第十九話 お前を嬲る理由
鞭が振り下ろされる。
二度三度……、やがて数える事もできぬほどの殴打が体の各所に連続する。意識が遠のけば、容赦なくその顔には水が浴びせられ、ちょうど、痛みを感じる程度にまで、その体は無慈悲に、覚醒させられる。その繰り返しが、連日連夜続いた。
「なぜあの女を逃がした……?」
尋問官の冷たい声がその暴力の合間を縫って響く。
ザルツは声にならぬ呻きをただ上げるのみで、答えはしない。天井から鎖に巻かれて宙吊りになった体を苦しげに捻りつつ、次の拷問の開始を待つ。もはや全てを諦めた心持ちで。目を瞑り、やがて再び体中に走る激痛を受け入れる。
だが、抗弁も抵抗もしないそのザルツの態度は、尋問官たちの激情を更にあおった。それまでを超える激しい殴打の指示が飛ぶ。もはや、ザルツはされるがまま、その身をさらなる拷問の嵐に任せることしかできない。
「うぐっ……!」
息をすることもままならぬ痛みの中、ザルツがただ、いま、望むのは、このまま自らの命が絶えることであった。だが、それだけを願いつつも、尋問官たちは致命傷を決してザルツに与えてはくれないのだ。それがこの執拗な暴力の、見えざる陰湿な規則であった。
殺しても、もらえぬのか……。
ザルツは思った以上に頑丈な己の身体を呪わざるを得なかった。精神はすでに、痛み、疲れ、病みきっているというのに。
そんな日々が幾つ続いたか、もはや昼と夜の区別も分からぬほどになった頃、ザルツの牢を秘密裏に訪れたのは、国王サレス二世であった。
「下がれ。余はザルツとふたりきりで話がしたい」
その声にザルツは意識を取り戻し、腫れ上がった目を薄く開いた。
慌てて尋問官たちが頭を垂れ、足早に去って行くのがぼんやりと見える。
やがて、仄暗い牢の中、ふたりきりになったのを確かめると、サレス二世が傷だらけのザルツにゆっくりと声をかけた。
「そう簡単に死ねると思うなよ、ザルツ……」
「陛下……」
「お前がなぜあの小娘を逃がしたかは、余には分かるぞ。同情心もあろう。あの小娘を愛しているのもあろう。だが、お前の一番の狙いは……、死罪になることであろう? アーリーを殺してから、それがお前の望みだったのであろう?」
肩で息をするのに精一杯のザルツは、国王の問いに答えようもない。
そんなザルツをサレス二世は冷ややかに、または面白いものでも見るように眺めている。
「答えがないのは、そう思ってよいのかな、ザルツよ。……まぁいい、だがザルツよ、それは余が許さぬ。なぜだか分かるか?」
ザルツは苦しい息の下から、小さく声を絞り出して、なんとか王の質問に答えた。
「……分かりませぬ……なぜ、これほどまでに、私に、恥辱をお与えに、なり続けるのか……」
「分からぬか? だとしたら、お前は本当に鈍感な奴よのう……」
そこでサレス二世は言葉を切ると、重々しくザルツにその名を告げた。
「お前は、余からアーリーを奪ったからだ」
「陛下……」
「余がアーリーを本気で愛していなかったとでも思っておるのか? 王とて、たった一人の寵姫を、真剣に愛すること、恋い焦がれることがあるのだよ。お前は余が喜んでアーリーを殺したとでも思っておったのか?」
ザルツもかすれた声でその名を呼んだ。愛しいその名を。
「……アーリー……」
「余はお前が憎い。アーリーの心を奪っただけでなく、その命をも、余に奪わせた。余からこの世の愛の全てを、ザルツ、お前が奪ったのだ。これが憎まずにおられようか」
「……だからこれほどまでに私を……貶め、嬲り、苦しめるわけですか……」
「そうだ。それだけならまだ、余も王としての立場において、耐え忍ぶこともできたのだよ。だが、さらにお前は、よりによって、あの小娘を……、オルグを殺した小娘を逃がしおった。……余は最後には背かれたとはいえ、オルグを我が子として愛しておった。仮に、叛逆されたとしても、余はオルグのことが、今でも愛しい。どうだ、意外であろう。だが、不出来な息子であっても、余にはかけがえのない息子であったのだよ」
ゆらり、ゆらり、と鎖に縛られたザルツの頭が揺れる。
「……陛下」
「ザルツよ、お前には分からぬだろう。愛したものに、愛されない哀しみを。王という立場だけで、愛しいものに忌避される空しさを、愛されぬものの悔しさを味わったことが?! ……だから、余はことさらに、お前が憎い! あの小娘が憎い! それゆえ、そう簡単に、自ら死など選ばせるものか! お前たちは、天国でも地獄でもない、この世という煉獄にて永遠に苦しみ抜くべきなのだ……!」
常に穏やかであるサレス二世のその語調に、それまで聞いたことのない激しい怒気が含まれていることに、ザルツはぼんやりとした意識の中でも、慄然とせざるをえなかった。
「……話は、それだけだ。ザルツ、せいぜいこの牢で生き長らえ、
それが国王サレス二世の、ザルツへの最後の言葉であった。
ザルツは倒れかかる体をよじりながら、王の告白を、再び遠ざかる意識の中で反芻し、我が身への深い怒りと憎悪、そして哀しみを、苦く噛みしめるのみであった。
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