第六章 それぞれの決戦
第二十一話 天幕の中で
昼とは打って変わった涼しい風が吹く、カメルアの夏の夜である。
松明に照らされた叛乱軍の司令部の天幕のなか、アーノルドとカーサはふたりきりで向かい合っていた。
「……そうであったか、そなたがマグナラリレに戻ったいきさつは……」
アーノルドはカーサに茶を差し出した。
アーノルドはカーサの告白を聞いている間、沈黙を守っていたが、一部始終を耳に入れ終わると、深い嘆息を吐き、ただそう呟いた。
「……はい」
カーサは茶器を受け取り、口につけた。カメルア流に淹れられた茶の懐かしい味が、ことのほか心に染み入る。アーノルドも器を手にすると、茶を一気に飲み干し、ただ一言、ぽつり、と呟いた。
「奴らしい……」
虫の声が天幕を通して響いてくる。
「すみません、私のせいでザルツを……、罪に陥れてしまって」
「いや……。そなたを責める気にはならぬ。そなたがカメルアに来た経緯を考えれば、それはできぬよ」
カーサは、茶の入った器を手にしつつ、一番気になることをアーノルドに尋ねた。
「ザルツは……、やはり私を逃がした罪に問われているのでしょうか」
「たぶんな。宮廷武官たちがザルツの芝居を見破れないとは思えん」
……やはり。カーサは上着の裾をぎゅっと握って息を飲み込んだ。
だとしたら、ザルツは無事なのだろうか。カーサはザルツの身の上が気が気でない。
アーノルドはそんなカーサの心中を察してか、それまでの厳しい面持ちを少し崩してカーサに向き合った。
「だが……、ザルツが処刑されたとすれば、それは流石に、俺の耳に入るはずなのだ。少人数だが、城内に斥候は放ってあるのでな。だからこれは俺の推測だが、ザルツは少なくとも死んではいないと思う」
カーサはそこで、今まで自分の話しかしてこなかったことに、改めて気が付いた。
「アーノルド准将、そういえば、あなたは、なぜ、叛乱軍の指導者などになっているのですか? 本来なら、先年のように、討伐する立場にあるべき方が?」
アーノルドの顔が、再び少し翳る。そして自嘲気味に薄く笑みを浮かべた。
「……担ぎ出されたのさ。昨年の厳冬、次いで春の洪水。そして夏になってからの食糧不足。いま、民は国王の治世に怒っている。そして俺もそれは同じくでな。それを察した軍の不満分子たちが、王を倒すため俺を担ぎ出したって訳だ」
「そんなことに、カメルアはなっていたのですか……」
カーサは思う。自分は1年この国にいながらも、まったく国内のことには無知であったな、と。
「そなたは軟禁されていたから、知らぬのも無理はない。だが、カメルアの王室による治世はもう限界まで来ている。そもそも、隣国からそなたを掠ってくるような故オルグ殿下の無茶がきいたのも、国政における王族の好き放題あってこそだ。それへの不満は軍内部でも頂点に達しつつあるのさ。それに俺は、農民出身ということもあってな、この現況に黙っていられる立場でもなかったのだよ。いずれにせよ、この国の寿命はそう長くない」
そう話すアーノルドの顔にはやりきれなさが影を落としている。出自からくる国を憂う気持ちと、国に尽くす軍人としての苦悩、彼のなかでは、そのふたつがぶつかりあっている。
「それはそうと、ザルツが心配だ」
カーサはザルツのことに話を戻され、胸を突かれたように言葉を発した。
「アーノルド准将、お願いです。なんとかザルツを助けたいのです。ずっと私を護ってくれたザルツを。力をお貸しいただけませんか?」
「俺もザルツには世話になった身だ。その気持ちはカーサ、そなたと同じだ。しかし、俺は今や、叛乱軍の指導者。一緒に動けば、ザルツの身が却って危なくなる。だが、だからといって、そなたをひとりで王都に向かわせるのは、危険すぎる。が、……カーサ、お前は俺が止めても、向かうのだろう?」
「はい」
カーサは即答した。
国内の不穏な情勢を耳にしても、その気持ちに迷いは、まったくなかった。むしろ早くザルツを助けねばという焦りが心中で色濃くなるばかりだ。
「……だろうな。なら、王都までは俺の部下をふたり、護衛にやろう」
「よいのですか?」
「ああ。だが、共に行けるのは、王都郊外までだ。王都にはカーサ、そなたひとりで入ってくれ。幸い、そなたの馬に付いている王紋は、強力な通行証になるはずだ」
カーサは叫んだ。
「……そこまでしていただければ、十分です! いえ、十分すぎるほどです……! なんと御礼を申し上げればよいか……」
「いいのだよ。むしろそのくらいしか役に立てず、申し訳ないくらいだ」
アーノルドはそんなカーサに、ふっ、と笑みを漏らした。
そして、一呼吸置くと、やさしげな面持ちでカーサの顔をのぞき込んだ。
「カーサ、必ずザルツを助けるのだぞ。そして、今度こそ、良い夫婦になってくれ。俺は、初めて会ったときから、お前たちは似合いだと思っていた」
カーサは赤面した。
そして、赤らめた顔もそのままに力強く頷き、ザルツへの甘く熱い想いを改めて自覚するのであった。
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