第十四話 許嫁
王宮の謁見の間にて行われた、マグナラリレの使節団との穀物輸入の協議は、あっさり片が付くように話し合いの流れからは思われた。
少なくとも、カメルア側の交渉に当たった書記官たちには。
「では、輸出の件については、貴国の要求を受け入れましょう。……ただ、ひとつ、それには条件がございますが」
「ほう、条件とは」
それまで和やかだった交渉の空気に緊張が走り、何事かとカメルアの書記官が聞き返す。
「我が国の民である、カーサ・スリズの身柄の返還を要求いたします」
……そう発言したのは、マグナラリレの使節団に属する、それまで黙りこくっていた長髪の若者である。
激しい憤怒の光を目に宿した彼こそは、カーサの許嫁である、サズであった。
交渉の場は一時固まった。カメルア側の書記官たちの顔には、そのあまりに意外な要求から、困惑が走った。カーサの存在はカメルア内部でも極秘事項である。そのため、事情を知らない書記官はなんのことやらわからず、ただ、ポカンと口を開けた。
「カーサ・スリズとは……?」
「この期に及んで隠さないで頂きたい。1年前、貴国の故オルグ殿下がわが国から連れ去った女であります」
サズの険しい声が、静まりかえった謁見の間に響く。
状況が理解できないカメルアの書記官は困惑の度を強めて周囲を見回すばかりだ。
そのとき、それまで沈黙を守っていたサレス二世が口を開いた。
「それはできぬな」
「……ほう。ではカーサはこの国で生きているのですな。陛下、私は彼女の許嫁です。なぜ、それが叶わぬのですか」
サズは、突如発言した一国の王にも動じず、サレス二世を睨み付けて質した。
「いかにも、そなたが申すように、カーサはこの国で生きておる。だが、そなたには無念なことであろうが、彼女にはもう伽を交わした相手がおり、いまや夫婦だ。よってカーサ・スリズはもう我が国の臣民である。それゆえ、帰すわけにはいかぬ」
「なんですと……?! 嘘を申さないで頂きたい。カーサがそんな求めに応じるとは信じられませぬ」
「では、証拠を見せようか」
呆然と事態を見守る周囲をよそに、サレス二世の口調はサズをいたぶるかのように、どこか楽しげでさえある。だがサズはひるまず憤怒の目をサレス二世に向ける。
「……証拠?」
「さようだ。その夫婦となった相手の男を連れてこよう。……そしてだ、カーサの許嫁とやら、その男に闘いを挑むが良い。もしそなたがその男に勝ったなら、カーサを連れて帰ることを許す」
「決闘ということですか、陛下」
「そのとおり」
「……よろしい、受けて立ちましょう」
そのサズの返答を聞いてサレス二世は満足げに頷くと、身近にいた宮廷武官を呼び寄せ、ただ、一言命じた。
「ザルツを連れてこい」
……事態を理解しないまま、カーサの館から謁見の間に半ば強引に呼び出されたザルツは呆然とした。自分がカーサの夫であると身分を偽るだけでも、躊躇わずにいられないというに、こともあろうに、カーサを賭けてその許嫁と決闘するとは。
ザルツは流石にいつもの冷静さを忘れ、自分を連れにきた宮廷武官に声を荒げ、抗議した。
「それも護衛の仕事である、と陛下は申しております」
「だが! いくらなんでも、それは筋が通らぬ!」
ザルツは謁見の間の扉前で、武官に詰め寄った。
が、武官は取り付く島もなく、呆然とする彼に言い放つ。
「貴殿の筋など、陛下の意向の前ではどうでもよいのだよ。ザルツ。要は我が国の威厳が保てるかどうか、それだけだ」
陛下の意向。国の威厳。
……ザルツの首筋をあのときとおなじように汗が伝う。
追い打ちをかけるように、武官はザルツに告げた。
「ザルツ、なぜお前が今生きながらえているか、考えて行動せよ。そういうことだ」
謁見の間の扉が、開け放たれた。
槍を構えた長髪の男の姿が見える。ザルツの姿を認めるやいなや、憎々しげに自分を睨み付けるサズの姿が。そして、玉座には、ザルツを禍々しい微笑みで迎えるサレス二世が座している。
ザルツは悟った。
……俺はもう逃げられぬ。誤解の解きようもない。逃げられぬのだ。なら。戦うのみなのか。この誰も救われぬ決闘を。
サズが槍を構える。
それにつられるようにザルツも短剣を腰から抜き、構えの姿勢を取った。
その目には暗い光が宿っていた。いつも以上に、底の見えぬ絶望に囚われた黒い光が。
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