第五章 死ぬ決意 生きる決意

第十七話 セダイの怒号

「馬鹿か、お前は!」


 医療院にセダイの怒号が響き渡る。


 ……ザルツが医療院に運び込まれたのはその2日前の夜のことだった。

 城外の森で、ザルツが腹部を刺された状態で見つかった、かなりの出血で危ない状況だ、との一報に、そのとき非番だったセダイは、杞憂がついに現実のものになったかと、慌てて宿舎を飛び出て、医療院に向かった。


 ……遂にカーサが牙をむいたか……。いわんこっちゃない……!


 だが、医療院に到着し、血にまみれ、意識を無くしたザルツを見やり、セダイは、事態は己が抱えていた憂いより、さらに悪いものである事を悟らざるを得なかった。  

 幸いなことに、セダイの部下たちによる応急処置が功を奏して、ザルツは一命を取り留めた。次の日の昼には意識を回復し、出血も治まったのだった、が。


 しかし、セダイは医療院のベッドにひとり横たわるザルツと対面したとき、次いでこう叫ばずにはいられなかったのだ。


「……俺が、刺し傷の見分けが付かないとでも、思ったか!」


 ……そう、セダイはザルツの傷口を見た途端、暗澹たる気持ちが肝を冷やすのを感じた。それは、その傷はカーサの手によるものでなく、ザルツが自ら斬りつけた傷であると、セダイの目は、一発で見破ったからだった。

 であるから、セダイは意識をなくしたザルツの頬を、何度も殴りつけたい衝動に駆られた。さすがにそれは他の医官に止められて実行には至らなかったが。

 

 そんなセダイであったから、ザルツの容態が安定したとの報告を聞くやいなや、ひとりでザルツの病室に乗り込むと同時に、立て続けに怒鳴り声を上げずにはいられなかったのだった。


 対して、医療院の真白い天井を見つめ横たわるザルツは無言である。

 だが、その目は、セダイが今までに見たなかで、それまでにないほどの暗く、虚ろな光を湛えていた。

 ザルツはセダイに反論も言い訳もしなかった。自分のこれからの処遇にも考えが及び、それは決して明るい未来ではないことも認識していた。だが、不思議と何の感情もわかぬのだ。

 やがて、そんなザルツがようやく絞り出した一言は、セダイを呆然とさせるものであった。


「……助からなければ、良かったのだ」


「カーサが、死にたがりから脱したと思えば、今度はお前か……」


 セダイは脱力したように、目の前の生気を無くした友に目をやる。


「お前には迷惑をかけてすまない。だが……、俺はもう諦めている」


 生きることを、諦めている。

 誰かを犠牲にして、生きながらえることを、もう、止めたい。


 セダイは親しい友の言葉の意味を察し、思わず低く呻いた。


「ザルツ……。なぜお前だけが不幸になろうとする? お前はそれで良くとも、俺は許さんぞ、そんなに簡単に死ねると思ったら大間違いだ!」


 セダイの声は震えている。

 だが、唇を震わせつつも、セダイは理解していた。もはや、全てが手遅れであることも。


 医療院の玄関でなにやら厳しい声のやりとりと物音がするのを、セダイは背中で感じた。やがて、その音は複数の人間の靴音に変わるやいなや、医療院の廊下に響き渡り、ほどなくして、それはザルツの病室の前で止まる。


 数秒後、病室の扉は数人の衛兵によって乱暴に開かれた。剣を構えた衛兵達は、無言でザルツの寝台を取り囲む。そして隊長らしい男がひとり、ただ目を見開いて身じろぎもしないザルツの枕元に歩み寄ると、朗々とした声で彼に罪状を告げた。


「ザルツ殿。これから貴殿を監視人の責務を怠った罪で、牢に収監する」


「待ってくれ! こいつはまだ、傷病人だ。収監に耐えられる容態ではない! 医師としてそれは認められぬ……!」

 

 セダイが声を荒げて男に抗議する。だが、ひとりの衛兵が剣を鞘から抜き、セダイの喉元に刃を突きつける。そして、彼の目を見据え、冷徹な声でこう告げた。


「控えられよ、セダイ医官。邪魔をすれば、貴殿にも罪を問うぞ。これは国王陛下が下された、勅命である」


「陛下の……勅命」


 言葉を失ったセダイの傍らで、衛兵たちはザルツの身体を乱暴に寝台から引き剥がし、半ば強引に彼を床に立たせる。だが、ザルツは抵抗もせず、ただなされるがままに衛兵にその身を任せた。どこまでも虚ろな表情のまま。


「ザルツ!」


「……すまない、セダイ」


 聞き取れるかどうかの声で、ただ一言、そう友に言い残すと、ザルツの姿は衛兵に囲まれて、病室より消え失せた。

 衛兵の軍靴の跡が点々と残る白い床に崩れ落ち、全身を震わせて絶望に打ちひしがれるセダイを残して。

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