第四章 矛盾と絶望

第十三話 マグナラリレからの使者

 その年の春は遅かった。


 冬は長く、カメルアは数十年に何回かの大雪を経験した。

 町や村は等しく凍え、凍死する民も少なからず出た。誰もが春を待ちわびた。だが、皮肉なことに春の訪れもまた急であり、突然の陽光による雪解け水が洪水となって田畑を襲った。これによる死者もかなりの数を数え、ある者は昨年亡くなったオルグ殿下の祟りだと噂し、また、別のある者は、サレス二世の治世が悪政であるとする神のお告げだと言う。

 真偽はともあれ、国内にはじわじわと不穏な空気が広がっていた。


 しかし何よりカメルアの大臣たちが恐れたのは、神でも怨念でもなく、洪水による田畑の荒廃から見込まれる、その夏以降の不作、ひいては食糧不足であった。これに何かしら対策を立てず、憂いが現実となった暁には、国内の民の不満を暴発させる恐れがある。

 ただでさえ昨年の秋のオルグ一派による叛乱により、国が盤石さを欠いているのは誰の目にも明らかであった。


 そこで、まず、もたれたのが、隣国のマグナラリレとの協議である。カメルアは穀物の輸入の多くを隣国のマグナラリレに頼っており、それゆえに、その夏以降の穀物確保を確実とするために、まず求められたのが輸入量の見直しであったのだ。


 そのような事情で、春の終わり、マグナラリレからの使節団が迎えられた。それは、カーサがオルグにより、故国からカメルアに拉致されてきてから、ちょうど1年が経った季節の出来事である。


 カーサは冬の間にめきめきと体調を回復させた。雪に閉ざされた季節の間、カーサはザルツに剣の稽古をせがみ、春先には、剣術の扱いの基本をほぼ体得する勢いであった。

 死にたいと口にすることも、忌まわしい記憶からの発作も比例するかのように少なくなり、それは、往診に来るセダイも驚くほどの気力体力の回復であった。


 だがセダイにとっては、自分の患者の回復を喜ぶ一方、そのぶん、友であるザルツに危害が及ぶ確率が高まるのではないかという憂いの狭間に身を置くこととなり、その心中は複雑としか言いようがないものであったのだが。


 当のザルツは、淡々と任務をこなしていた。カーサの食事の毒味をし、その身辺に気を配り、カーサにせがまれれば剣の手合わせをする。

 カーサにとって彼は護衛であり、監視人であり、そしてどういうわけか、いまや剣の師でもあった。


 セダイの心配をよそに、皮肉なその成り行きを、ザルツは任務同様、淡々と受け入れた。だが、カーサに剣を教えながらも、いつか、その剣先が自分の喉を切り裂くかもしれぬ、というその現実を、常にザルツは冷静に自覚していた。


 ザルツには、そう簡単にカーサに殺される自分でないという自負はある。 

 だが、同時に、カーサに殺されても仕方がないことを自分はしている、という認識も、冷徹な護衛としての感情のはざまに、確かに生じていた。

 それは、あの雪の日の悔恨とどこかで通じていたのかもしれないが、ザルツはそれに関して、まだこの時点では、無意識である。


 一方のカーサは、日に日に変わっていく、自分の心境の変化に戸惑う毎日を過ごしていた。

 故郷に帰りたい気持ちは変わらず持ち続けていたが、ザルツを殺したところで、それは容易に叶わないことも理解するようになっていた。

 また、それ以上に、カーサはザルツという人間に、あの雪の日以来、興味をより強く抱くようになっていた。


 愛する少女に毒を盛った過去。

 そして矛盾にみちた自分への護衛を続ける今。

 それを時に見せる、暗い光を浮かべた目で、淡々と受け入れるザルツという人間。

 その存在がいつのまにか傍にあることが自然となり、なくてはならぬものとなりゆく日々。これはなんなのだろう。

 カーサは時に考え込んでは、その矛盾に混乱し、揺れた。

 ともあれ、カーサの「生きたい」という意志を支えているのは、いつのまにか、望郷の念以上に、ザルツの存在となっていたわけだが、カーサもまた、ザルツ同様、そのことには、まだ考えが及ばない。


 そんな矛盾に満ち満ちた、三者三様の日々に激しい変化を与えることとなったのが、マグナラリレの使節団の訪問であったのだった。

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