第二十話 カーサは駆ける

 カーサの馬は、頭に抱いたカメルア王室の王紋によって、いともあっさりと、マグナラリレからカメルアへの国境を越えようとしていた。

 ただ、国境警備隊の兵士からもたれされた情報は、不穏極まるものであった。


「お嬢さん、ひとりで王都を目指すって言うのかい? そりゃあ危険だ。ここから先、王都への街道沿いの土地の一部で、数日前、叛乱が発生したんだ」


「……叛乱? また、昨年に引き続き、故オルグ殿下の腹心によるものですか?!」


 カーサの背筋は凍る。

 先年の叛乱時、交渉に我が身を使われた時の恐怖をまざまざと思い出し、体に震えが走る。


「それはまだ分からないんだ。首謀者の正体の情報はまだ伝わってこなくてね……。とにかく、運が悪けりゃ、お嬢さん、奴らに捕まって、、になるよ」


 えらいこと。

 兵士は淑女の手前、控えめに表現したが、その意味はカーサには分かり過ぎるほど分かる。

 あぁ、こんなときにザルツがいてくれたら。あの時も、いや、どの時も、ザルツは何時だって自分の身を挺して護ってくれていた。

 今のカーサにはそれが、痛いほど、分かる。


 ……いや、だが、そのザルツの元に向かうのだからこそ、自分は勇気をもって王都に戻らねばならない。

 その決意がカーサの中で、恐怖に打ち勝った。


「ありがとう。心配して下さって。できるだけ目に付かないよう、気をつけて向かうわ」


 カーサはそれだけを兵士に言うと、自らの決意が揺るがぬうちにと、馬に鞭打った。

 幸い、王都への街道は大きな川に沿っており、比較的わかりやすくはある。そして距離も、国境からは半日馬を走らせれば届く近さだ。

 カーサは自分の運を天に託し、馬を飛ばすことにした。

 うまくいけば、半日、あと半日で、またザルツに会えるかも知れないのだ。ああ、早くあの目を、もう一回で良いから見つめ返したい。そして、自分の想いを伝えたい。


 あなたが、好きだと。


 ……だが、ザルツは無事であるのだろうか。

 あのときの傷は、決して浅いものでなかった。


 そして、たとえ傷が癒えていたとしても、わざと自分を逃がしたことが判明してしまえば、罪に問われることになっただろう。あれからもうひと月。それまで考えないようにしていた、ザルツの身の上が、ザルツの現在が、ことさら気に掛かる。


 もう遅いだろうか。自分はもう遅すぎることをしていまいか。無謀でないか。


 カーサは頭を振る。もう、それは考えても詮無きことだ。罪に問われているのなら、なおのこと、自分が戻ることでザルツの身の潔白を証明せねば。

 今できる限りのことを、自分はしなければいけない。カーサはそう考えながら、馬を走らせる。


 だが、手綱を握りつつも、半ばザルツのことに心奪われていたカーサは、はっ、とした。

 行く先から、馬の嘶き、そして剣先の擦れる音が聞こえる。見れば、道の先に、街道を塞ぐように広がる一団の軍勢が見えるではないか。


 ……あれが、叛乱軍?!


 まずい、とカーサは馬を止めた。


 このままでは見つかってしまう……!


 道を変えなければ、そう思い、焦りながらカーサは今来た方向へと、馬を戻らせようと試みた。

 だが、運悪く軍勢には、遠目が効く兵士がいたようである。

 加えて、そこは村と村の狭間にある見晴らしのよい台地である。すぐに、カーサを見とがめ、5騎、兵士を乗せた馬が途端に土埃を上げながら走り寄ってきた。

 カーサの手が震える。なんとか、逃げなければ。

 その一心で、カーサは馬の腹を蹴り、進む方向を転換させようとする。だが、恐怖からかその足には力が入らず、馬はなかなか言うことを聞かない。


 ……気が付けば、カーサはあっけないほど容易に兵士に包囲されていた。


「何者だ?! 何をしている。どこへ行く!」


 語気荒く、兵士のひとりが誰何の声を投げてよこす。カーサは持前の気丈さをなんとか発揮させて、震えながらも精一杯の大きな声で応えた。


「私は王都へ急用があるだけの、旅の者です、どうか道をお通し下さい……!」


 だが兵士たちは馬を降り、わらわらと、剣を光らせながらカーサを馬ごと取り囲む。


「都へ急用だと? 女が供も連れずにひとりで? 怪しいな」


 そしてひとりの兵士が、カーサの馬に目を走らせて叫んだ。

 カーサは、あっ、と息を呑む。だが遅かった。


「王家の紋章が馬の頭に……!」


「お前は、国王軍のスパイか?」


 ……しまった!

 馬の頂に飾られた王紋を外しておくべきだった……。


 そんな馬に乗ったひとり旅の女など、これほど叛乱軍からすれば怪しい者はいないだろう。己の失策に唇を噛む間もなく、途端にカーサは馬から力ずくで引きずり下ろされた。喉元に幾つもの長剣の剣先を突きつけられ、カーサはへなへなと道に崩れ落ちる。手早く、手首に回された縄の感触は、あの夜を思い出させ、カーサの心をいよいよ恐怖へと陥れた。

 そんなカーサを半ば面白がるように、兵士たちは口笛を吹きながらにやにやと視線を投げる。


「この女、どうする。好きにしてもいいのか?」


 すると、兵士の長らしい男が厳しい声で、沸き立つ兵士たちを制する。


「いや、待て、国王軍のスパイなら、まずは尋問が必要だろう。すぐに、将軍のもとに連れて行こう……さあ立て、女! 歩くのだ!」


 囚われの身となったカーサは、兵士に引かれ、囲まれ、埃の舞う道を無理矢理歩かされ、やがて連行されたのは、街道の村はずれに立てられたいくつかの天幕のうち、ひときわ大きなそれだった。兵士がその中に声を投げる。


「将軍! 怪しい女を連行しました」


「よし、入れ」


 恐怖におののきながらも、カーサにはその声が、どこか聞き覚えのあるもののように感じた。


 ……誰だったかしら……。あ、もしかして、この声は……あのときの? 

 いや、でもまさか……?


 困惑しながらカーサは天幕をくぐり、兵士に引かれ足を運ぶ。そしてその声の主を見、思わず息が止った。懐かしい顔がそこにはあり、そして、カーサを見るや彼は驚いて叫んだ。


「カーサ! なぜここに?!」


「……アーノルド准将……!」


 そう、見間違えるはずもなく、そこにいた将軍とは、前回の叛乱時においては討伐軍の長であったアーノルドであった。

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