやっていられない身分であってな……。だが、それが出来ぬようならお前たちに、用はない。余は、この余興を楽しみに、ザルツを生かしておいたのだからな。……さぁ! ザルツよ、お前はどうする? 余の命を聞かねば、この小娘の命もないぞ!」
その王の、呼びかけにザルツは薄く目を開けた。
そして、焦点の定まらぬ目でカーサを認めると、ザルツはそれまで見たこと無い柔和な表情で、かすかに微笑んだ。
あるいは、カーサでなく他の誰かをそこに見出したのかも知れない。
……そう、自分が殺したあの少女の姿を。
ザルツは微かな笑みを浮かべたまま、カーサの肩に手を回し、その身を抱き寄せた。そしてそのままの姿勢で、がくり、と頭を垂れ、再び意識を失った。
「ザルツ……」
カーサは、再び崩れ落ちようとするザルツの体を支えながら、その名を囁いた。
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