第十五話 決闘のすえ

 サズの槍がうなりを上げてザルツを襲う。

 一閃、また一閃。謁見の間の大理石の床に槍先の光が跳ねる。


 ザルツは咄嗟に横に飛び跳ねそれを躱しながら、長剣をカーサの館に置いてきたことに後悔した。

 短剣では、大きく弧を描く槍には、とてつもなく不利だ。

 

 なら、どうする。どうすればこの戦いを勝てるか? 

 この意義なき戦いを。


 ザルツは思案しながら、再び、にじり寄ってくるサズの憎しみに燃えた目を見ながら思う。ザルツの心は冷え切っている。冷えた心が呻く。

 

 そんな目で俺を見ないでくれ。そのような、憎しみに燃えた目で。


 ……いっそ負けてやった方が、誰もが、幸せになれるのではないか。

 そんな疑念がザルツの胸にふと浮かぶ。

 

 俺さえここで死ねば、カーサは自由になり、この男と故郷に帰れる。セダイは怒るだろうが。だが、俺の存在が皆を不幸にしているのではないか……?


 そうだ、俺は何より、アーリー、お前を不幸にしたな。お前の気持ちに気づけず、気づいても護ることもできず、それどころか、己のこの手で、殺してしまったんだ。なら、なら……。


「なにを考えているんだ、この間男め! なぜ攻めて来ぬ?!」


 サズの怒号が飛び、ザルツは我に返った。

 気が付けばザルツは槍をよけるばかりで、一度も短剣で切り込もうとしていなかった。それはザルツが己の考えに心を囚われていたからであるのだが、サズからすれば、自分を馬鹿にした余裕ある態度にしか見えないのだった。


「かかってこい!」


 サズは槍をなおも突きながら攻め掛かってくる。

 右に左に、そしてまた右。怒りに任せた槍先がザルツの髪をかすめる。

 次は左に、また右に。ザルツは槍を受け流すように跳躍する。    


 ……勝てる。


 そう、ザルツは思った。

 サズの怒り、それこそが攻撃の主力であるとしたら、闘いではその力任せの感情こそが命取りだ。それに対して、俺は……冷めきっている。皮肉なことだが。


 ならば、この戦い、俺の勝ちだ。


 ザルツは思わず薄笑いを浮かべた。


「何を笑ってやがる!」


 サズはそんなザルツに苛立ちを隠せない。

 その自らの怒りをあおる敵の態度こそ、自らを死地に誘うと頭では理解していた。だが、どうにも怒りの制御が効かない。

 端から見れば壁際にザルツを押しやったサズが優勢に見える。だが、次第にサズの槍が描く弧の円周が狭まってきたのを、ザルツの目は見のがさなかった。


 ……息が上がってきたな。ならば!


 急にザルツは跳躍を止め、同時に体勢を低くすると、サズの槍をかいくぐるように大理石の床を滑った。サズの動きが一瞬戸惑い止る。

 ザルツはその隙を逃さず、床を滑る力を借りながら、体を勢いよく反転させ、サズの背後を取った。そして思いっきりサズの腱を蹴りつけた。


「くっ……!」


 サズはたまらず横転した。槍がサズの手を離れて音高く床に転がる。その機を逃さず、ザルツは高く飛ぶと、短剣を振りかざしサズの上に馬乗りになった。

 ザルツの冷ややかな目と、サズの焦りと憎しみに燃える視線が、至近距離で交差する。

 ザルツは、その暗い目のまま、刃をサズの喉元に突きつけた。



「勝負あり!」


 サレス二世の声が謁見の間に響き渡る。ザルツは息を切らしながら、額の汗を腕で拭いつつ、ゆっくりと短剣をサズの喉元から離し、立ち上がった。

 ザルツに見下ろされる格好となったサズは、屈辱のあまり立つことすらできない。


「よくやった、ザルツよ。夫婦としての誇りを護ったその闘い、褒めて進ぜよう。ほうほう、そうだったな。そういえば夫婦の契りを祝う品も余は届けてなかったな。あとで館につがいの馬を、褒美に遣わそう……!」


 サレス二世の声がザルツの耳に響く。それには、どこか遠くで響く雷鳴のような、不気味な空虚さがあった。


 ……勝ってしまった。

 俺はまた、誰かを不幸にすることで、生きながらえている。


 その胸中に勝利の余韻は、全くなかった。

 ただ、苦く暗い想いだけが、ザルツの脳裏に、激しい雨のように降り注いでいる。

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